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【コラム】それは楽器か歌姫か ボカロを巡る2つの視点 歌い手を求めた人々【歌い手史を作るプロジェクト】

「歴史家による事実の選択ならびに整理を俟って初めて歴史的事実になるもの」

 筆者は以前、歴史家E・H・カーのこんな言葉を紹介しました。そして同時に、それは重要な事実を省いてしまう危険もはらんでいるとも書き添えました。

 ですが先に書いた文章で、筆者はまたもそのリスクを犯してしまいました。

 具体的には、これらの部分です。

「ボカロ側の視点に立って、この騒動を見つめてみよう」
「ボカロ側——プレイヤーというよりもファン層が、歌い手に反発した」
「ボカロ側の論理はわかる」

 筆者はボカロ側というワードを連呼し続けました。くどいくらいに使いまわしました。

 けれど考えてみてください。

 ボカロ側ってなんですか?

 ボカロP? 開発のクリプトンフューチャーメディア? それともボカロファンの人たち?

 ボカロ側と一括りにいっても、その内には多様な人々が含まれます。それをボカロ側と一括りで言うのは、あまりにも乱雑でしょう。はっきり言ってわけわかりません。

 とはいえ、もちろん考えなしに書いたわけではありません。話がそれるために省いたに過ぎないのですが、そのまま放置していては「知らないだけだろ」とか言われかねません。

 そこで今回は、(言い訳も兼ねて、)そこの補足と、ボカロを巡る2つの視点について書いてみようと思います。


◆ボカロを巡る歴史


 2020年に入ったころから、ボカロの歴史について語る記事をたびたび見かけます。

 多分、ボカロの再ブーム的なものが起こったことで、古参ヅラして過去を振り返りたくなってしまう人が多いのでしょう。筆者もその一人なわけですが。

 それらの記事の多くは、筆者の見る限り、おおむね似たような歴史が語られています。おそらく、出典が大体同じ(音楽ライターの柴さんの書籍とか)だからなのでしょう。どの記事でも、おおむねこんな感じの歴史が書かれています。

 初音ミクが発売され、オタク層にうけて一大ブームが起こる。さらに12月にryo(supercell)が『メルト』を投稿し、さらに人気が拡大。その影響をうけてハチ(米津玄師)やwowaka、古川本舗などのちの有名ボカロPたちが参入する。

 supercellのヒットを先駆けとして、2010年頃からさらに人気が伸びる。『千本桜』や『カゲロウプロジェクト』などが生まれ、ボカロの全盛期に突入。その後は少しだけ人気が落ちたけれども、ボカロというコンテンツは基盤を確立したコンテンツになった——。

 以上が、よくある歴史観です。

 在野の音楽家、かつてのいわゆるネット民、音楽業界、発売元のクリプトンフューチャーメディア。

 その全てが『初音ミク』をはじめとした歌声合成ソフトウェアに夢を託し、日本の音楽業界を一変させ、当時の子どもたちに夢を与えた。ボカロの歴史を語る記事では、往々にしてそういう眩しすぎるほど美しい物語が展開されています。

◆ボカロを巡る2つの視点


 けれども、ボカロを巡る物語というのは、そんなに単純に展開されてきたわけではありません。

 ボカロというのは、非常に特殊なコンテンツです。ソフトウェアでもあり、キャラクターでもある。公式設定が少なく、ユーザーたちのたくましい妄想力によって後付けで設定が作られていく。

 かつてのCGM(コンシューマージェネレイテッドメディア)の夢を体現したかのような、きわめて特殊なコンテンツです。

 ですがそのために、それに対する見方は時代によって立場によって大きく異なりました。解釈の違う派閥同士がギスギスした論争を展開し、たびたび騒動になりました。(クリプトン社が大きな批判にさらされたりしました。)

 その派閥を細かく分ければキリがないのですが、大きく分ければ2つの派閥がありました。

 初音ミクをはじめとしたボカロを「キャラクターアイドルとして見る派閥」「ボーカルの代わりとなるソフトウェアとしてみなす派閥」の2つです。

 前者は、ボカロを「アイドル」や「歌姫」などといった一つの人格を持つキャラクターとみなし、ボカロ楽曲をそのキャラクターたちが歌うキャラクターソングのように消費する層を指します。

 後者は、ボカロを従来からの音楽ソフトウェアの一つ、キャラクターというよりも機械として捉える層を指します。

 両者のボカロ観は、基本的に相容れません。

 前者は初音ミクというキャラクターを重視するのに対して後者はそのキャラクターを軽視するのですから、当然でしょう。両者は同じボカロというコンテンツを消費していながら、根本の部分で異なっているのです。

 当時の資料によると、初音ミク発売から1年を待たずしてその対立があらわになっていたようです。

 2008年には、既に社会学者の増田聡をはじめとした論者が、この対立に言及しています。

「新たな音楽テクノロジーが可能にした音楽実践を、一次的な創作労力の節減と捉え、DJ的な文化の延長戦上に位置づけるか、あるいはキャラクターのパブリシティと戯れる二次創作の新たなフィールドを、DTM文化の中に初めて開拓したものと位置付けるか。『初音ミク』現象の背後には両者の対立が潜在する」

(増田聡『データベース、パクリ、初音ミク』「思想地図vol.1」日本放送出版協会、2008年)


◆メルトからキャラクター性が消えた


 なかなかわかりにくい話なので、例を出しておきましょう。

 両者の考え方の違いがもっともわかりやすいのが、「メルトからキャラクター性が消えた」という言説に対する向き合い方です。これについて書いた文章を、以下に引用します。

「『メルト』のヒットは、作家としてのボカロPの存在に光を当てるきっかけになった。そしてもう一つ、この曲はキャラクターとしての初音ミクの役割を大きく広げた曲にもなった。初期のボカロ曲は、『恋スルVOC@LOID』のように「パソコンの中にいるみんなの歌姫」である初音ミクを主役にして歌詞を書いたものが中心だ。しかし『メルト』の歌詞は『朝目が覚めて真っ先に思い浮かぶ君のこと思い切って前髪を切った『どうしたの?』って聞かれたくて』と始まる。歌詞の主人公はミク自身ではなく、ryoが思い描いた少女。その心情を、ミクがシンガーとして表現する。この曲は、初音ミクが『電子の歌姫』のキャラクターソングではなく、いわゆるシンガーとして『ポップソング』を歌って広く受け入れられた初めての曲になった」

(柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版、2014年)

 大変ざっくりと要約すると、2007年12月のボカロ楽曲『メルト』は、キャラクターソングらしくないボカロ曲で初めてヒットしたものだった、という主張です。もっと拡大解釈されて、ボカロ曲からキャラクター性が消えた契機だったとも言われます。

 この言説は大変多くの論者によって語られています。それこそしたり顔で語る知識人気取りから、VTuberまで。筆者も書いた通り『メルト』が重要な楽曲だという認識は確固たるものになっているので、ついでに話したくなるのでしょう。

 ですが、この言説に対する向き合い方は、先ほど紹介した2つの路線のどちらをとるかによって、だいぶ変わります。

 まず、「ボカロをボーカルの代わりとなるソフトウェアとしてみなす派閥」の方。この派閥の論者は、基本的に「キャラクター性が消えた——」の言説を、無批判に引用する傾向があります。

 なぜなら、彼らにとってはとても都合がいいから。

 『メルト』からキャラクター性が消えたことにしてしまえば、ボカロ楽曲は“とても純粋な音楽”のように扱えます。

 キャラクターではなく、無機質な音楽を消費しているんだ。可愛らしいキャラクターではなく、ぼくらは“純粋”に音楽を楽しんでいるんだ、と彼らは言外に主張できます。

 しかし一方、「ボカロをキャラクターアイドルとして見る派閥」はどうでしょうか。

 当然、反発します。

 「キャラクター性が消えた——」という主張は、言い換えれば「「メルト」から俺たちの愛するものが失われていった」という言説になります。

 自らの愛するものがなくなっていったという言説を、そのまま受け入れられるはずもありません。

 だから「ボカロをキャラクターアイドルとして見る派閥」の人は、これをあまり肯定しません。初音ミクへの愛を10年以上にわたって叫び続ける朝日新聞記者の丹治吉順は、こう記します。

「2007年の初音ミクやボーカロイド現象に関して、初音ミクのキャラクター性を前面に出した楽曲が基本だったというまとめ方も時に目にするが(そして実際この連載もそうしたテーマから始めたが)、筆者はそう言い切る自信がない。キャラクター性と無関係なすぐれた楽曲も早い時期から多数生まれ支持されてきたし、何より、ゼロから始まった混沌の中から、創作をめぐるコミュニケーションの秩序が自律的に生まれてきたことの方が強い印象として残っているためだろう」

(丹治吉順『初音ミク、音楽のプロも子育て中の主婦も作品発表〜奇跡の3カ月(6)「celluloid」「忘却心中」など次々と』「論座」2021年7月17日付)

 真っ向から否定はしていないのですが、自分の意見を表明しない(できない)新聞記者という職業の縛りのもとで出来る、最大限の違和感の表明でしょう。

 愛するものが消えたという構図を無批判に肯定しはしません。受け入れられるはずもありません。

 (どちらの主張にも瑕疵があるのですがそれはさておき、) 「メルトからキャラクター性が消えた」への向き合い方には、両者の違いがよく表れているのです。

◆歌い手を求めたのは?


 さてようやく本題。歌い手を求めたのはどんな人たちか?という話です。歌い手を求めたのは、どちらの人々だったのでしょうか。

 ーー「ボカロをボーカルの代わりとなるソフトウェアとしてみなす派閥」の方です。

 「ボカロをキャラクターアイドルとして見る派閥」の方からすれば、ボカロ曲はあくまでそれぞれのキャラクターの楽曲です。歌い手というのはそれらのカバーをしている一般人に過ぎず、そんなに重視する理由はありません。

 あくまで彼らは、おこぼれに預かる一般人でしかありません。

 一方、「ボカロをボーカルの代わりとなるソフトウェアとしてみなす派閥」はどうでしょうか。

 彼らにとって、歌い手を拒む理由はありません。

 キャラクターの楽曲ではないのだから、誰が歌おうが自由です。ボーカロイド曲はまっさらなバージョン、ゲームで言うところのバニラなので、誰が歌ってもかまいません。

 ましてや、歌い手は時間が経つにつれてボカロ楽曲のヒットに欠かせないものになっていったので、彼らは歌い手を拒むどころか、むしろ重視しました。

「自分で歌うとか、VOCALOIDを使うだけでは届かないような層の人たちに、“歌ってみた”の人たちが僕の曲を届けてくれるんです」

(ボカロP・Nem)

 両者の歌い手に対する向き合い方は、こんなにも違うのです。筆者はボカロ側と一括りに書きましたが、彼らの中にも、こんな違いがあるのです。

◆ボカロ曲、歌ってみたを作るよりも簡単


 とまあ、またも自らの微妙な点を指摘する作業を行ってきました。

 筆者のボカロ側という雑な括りを見て、不快に思った人もいるでしょう。本論で展開した通り、たしかにこの括りはあまりにも雑です。不快になるのも当然でしょう。申し訳ありません。

 ですが謝罪はしますが、筆者はこの書き方を改める気はありません。

 なぜなら、それでいいと思っているからです。あくまで筆者の文章は歌い手の文章であって、ボカロ史を書いているわけではありません。

 ボカロの文章で歌い手が雑に書かれるのと同じで、主題から逸れた部分が省かれるのは自然なことでしょう。

 往々にして、歴史というものはそうやって紡がれるものです。

 義務教育で触れた日本史だって世界史だって、教科書に書かれているほど単純ではありません。

 歴史は書き手の取捨選択によって作られるものですし、それがどの分野でも例外なく続けられてきました。

 これが嫌なら自分も書いて、自分が思う歴史を世間に知らしめてください。今はそれが誰でも出来る世の中です。

 歌ってみたやボカロ曲の投稿よりも、数億倍ハードルが低いです。

次回→【歌い手史2011〜13】歌い手”第2の意味”の成立 りぶのヒット 「俺達の文化」の消滅【歌い手史を作るプロジェクト】


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