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「芸能人の死因」って気になる?

どうも、ニートです!
ボランティアで寄稿させて頂いているCinema Gossipさんで、三浦春馬さんの記事を書きました。

昨日私は銀座で昼食を食べていて、初めてお会いした大将がとっても気さくで。
「銀座で健康的な和食がお昼から食べれる」お店だったんですね。
これから頻繁に遊びにいきたいな〜と思えるお店でした。

その後一人中目黒を散策。
先月「とてつもなく土が触りたい」と思って中目黒の陶芸教室で陶芸を体験し、その完成品を受け取りに。
完成したものはゴツゴとしていて、とても歪な形をしていた。
「あぁ、自分はあるものを力ずくで変えようとする性質を持ってるのかもしれない…それにしても形悪いなぁ〜〜〜」
なんて、自分の傲慢な部分を隠すように新聞紙に包んで、東横線に乗りました。

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するとLINEにはCinema Gossipの編集長下田さんから、先日寄稿したばかりの梨泰院クラスの記事についてアドバイスがあった。
タイトルを考え直しているとこんなメッセージが。

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それから地元の駅へつき、スマホを閉じ、鳥肌が止まらないまま改札を抜け、花を買おうと思いました。

毎週土曜日はこうして、帰り道に一輪の花を買うのですが、今日は三浦春馬さんに似合う花を。

言葉を選ばないで嫌な言い方をすると、私は芸能人への思い入れがほっとんどないタイプ。
一人の人間が、「芸能」という道を選んだ「仕事人」としか思っていない。

業種・職種問わず、しっかりと仕事をしている人からは学ぶことは非常に多い。
本気で仕事に向き合い、困難を乗り越えた人間は職種なんていうものはあくまで売り物や、着ているようなものだけであり、スッポンポンになったその人間のその本質というものは、まるで川を流れた石のように綺麗な丸になってるように思える。

いらないものはこうして、乗り越える度に形が出来ていき、そういった人たちはシンプルに美しい。
最初からシンプルなものではなかったように思う。
その形に辿りついた人間同士というのはとにかく「通じあるもの」があるように思う。

そしてその川を流れ、形を形成して行っていた途中にあったのが「三浦春馬」という俳優だったのではないかと私は思う。

正直三浦春馬さんという俳優には苦手意識を持っていた。
芸能人は基本的に好きでも嫌いでもない私が、苦手意識を持っていた。
何故かはわからない。

だけどある時、NHK「世界はほしいモノにあふれてる」を見て、俳優ではない「三浦春馬」という人間を初めて垣間見たような気がして、自分でも驚くくらい一気に好感度が上がった。

家族では録画した「世界はほしいモノにあふれてる」を頻繁に見ていた。
私の人生の目標の一つでもある「母親の働き方改革」の中で具体的に「バイヤー」という候補があがったのは、この番組のおかげ。
「世界はほしいモノにあふれてる」を通して、母が初めて「この仕事、面白そう!」と言ったのだ。

この「世界はほしいモノにあふれてる」 という番組は私たちに色んな感動や閃きをくれたし、それはMCとして出演しているJUJUさんや三浦春馬さんも同様だったのではないかと思う。

そんな中で、彼の訃報があってからネットで三浦春馬と検索をすると
「自殺」「死因」「彼女」「結婚」「家族」「危うい性格」
などという、もう目を覆いたくなる記事が連発した。

私は彼が一体どんな作品で、どんな役を演じたのか、「Youは何しに日本へ」、「世界はほしいモノにあふれてる」などの彼を知ってれば、三浦春馬という人間を愛おしいと思う人がきっといるはずだと思ったから。

なのにこんな記事ばかりがネットには溢れていて
SNSではあることないことで第三者がワーワー言及している。

「超カオス」だと思った。

彼がまず、他殺か自殺かも、わからない。
そして原因だってわかる術もない。

私はライターとも名乗れないような、どこからもお金をもらっていない、本当にボランティアで寄稿させて貰ってるただの一般人です。
だけど、三浦春馬という人間に対して、彼のポジティブな面を、彼という人間を愛した人々がいたという記事を書きたいと思った。

内容としては引用ばかりで記事としての機能はそこまで果たせてないかもしれない。
事実、追っかけだったわけでもないのでファンからしてみれば物足りなさでしかない記事かもしれない。

でも彼の死を受け、悲しみに浸ってる人がいることも事実で、必ずしも「他人の死因」にばかり気を取られる人間ばかりではないということを確信したかった。

事実給料をもらっているライターからしてみれば、PV数を獲得したり、それこそユーザーが求めている内容を発信してナンボの世界かもしれないけど(とはいえ綾瀬はるかさんの記事を書いてしまってる時点で自分はうんこだと思ってる。)
それを食い物にするメディアって、もう少し「残された人間」「死を選んだ人間が、死んでからも、その墓を掘り起こすような行為」をしてやるなと思う。
それは全て憶測や、噂でしかなく「死人に口無し」という言葉がぴったり当てはまると思うから。
でもR.I.Pと書かれた墓を無造作に掘り起こそうとして、そこに何があるのか好奇の目で記事をみる人々も悪趣味だと思う。

記事だけではなく日本ではSNSの在り方を、もっともっと、考えないといけないと思う。(今回は関係がないかもしれないが。)
韓国KARA「ク・ハラ」さんが亡くなった時は「指殺人」という言葉を多くの人が知ることになった。
事実SNSは今回関係がないかもしれないけど。

日本でもこれに似た事象はいつだって起こり得る。
それだけSNSを利用する人たちはマナーや自分の発言にリアルで生活をするように責任を持つなど、「その先に人がいる」という意識を持つ必要があるのだと思うが、それが出来ないなら「SNSは果たして人の生活を豊かに」できるのだろうか。

今回寄稿させてもらった三浦春馬さんの記事に「自殺」「死亡」というキーワードは含まれていない。

だが公開して数時間で2万PVを達成した。
ネガティブな記事だけでなく、こうして三浦春馬という「俳優という道を選んだだけの一人の人間」がいて、その三浦春馬という人物を愛した人がいた事実が、ただ伝わればいいと思うし、内容はさておきこういった記事が死因や自殺の理由などネガティブな記事ではより、人から求められるものになってほしい、そんな世の中に変わっていってほしいと、一般人の私は思う。

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追記 7/20
記事がなぜ伸びたか。ただ、誰が死んだか知りたかっただけなのかもしれない。それを取り巻く環境にいた有名人が、どんな反応をするのか見たかっただけなのかもしれない。だとしたらひどいなぁ。

最近は自分で言っておいてなんだけど「愛されてた」「真面目だった」「残念」というキーワードをやたらと耳にする。
自分自身、彼の記事はこういう内容だけど…何か違和感を感じる。
「死んでしまった…きっと思い詰めていたんですね…」のようなコメントに感じるからなのだろうか。

いや、本当それすらもわからないのよ。
何も、わからないのよ。影響力のある人たちがそういう発言をしてしまうと「あぁ、精神を病んでたんだなぁ、誰にも相談できなかったんだなぁ…」って、思ってしまうかもしれない。
少なからず、自分が好意を抱いている芸能人や人間がそういうと、「そうだよなぁ」と思う傾向があるように感じる。
それも危険だと思う。

だけど、人々がもう既に関心を寄せていないことがわかる。

天国があってほしいと初めて思った。
今までは、みんな天国に行けるもんだと思った。
でも天国という場所が初めて「安息の地」であってほしいと思った。

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