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「アーツさいたま・きたまちフェスタ Vol.9・ASK9 “ART-Chari” 」@プラザノース他

メイン会場のプラザノース、その体育館めいたギャラリー空間には7台の“自転車” が佇んでいて、雨通しの会期中、そこで走ったり、人を乗せたり、踊ったりしていた。

#樋口保喜 さんの《ねこまみれチャリ》が、自転車の三角フレームの間や上管といった “居心地の好い” 場所に猫を住まわせることで、自転車としての機能と、猫らしさ (そして人猫双方の安全) を両立させた機能的な形態を目指していたのと同じく、#飯島浩二さんの《五百年前の原動機付自転車》も、自転車のスピードを活かしつつ防御力を高めるための ”武装” が施されていた。
それに対し、#阿目虎南 さんの《ケンタウロスの末裔》は、サドルも取り払われ、ハンドルの一方を馬頭 (”角” が折れていて、どちらかと言えばユニコーンに近いかも知れない) に乗っ取られ、後部からは苔むした人体 (左腕を欠いていて、顔の右半分には”仮面”を 着けている)、前輪の辺りからは足が生えていたり…と、むしろ自転車の機能を積極的に潰しにかかるよう。

会期中2回行われた阿目さんのパフォーマンスでは、その異形の自転車をいかに乗りこなすかが追求された。阿目さんはサングラスに黒いロングコートを身に着けていて、 同日午前、別の会場で拝見した屋外パフォーマンスの時は逆光もあいまってシルエットのようだったけれど、三方から (途中からは、#市川平 さんが、手持ち型の特殊照明で即興的に照らしていた) スポットライトを浴びたその姿には、複雑な陰影が刻まれていた。 
サドルの ”皮” が張り付けられた、 ”人体” の付け根辺りに覆い被さるが如く倒れこみ、"自転車" を持ち上げたかと思うと、今度は逆に押し倒されて ”土台” と化したりと、お互いに距離を量るような導入 (重さに振り回されるような一瞬も) から、徐々に親密になっていって、手でペダルを回し漕いで涼やかな音を奏でる様は、抱え込んで息を吹き込むチューバや、押しかかるように弾くコントラバス奏者と近しい。
”自転車” を垂直に持ち上げると、前輪の上部、籠があった辺りから生えた足が自立するようで、再び ”自転車” を止めて傍らに立つと、ペダルの辺りに立つ阿目さんが、M字型に伸びた異形の人体から新しく生えた身体みたいで、その、”人車一体” の印象は、左脇の辺りをサドルの ”皮” に当て、斜めに伸ばした足で水面を滑るように進む姿、阿目さん自体が、”自転車” にとってのしっぽ (オタマジャクシみたいに) と化したような瞬間に一層強まった。
コートを脱いで ”人体” に着せると、阿目さんは完全に ”自転車” の身体に乗って、両足を地面から離す。ハンドルの股に片足を掛け、そこから突き出た ”足” と平行にしたり、後ろを向いて ”人体” に抱きついたりする所作は、新しい乗り方をこの場で生み出すようで、翻って、サドルに座り、ペダルに両足をのせ、ハンドルを両手で持って運転できる自転車が、いかに飼いならされているかを突き付けるよう。
変奏に変奏を重ねた挙げ句、サドルの ”皮” に腰を下ろし、右ハンドルを両手で持つ、傾いだ姿勢で乗りこなすことに至った阿目さんは、ギャラリー内を、”自転車” たちと、観客たちを避けつつ巡ったものの、元の場所に戻ってくると、さらによい乗り方を求めて、また地に足を着けた状態から模索し始め…というところで終幕。
翌日の 2回目は、市川さんの特殊照明2台 (ギャラリー内に分かれて配置されていた) が、《ケンタウロスの末裔》の前に柱の如く設置され、灯りの落とされたギャラリー内は、より舞台めいた印象に。ハンドルを肩に掛け、”自転車” を後ろから羽織るように背負ったりと、新しいアプローチを次々繰り出す。しかし、ペダルを両手で勢いよく漕いで、新しい乗り方を発見した…? と思いきや ”自転車” から距離を取ったり、足で車体を支え、手で進もう…として断念したりと、昨日 1回乗れたからといって、そう易々と屈服するような相手ではないことを証明するかのように、 ”馬頭” が阿目さんを取り込んだりと、”人車一体” になるまでの苦闘が 1回目以上に綿密に描かれていた。

その苦闘は、3日間にわたって ”公開制作” を行う #牛島達治 さんの《足踏み駆動式遊覧椅子》や、金槌でハンドルを叩きつつ操縦する #shin-sei さん& #ONIGIRI さんの《共乗りノリノリYO!》(真ん中の ”輿” に乗り、ギャラリー内を巡りながらラップパフォーマンスを行う shin-sei さんは、ゴンドラを遊ばせつつ歌う船頭のよう) とも重なって、その苦闘の行きつく先に、市川さんの《クーリングターボチャージャー》や、#佐藤時啓 さんの《リヤカーメラ》が見せる、人と乗り物の調和した姿があるのかも知れない。各日終了間際に、全ての “自転車” が一斉に室内を周遊する様子は、祝祭めいた雰囲気を醸し出していた。

…そんな会場から徒歩5分ほど離れた大宮北ハウジングステージでは、#佐塚真啓 さんの《人生に彩りを添える新しい自転車を考える会》が開かれていて、参加者には、モデルとして置かれた自転車 (赤いフレームで、籠の付いたやや小ぶりなもの) を、まずは描くことが求められる。一時間ほど描きつらね、あらかた全体像を描いたものの、これ以上細かく描くことは出来ないという限界が急に訪れて、「自転車」の一言で済むところを、あえて凝視し描くことで分かる ”見えなさ” 、この (今の私にとっての) 行き止まりの心地がむしろ清々しい。新しい自転車の使い方を考えるにはほど遠いものの、少なくとも目の前のこの赤い自転車は、私の人生にまたひとつ彩りを、新しい楽しみを教えてくれた気がする。この後に拝見した阿目さんのパフォーマンス、それ自体が、佐塚さんの問いかけに対する一つの答えのように思えた。


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