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東京インディーの残像

東京インディーを代表するシャムキャッツが解散してしまった。と言っても、僕は一つ下の世代なので特に親交があるわけではない。けれど、2012〜13年までのことは自分の中で何かぼんやりした影を落としている。

あの頃、東京のインディーミュージックは最高潮に盛り上がっていた。ceroが「My Lost City」を出して、下北沢インディーファンクラブはどの会場も入場規制。カクバリズムまわりのアーティストが賑わうのを尻目に、一つ下の世代、つまり僕がやってるカメ万の世代が出てきた。一つ下の世代と言っても、森は生きていると吉田ヨウヘイgroupぐらいしかいないのだけど、勝手にここまでを東京インディーの最後の世代と定義している。(ちなみにこの下の世代にネバヤンやヨギーがいる。)

これは本当に勝手な話なのだけど、東京インディーと括るに値する連帯感というか、音楽に対する共通認識みたいなものが確かにあったように思う。売れるということに無自覚というか、良い意味でも悪い意味でも散らかった音楽の中に美意識があった。

<2013年6月14日 渋谷O-nest カメラ=万年筆 presents “素敵な山彦”>

このレコ発の対バンは昆虫キッズと失敗しない生き方、どちらも活動を終了してしまった。僕は色々あって、この2013年6月のライブのあとすぐ佐渡ヶ島へ隠遁することになる。相方の優介くんの才能に嫉妬しすぎて何も出来なくなってしまったから修行しに行った、というのが一応の口実。2014年には戻ってくるけど、1年で東京の空気は変わっていた。なんというか、シーンの盛り上がりに疲れているようだった。僕は婦人倶楽部を始めていたのもあったし、バンドの活動はかなり少なくなっていた。2015年に「眠り粉EP」を出したが、そのレコ発イベント「学校の怪談」に出てくれた森は生きているが、直後に解散した。この時、ああ東京インディーは終わったんだなと自覚したのだった。

2020年、僕はもう東京でやりたいことがなくなってしまった。佐渡から東京に戻る条件として、自分の名前で音楽の仕事を取る、があった。CM仕事、映画音楽、やりたいことが山ほどあったけど、今はその夢ともいうべき仕事をそこそこにこなし、音楽でお金を得るということにも慣れてしまった。でも本当に自分の作りたい音楽はやれてるかっていうとかなり自信がない。カメ万でやってたことは今の自分からはなんて効率の悪いことだろうと思う反面、作品には情熱が滾っている。僕は何を作ればいいんだろう。

僕はインディーファンクラブにも月刊ウォンブにも出れなかったから、あの頃のシーンの盛り上がりをまだ精算できてないのかもしれない。当事者なはずが、変に憧れのような気持ちがある。

東京インディーの空気感は、カーネーションのトリビュート作品「なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?」によく顕れています。P-vineは何より早くこの作品を配信に入れてください。

僕はまた精算の旅に出ないといけないかもしれません。

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