周回遅れで大人になった僕と人生のタイムリミット
自分自身の変化
最近周りの人に「良くなった」「変わった」という風に言ってもらえることが何度かある。以前より社会性がある人になった、周りに気を配る人になったと。
そうかもしれない。僕自身20代は嵐の時代だったと振り返ると思う。新卒で入った会社との相性が合わず3ー4年を棒に振ったり、そこをやめた直後にコロナが起きたり。複雑で対処できない問題が発生する中で、だけどそれをなりふり構わず弾き返す動作の中で周りの人に気を配っていなかった自覚がある。平たく言うと、確かに当時ハプニングに沢山見舞われたけど僕自身も気性が荒く、人に気を遣っていなかったのだ。人と対面で関わる機会があまりにも少なくてそのことに気付かなかった。
変わるきっかけがあったとすれば3年前、2021年に、義足の漫画を描くためにリハビリ会に取材参加させてもらえたこと。20代の僕の突拍子もない行動力はやらかしもあるけど得たものも多くて、「アンダードッグ」の連載が始まる前だったのにもかかわらずこの会に参加するために電話したこと、そのあと足しげく通い続けたことが今の僕につながっている。あの連載をして一番良かったことだと思う。
そうやって見ず知らずの人の輪に入れてもらい、それまで孤立状態だった自分から少しずつ角が取れていったように感じた。
連載が終わった後にバイトをしたのも良かったんだと思う。僕はそのバイトでは全く役に立てず困ったことばかりだったけど、そうやって打ちのめされた挫折や人に頼る体験も、自分から傲慢さや毒気を抜いてくれたように思う。会社員時代がトラウマだったから労働それ自体に強い苦手意識があったんだけど、色々やってみた今なら「場所によっては続けられることもあるのかもしれない」位の苦手意識にとどまっている。
良い意味で「自分はこんなもんだ」と限界を知ったことで、以前までのように過度に舞い上がりもせず怒りもせず、低め安定で暮らしている。地に足が着いたのだと思う。
周回遅れだから焦る、しかし焦るとろくなことがない
こうして「人として良い方向に向かえるようになってきたね、よかったじゃん」で文章を締めくくればそれは美しいことなんだけど、なかなかそれでは終わらない。
僕は今31だが、恐らく僕がここ3年位で積み重ねたものは、ほかの人は20代のうちにやっているのだ。いわば「社会人モード」を20代のうちにインストールして世に出てっているのである。僕はそれを着けそびれて出遅れた。
例えば婚活に代表されるような「この歳だったらやっとくべきこと」を、ほかの人は25,6から社会人モードで取り掛かれたとして、僕はそれに今から参加しなければいけない…
ここ最近の胸騒ぎや焦りはそういうことだったんだな、と言語化するとよくわかる。しかしここまで書いてみて再実感するように、焦っていると僕はろくなことをしない。化けの皮が簡単にはがれてしまう。過去の失敗を振り返ってもあのとき焦っていなければ、失敗という結果は変えられずとももう少し軟着陸できたんじゃ…と思うことがよくある。
最近時が流れるのが速い。20代と30代では体感する時間の速度が違うんだと思う。良く言われることだがこの傾向は40代になったらもっと加速するだろう。
きっと僕はあっという間に老人になって死ぬ。
しかしそれでも、だとしても焦ってはいけないのだ。焦ると目の前のことに取り組む手がかえって止まり、1年先3年先5年先を覗き見るのに夢中になってしまうから。
最初の会社で上司に、「お前は大人になるのに必要なステップを何も踏まずに22歳になったんだ。子供のままスーツを着てここにいる。ここから巻き返すなら死ぬ思いをして今から人並みならない努力をするか、誰とも関わらなくても何とか出来る仕事を見つけるかどっちかだ」と言われた。なんだこいつとは思ったが、当時のあの会社の中では道理に立ってアドバイスしてくれる人だったと思う。その人をそこまで怒らせてたんだからどんだけだという感じなんだけど…
そして今、人並みならない大失敗をどってんばったん繰り返して、なんとか起きてここにいる。
「あっという間に死ぬ」のが事実だとしても、空を見上げるのではなく道の先をのぞき込むのでもなく、目の前のことをちゃんとやって進むしか周回遅れを少しでも取り返すすべはないのだろうと思う。
……それにしてもしんどくないっすかこれ?誰か伴走してほしいんやが…あかんか…
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