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Aokidさん「CALENDAR」(@Art Center Ongoing, 4月26日~5月14日)

4月28日(金) 会期3日目

オンゴーイング1階、奥の壁一面に掲示されたカレンダーには、会期中のイベントだけでなく、例えば4月26日の欄には、造形大・CSLABでのイベント(たまたま第9回助手展を見に行っていて、雨降りの窓越しに、Aokidさんが学生さんと踊っている、というよりCSLAB中を駆け回っているところを目撃した)が書き込まれ、私が伺った28日にも、同じオンゴーイングながら、Aokidさんの個展とはまた別に開催される「はなせないことをはなす -CRITICAL IMPULSE TALK SERIES- Vol.10(ゲスト:山本高之さん)」のことが記されていた。
そこにまだ残された空白は、埋めるべき空欄だったり、何もない日のしるしなんかではなく、何かしら面白いことを呼び込む、それらをいつでも歓迎するための余白のようで、この展示自体もそんな場だった気がする。現に、この部分を書いている5月10日にオンゴーイングのWebサイトを覗いてみると、5月のイベントが、知らず終わってしまったものから、これからのものまで4つ追加されていて、その中でも、11日19時から開催される「それぞれのストリート〜音楽、アート、ダンスの現場から〜(ゲスト:トモトシさん、zzzpeakerさん)」は、カレンダーの隅に To Do リストのごとく記入されていた「・吉祥寺ストリートアクション」のことかもしれず、現地のカレンダーにも、これらがきっと反映されているのだろう。

2階に上がると、まず目につくのは壁から突き出た黒い板で、その表面からはさらに半円が突き出している。回り込んでみると、板ではなく厚紙らしいことが分かって、丸く切られた角がかりんとうみたいなそれはL字に折れていて、一辺を壁につけ、もう一辺を宙に投げ出しており、その直角に飛び出た一辺が目についたらしい。
壁に貼り付けられた一辺の白い面には「Play/Study」と書かれていて、表記の都合で「/」になっているけれど、3分の1が1/3と表記されるようなもので、本当は横棒の上に「Play」、その下に「Study」と書かれていた(作品名も《Play/Study》だった)。しかしこれを見た目通り分数だと捉えたら、「Study」の中に「Play」が含まれることになるし、現れてはいないものの、分数分の分数のごとく、「Play/Study」のさらに下に、例えば”Life”のようなものが基盤として潜んでいるかもしれない。
飛び出た一辺は階段側から見たら黒かったけれど、回り込むと鏡面になっている。そこからも半円が飛び出していて、どうやら貯金箱に落ちる瞬間の硬貨みたいに刺さっているらしい。その円の表面は青(と群青)と緑(と黄緑)でざっくり塗られていて、この日在廊していたAokidさんがたしかおっしゃっていたように、塗り分けられた青と緑はそれだけで海と大地を連想させ、円全体は地球を成していた。
私ははじめ鏡面側から”円”を覗いていたけれど、また回り込んで、改めて階段側の半円を見てみると、大地の、それに伴って海のかたちもまったく違っていて、鏡面側から見ていた”地球”にあまりに違和感がなくて失念していたけれど、鏡面の”向こう半分”が鏡像だったことに今更ながら気がついた。しゃがんで両側をいっぺんに見てみると、そこにはまったく違う大陸を持った地球が現れ、さらには上から覗いても、そこはまた異なる地球だった。

下から覗いた時には上側の地球が見えず、逆もまた然りなこと、そして鏡像の”円”を円だと勘違いしてしまうことは、他の作品にも通じていて、例えば窓際に置かれた《SHARK(立体)》は、青く塗られたダンボールがサメの背びれ型になっていて、下部にはキャスターが取りつけられ、動かせるようになっている。実際、30分300円で、街中を散歩させることもできるよう。
新しくなったオンゴーイングの床で転がすと思いの外すべりがよくて(外だとガタガタと波うつかもしれない)、その静かに水平に進む様は、海面を切り裂き進む姿を、あるはずのない、床下に泳ぐサメの体躯を連想させる。

同様に、屋上の菜園(最近植え替えられたらしく、整然と、まだ小ぶりでやわらかそうな植物たちが並んでいる)に紛れて置かれた鉢には、《EARTH & EARTH MAN》という、地球と地球柄の人が半身を土に沈めていて、その見えなさは、隣り合う植物の根の見えなさと通ずる。そして見上げると月を望むこともできて、月齢カレンダー曰く、この日はちょうど上弦の月だったらしいけれど、もう少しふっくらとして見えたそれの裏側を肉眼では見られないことも、ありもしないサメの体や、鏡像の地球と近しい。

…そんなことを思いつつ2階へ降りるとご本人がいらして、私を入れて4、5人の観客相手に即興のギャラリーツアーが開始された。
実はその前にもお姿は見かけていて、その時は、床置きの箱(これ自体も、《3つの60cm×60cmぐらいの面》という作品の一部)に投影された《Aokid 『○+□+△=動き・巡り→映画[コネリング・スタディ]』より》をしゃがんで眺めていた。階段を上がっていらした姿が、目の端に見るとはなしに見えて、てっきり屋上でパフォーマンス中かと思っていた(そしてなんとなく心構えをしていた)ので驚き、それもオンゴーイングが2階建て(+屋上)で、ある階にいれば当然他の階の様子はわからない、死角が多いことによる勘違いで、“見えなさ”という点で海中のサメに通ずるよう。
とにかく2階へ降りるとすぐに即興ギャラリーツアーがはじまって、「裏にも描いてあるんです」と《SHARK(ポスター)》をめくってくれたり、「この位置から見るのが面白いです」と《MANY MANY OCEAN 》(指の爪ほどの大きさに四角く切られたブルーシート1000枚が、壁面に貼り付けられている)を、屋上へ向かう階段の辺りから横に見ることを教えてくれたりした。
他のお客さんとの間でも、先の《SHARK(立体)》を少し転がしてみては次の人に渡す…みたいな遊びが生まれたり、《Play/Study》の近くに配置された《Draw, cut and paste body #1》、人と地球?のドローイングがそれぞれ紙人形みたいに付いた棒を、壁面に掲示されたドローイングの上で動かしたり、他の方がやっているのを見たり…という交流が生まれて、これは、私は参加しなかったものの、会期中の「音楽2」というイベントで、その場に居合わせた人で即興バンドを組んだ(らしい)ことや、これまで何度も開催されているパフォーマンスイベント「どうぶつえん」とも、ごく小規模で短時間のかかわりながら通ずる気がする。

再び屋上へ戻ると、前回の齋藤美卯さん・金珉華さん「*」でも、お二方の作品が取り付けられていた木枠、そこには《Sun! Flower!》が先ほどからずっと取り付けられていたものの、すっかり陽の落ちた中では見えづらい。しかしその見えづらさ、というか見やすさの変化は、何度も繰り返しているサメの背びれにも、この屋上を舞台にした《ART CENTER!》(競泳水着に帽子、ゴーグルと水泳選手のような姿で踊るパフォーマンスで、1階から2階へ上がる階段の途中に貼られたプランドローイング曰く、”きまぐれな時報”らしい)が、その気まぐれさ故に目撃できないこと、カレンダーに記載されたイベントすべてを見届けることのできなさとも通じている気がする。
しかし、暗がりの《Sun! Flower!》からも、夕方に見た時の感じを思い起こすことはできるし、それに目が慣れてくれば、もちろん明るい時間帯とは見え方は違うものの、それでも輪郭がたち現れてきて、そんな“見えなさ”と、それを時間をかけて想像し補うことの二つが、Aokid さんの作品やパフォーマンスには通底している気がする。

5月11日(木) 会期終了3日前。「それぞれのストリート〜音楽、アート、ダンスの現場から〜(ゲスト:トモトシさん、zzzpeakerさん)」(19:00~)

そしてここまで書いた11日の夜には、前述の「それぞれのストリート〜音楽、アート、ダンスの現場から~」に参加した。総勢15人を超える大所帯は、ストリートへ繰り出す前にAokidさんの弾き語りであたためてもらって、小川さんの愛犬の「ワン!」に呼応するように「ツー!」「スリー!」と駆け上がるカウントは「テン!」で「天」にシフトして、そこへ向かうべく、今、私たちが身をあたためている「地」へとたどり着いた(はず)。その声に励まされるように外へ飛び出た一団は、吉祥寺駅方面へ向かいつつ、道中の、教会横のコインパーキング、ヨドバシカメラ向かいの不動産屋?、サンロード入口、平和通り、駅前のバス案内所と河岸を次々変えながら“街茶” (トモトシさんと花崎草さんが、時に地べた、時にベンチにカセットコンロを置き、その場で緑茶や台湾茶…と色々なお茶を振る舞ってくれるというもの)をしつつ、サンロードや平和通りでは、Aokidさんが、通りすぎる歩行者やバスと瞬時に関係を結びつつ、また解きほぐすようなダンスを仕掛け(その対象は、駆けつけたお巡りさんにも及んだ)、何人かの参加者さんもそれぞれのダンスを模索していたし、私みたいに見ているだけの人も、人を避けたり見える位置に移動したりするその所作が”ダンス”になっていたかもしれず、たまたま通りがかった方たちの反応も、それが好意的であろうと攻撃的であろうと、ダンスと対置されることでダンス的な様相を帯びていた。
そして、それまで頃合いを見計らっていたzzzpeakerさんは、駅前でストリートライブをいつの間にか開催しており、「今しかないのにカレンダーへ予定を書き込んでいる」、「厚化粧している」といった叫びを、足早に駅へ向かう人やバス待ちの人へとぶつけていて、このイベントの直前にも、西荻窪駅の南口前で歌っていらした。その時は、“平凡な”夕暮れの駅前を特別な瞬間に仕立てるような、周囲の空間、見え方をやわらかく変容させるようだったけれど(「寒い日には火鍋」「暑い日は冷やし中華」…という語のつらなりが特に)、それから数時間後に披露された歌はもっとゴツゴツしており、トモトシさんが“街茶”する集団を、Aokid さんが踊る身体たちを街に差し挟んだ結果、時に“異物”として排除されたり奇異な目で見られたりした…そのことと呼応するようで、言葉であるという伝わりやすさと、音というある種強制的なものとを兼ね備えた、歌の力を感じさせて、ラストにふさわしかった気がする。

こうまとめると、すごく安定したイベントのように思えるけれど、実際は、次の瞬間何が起こるか本当にわからない状況で、始終ハラハラしていた。しかしその中で供されたお茶がその緊張をほぐしてくれて、なにより、お湯が沸くまでの待つしかないひとときが、長引くほどに”何か”が起こる可能性を高めると同時に、流れる日常へ“くさび”を打ち込んでいくようで、街を行き過ぎるだけなら立ち止まらない、通りもしない場所に長居し、向かいのヨドバシカメラの眩さや、”冒険”をうたう旅行のCMが流れる街頭モニターを仰ぎ見る心地は、心細い異邦人として街を外から観察するよう(冒険という点ではよほどこのツアーの方が冒険的だったと思う)。そしてこの時間は、オンゴーイングの柱に取り付けられた浅い木枠、そこに敷かれた土の上でテニスボール大の地球と鏡が向かい合っている《Glowing up》で、地球の”表”と”裏”を同時に見ることとも通じていた。

そしてオンゴーイングへ”帰る”(オンゴーイングはいつもどきどきしながら行くところで、帰るという感覚ははじめてだった)道すがら、偶然別のストリートミュージシャンの方が演奏中で、時間の関係で足を止めることは出来なかったけれど、当然ながらzzzpeakerさんとは歌い方も何もかも全然違っていて、その違い自体が、とても豊かなものに思えて嬉しかった。
その後のトーク、というか感想戦は、一日の終わりに出来事を日記へ書きつけていく営みと似て、その内省がまさに「Play」と「Study」の間を反復横跳びするみたいで、そうした瞬発力がAokidさんの作品やダンスを支えているのだろう。そしてこの日のイベント自体が、先日の即興ギャラリーツアーで、ブルーシートの小片1000枚でできた《MANY MANY OCEAN 》を、階段横から眺めるとまた違って面白いことを共有してくれたように、都市を正面からではなく横から、想定されていない場所から見ることを教えてくれたようで、参加者それぞれが踊ったり、花壇とベンチの間に身を滑り込ませて見ていたりすること自体も、見るアングルを変える試みのひとつだったのかもしれない。

帰り道に改めてサンロードを通ると、先ほど通った際にも全員で見つけた、オンゴーイング寄りの出入口に置かれた通行禁止の標識や、その手前のミントグリーンの柱に貼られたzzzpeakerさんのドローイングはまだ無事で(柱のドローイング1枚だけは、その2日後にもまだあって、さらに4日後にもはがれかかってはいるけどあった)、それよりもっと駅よりの柱、さらには駅前入口、Aokidさんが先ほど踊った辺りに置かれた自転車注意の看板にも貼られていて、数時間前のzzzpeakerさんの歩みを逆走するかたちで追体験することは、その日脱ぎ重ねられた衣服からひととき生まれた”彫刻”の写真《20230423》《20220822》《20230122》《20210629》から、その日の気温やAokidさんの行動、その時の居所を想像することと近しい。
そして電車の中で、読みさしの保坂和志さん『ハレルヤ』を開くと、2ページほどで『この社会の核には「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」などを伝染させ、人間を常態として萎縮させつづけるという統治の技法がある。』(新潮文庫,p.100)という、酒井隆史さん『通天閣』からの引用に行き着いて(『通天閣』自体を確認しておらず、孫引きはよくないけれど、私にとっては保坂和志さんが引いているだけでほぼ事実のようなものだ)、街中で歌い踊り、お茶をするのはもちろん、それを見聞きする、あるいは偶然通り過ぎるだけでも、その”統治の技法”に抗う身ぶりのひとつとなりえたのかもしれない。

5月13日(土)会期終了前日。トーク「Aokid×東野哲史」(15:00~)

前回11日に伺った時もカレンダーは更新されていて、たとえば5月7日(日)の欄には、知らず終わっていた「三野新さんに聞く、現在のニューヨーク。アートやパフォーミングアーツについて。+Aokidミニライブ」が、当然ながら11日の欄には、私も参加した 「それぞれのストリート〜音楽、アート、ダンスの現場から〜」が記入され、向かって右の壁面には、「Aokid」、「トモトシ(TOMO都市美術館)」、「zzzpeaker」とそれぞれ書かれたA4ほどのわら半紙が3枚掲示され、その周りには、以前のイベントの記録や痕跡も残されていた。

2日後の今日、その前日に急遽アナウンスされた東野哲史さんとAokidさんとのトークを聞きに行くと、カレンダーにはしっかりと「アーティストトーク Aokid ×東野哲史」と書き込まれていて、昨夜の「アートセンターを思い描き合う会(ゲスト: 齋藤直紀さん、平野遥さん)」のアーカイブも残されていた。
読むことは参加することには敵わないかもしれないけれど、アラン・カプローからNadegata Instant Party、トークンアートセンターと古今の作家や取り組みを挙げつつ、アートセンターを改めて定義、拡張していくその営みの中で「鍵があき続けている家」という一言が出てきたらしいことは窺えて、1階のスペースが、お客にとってはカフェでありながら、小川さんやスタッフの方、作家さんには仕事場であって、同じテーブルが時に食卓、時にデスクと切り替わることを、その言葉が的確に表している気がした。

そしてこのトークもリアルタイムで記録されるようで、奥のテーブルに東野さんと向かい合って座ったAokidさんは、手元の壁に紙を貼って即興のボードを作り、東野さんの発言をメモしたり、ご自分のイメージを図解したりして、展示会場や造形大ですれ違ったというお二人の接点に始まり、東野さんの作品から感じる「他者性」、2Fで常時ワークショップを開催する当初のプラン(《Play/Study》はその名残のよう)についてや、舞台作品と日常の距離(客席への違和感、見てる人をダンスに誘うようなダンス)、そして資本主義…と、坂口恭平さんの言葉を引き合いに出しつつ話を広げていく。それに対して東野さんは、パフォーマンスというよりもあくまでインスタレーションの中にいること、自宅のガレージをそのままアートスペースにしたいという腹案、折しもこのトークの直前に5000日を達成した鼻毛への水やりが、鼻毛本体を育てることはないけれど、その周りの苔を伸ばし、そしてその所為で、鼻毛自体が行方不明になっていることなどをお話されていて、率先して他者と関わろう、引っ張ろうという意気込みの感じられるAokidさんに対して、東野さんはまさに“鼻毛”のような佇まいで、鼻毛に水をやるという日課があるからこそ、同じ培地の苔が意図せず育つように、ご本人が展示空間にいることで周りを豊かにしていくような、そんな触媒めいた在りようが対照的だった。
終わりには、東野さんの、カラオケマシンのカラオケになる?という作品が再演された。それは、Aokid さんが歌う『マリーゴールド』に対して、東野さんがイヤホンでリアルタイムに音源を聴きながら、その伴奏部分を口で再現するというもので、原曲に疎いものの、東野さんの、まさに口三味線といった風情の伴奏と、Aokidさんの“アカペラ”は、東野さんがイヤホンをしていることもあいまって平行線の印象が強くて、でもその響きは、川島素晴さんとかの、実験性、舞台性の高い現代音楽(どなたの作品か忘れたけれど、ヘッドホンを着けた演者たちが、同じ舞台上にいながら、それぞれ相手の演奏を聞かずに演奏するというものもあった)とも近しいものが感じられて、まさしくお互いがお互いにとって“他者”である感じは、郡司ペギオ幸夫さんが『やってくる』(医学書院)の中で提唱している「ダサカッコワルイ」とも通ずし、さらに言えばAokidさんは、その概念を着想とした《ダサカッコワルイ・ダンス》(キュレーター:山崎広太さん,出演:白神ももこさん、大塚郁実さん、鶴家一仁さん、山野邉明香さん、宮脇有紀さん、阿目虎南さん、横山彰乃さん,2023年2月10日)にも出演なさっていた。
そして、東野さんの他者性の強度は、Aokid さんがご自分の作品を紹介すべく開いたyoutubeでひととき流れたCMとは比ぶべくもなくて、単に異物としてあるだけでは足りなく、揺るがないふたつのものが隣り合うことの必要性を示すようで、その在りようはやっぱり触媒めいている。

トークの直後、屋上でのパフォーマンス《Art Center》をやってくださるということで、道路を挟んだ向こうの通りに出て仰ぎ見ると、水泳選手スタイルのAokidさんの“時報”が見えるものの、その足元がオンゴーイングの縁で見えないことはシンクロ(今はアーティスティックスイミングと言うのだろうか)みたいでもあり、鉢植えの《EARTH & EARTH MAN》みたいでもある。そして、公道に立ち止まって斜め上を見上げる私たち(小川さんに、私を含むお客4人)は、通行する人たちにとっては不思議極まりなくて、Aokidさんによってひとときパフォーマーにされていたとも言えるかもしれない。
Aokidさんがパフォーマンスを終えて戻ると、そこには《Sun! Flower!》が見えて、あたかもオンゴーイングの屋上から直に生え、その根を2階、1階…と下ろしているようで、会期3日目には何も生えていなかった《EARTH & EARTH MAN》の鉢植えから、15日経った今日はふさふさと葉が茂っていたこととも通ずるだろう。

会期終了後

最終日は行かなかったものの、展示として比較的固定されていた2階でもダンスが行われたりしていたそうで、外へ外へと広がっていった中で培われたものが内へともたらされたようで、《Sun! Flower!》が“根”を伸ばすその土壌を耕しているよう…だったんじゃないかと想像している。
そして、4月28日に拝見したこの展示の感想を5月10日から書き始めたものの、日が経つ毎にイベントが追加され、参加しては書いて、あるいは参加しなくても、そのアーカイブやSNSの投稿から想像して書いて…と、逃げ水を追うように今日まで書いたことも、私の酔狂ではありつつ、この展示だからこそ起きたことで、Aokidさんのダンスにつられたと言ってもいいかもしれない。

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