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パン屋と絵 #17 土屋未久 さん@タンネ

この日の天気はぐずついていて、タンネに着く頃には、今にも雨粒が落ちてきそうだった (結局、1時間くらい後でパンを持って出る頃にも、さらにそこから東京方面へ歩いている時も、降ってはこなかったけれど)。その道中に見た、灰色の雲間越しに覗く空のように、あるいは、結露した窓を指でなぞったように、土屋さんの作品では、ざらりとした背景に包まれたモチーフが、支持体の肌合い (雨だれのような木目、キャンバスの目地、紙の毛羽立ち…) を透かせるほどに薄くて、人や動物、植物の内側に流れる、水の気配を漂わせている。

デスクにテーブル、本にサッカー台…と、動くことも一息つくことも、もちろん絵を眺めることも許容してくれるタンネの空間には、いくつも開いた窓から外光も訪れるものの、その表情は雲の機嫌でころころと変わって、絵肌の色合いも、明るい山葡萄のようだと思ったら、途端に小豆色めいた翳り (あたたかな暗さ、といった風情が好い) を帯びたりと、眩しすぎない空間だからこその変化に富んでいて、タンネで絵を見る楽しみのひとつかも知れない。

以前拝見した個展「grainy」(@トタン, 2022年4月15日~24日 ) でも、年季が琥珀色を成すような家屋の風合いと、土屋さんの、アースカラーなやわらかな色合いとが響きあっていたし、飾るための壁や場所、というよりも、階段裏の一角や窓ガラス (細く開けられたカーテンとカーテンの間に貼られたドローイングは、その磨りガラス越しに覗く植物のシルエットと呼応して、掛軸のようだった) といった、生活の “余白” に宿るがごとく配されていたのも、“作品” と大上段に構えず、寄り添ってくれるような佇まいと合っていた。

今回の個展でも、柱に、窓と窓の間に、棚の上で本と背中合わせに…と、空間に溶け込むように作品が配置されていて、中央に並んだ、作業スペースでもあり、展示台でもある棚が並木のようで、本棚が林立する空間の、静かな喧騒とでも言いたくなる雰囲気を醸し出している。そして棚の上に散りばめられた、小ぶりな立体作品群も木立みたいで、それらの各面に施された絵を回りこんで見ることは、棚の周りをぐるぐる巡り、その両側面に掛けられた絵を、見比べるふるまいに通ずる。

立体作品に描かれたモチーフが、目の前の面からその側面へと地続きに繋がっていくのに対して、棚のフレームに掛けられた大作4枚は、その画面から誰かしら (何かしら) の身体がはみ出るように描かれていて、 脇に回ってみてもそれらは当然続いていない。しかし、その “断たれた” ような画面だからこそなのか、遠くから見るとひとつの大画面にも見える。
さらに、遠目からだと、やわらかに水を湛えたように見えたモチーフは、むしろ原石の断面に白く光る筋みたいで、支持体が仄かに透けるほど薄い筆致が、そのまま光と化しているよう。

同様に、立体の小作品のある一面を見る時、当然ながら向こうの面は見えない一方で、棚や柱に掛けられたキャンバスは、裏からでも何となく透けて見えている (比較的薄く塗られたモチーフが “窓” となって、その部分だけうっすらと明るい)。描かれたモチーフの淡さと、それに対する “背景” の濃さという関係が、1枚の絵画の中に留まらず、絵画作品と立体作品とにおいても、存在感の濃淡 (優劣ということではなく) といったかたちで繰り広げられているようで、絵が空間にあるということはどういうことなのかを、考えさせてくれるような作品群だと思う。

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