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地主麻衣子さん・中野由紀子さん・副産物産店(矢津吉隆さん+山田毅さん+足立夏子さん)「Kunitachi Art Center 公開制作プログラム【GEI SHOW HALL 2023】」(2023/5/20~24, 5/26~6/4)

谷保駅で降りたのはこれで2回目で、今回も、くにたち市民芸術小ホール(「くにたちしみ…」くらいまで言うと、「芸小ホール?」と問い返されるほど、地元では親しまれているらしい)が目的地だったけれど、今日は2階のギャラリーではなく地下1階のアトリエに用があって、それは、Kunitachi Art Center 2023 初日の20日から24日まで開催される、地主さんの『「ことば」の風景/「え」の風景』というワークショップに参加するためで、開始時刻の12時半めがけ、普段より早めに家を出ていた。

アトリエでは既に数人が、小学生くらいの男の子も含めて絵を描いている様子で、中央の、奥へと縦長に連なった木製の机(図工室のようで懐かしい)に、ひとりずつ、距離を取りつつ掛けていた。そして一番手前の席で作業していらしたのは公開制作中の中野由紀子さんで、てっきりワークショップとは別々の場所かと思っていたので、嬉しい驚きだった。副産物産店のお三方はいらっしゃらなかったようで、結局公開制作も見逃してしまったようだけれど、たしかアトリエの隅に割れた陶磁器がいくつも置いてあって、もしかするとそれが「国立サルベージプロジェクト2023」の一部だったのかも知れない。

5分前だけど遅かったかな…とやや戸惑っているとすぐにいらした地主さんから、これから1枚ずつ、計3枚の文章を渡すので、著されたそれら3つの風景(地主さんが国立を実際に歩く中で目撃した風景らしい)を順々に描いて3枚の絵を完成させてほしい旨を教示され、加えて、なるべく他の方の作品を見ないでほしいとのことだったので、イーゼルを借りて(今まで使ったことがなかった)、レンガ造りのピロティ/野外展示場で、階段状の植栽を見やりつつ描くことにした。外で描くのは私ひとり…かと思いきや、先ほどまで机で書いていた男の子も、アトリエから出てすぐのところにイーゼルを立て始めて、もしかしたら、外で描くのいいじゃん、と思ったのかもしれない。

1時間で3枚のはずが結局3時間は掛かってしまって、それは絵の具を使うのがあまりに久々で、まごまごしていたからという理由が大きいけれど、文章中のモチーフを矛盾なく配置するために、たとえば、“手前と奥にあるふたつの小山”の内、手前の山は太陽を浴びていて、奥の山のてっぺんには大きな丸い影が落ちるには、これら双子の山はどの程度離れていて、日はどちらから射しているのか…といったことを、よくよくイメージしてから描きはじめる必要があったことも影響している(それでも、他の参加者さんはむしろ1時間かからずに終わっていたけれど…)。
そうした構図の面では最初の“ふたつの小山”が最も入り組んでいて、それは190文字ほどの比較的長いお題の中に、小山、植物、日差しと日陰、れんが色の建物、空…とモチーフが多く含まれていたからで、複数の要素同士の関係へ同時に注意を払うことは、こうして文章をしたためる際に、今の流れに沿って言葉を紡ぎつつ、思いついたことごとを、ふさわしい場所が来るまで忘れずにとっておくこと(メモすることもあるけれど、メモすること自体で変質してしまうところがあるようで、できれば頭に留めておきたい)とも通ずる気がする。

こうしたワークショップで絵を描くのは2回目で、今年3月に行われた「アーツさいたま・きたまちフェスタ Vol.9・ASK9 “ART-CHARI”」で佐塚真啓さんが開いていたワークショップ「人生に彩りを添える新しい自転車の使い方を考える会」の一環として自転車を描いた以来で、今年は外で絵を描く機会に恵まれているらしい(7月にも、佐塚さんが青梅の玉堂美術館で開催される写生教室に参加するので、今年は本当に外で絵を描く1年らしい)。その時は目の前の、赤い車体のやや小ぶりな自転車を見ながら1時間ほど写生するというもので、地主さんのワークショップが、文章から想像した各モチーフを適切に布置する点でマルチタスク的だったのに対し、自転車を写生することはむしろ発掘、あるいは顕微鏡のピント合わせみたいで、「見える」を積み重ねることで見えていないものを炙り出していくような営みだった。
地主さんのワークショップでもそうした感覚はあって、それは最後のお題、“ふしぎな形の切り株”を描写した、60文字ほどの文章からイメージを膨らませた時のことだ。“恋人たちのような、母親猿にしがみつく子猿のような”切り株という、もはや風景ではなくひとつのモチーフについて考えを巡らせ、そして絵に落としこんでいく試みは、同時並行で進めるというよりは積み上げていく感覚で、自転車のハンドルを描く中で伸びるケーブルを発見し、それを目で追っていく内に、さっき前輪を描いていた際には気づかなかったブレーキを見つける心地と近しい気がする。

“ふたつの山がある風景”と、“ふしぎな形の切り株”の間には2つ目のお題があって、それは“丸い筒の先に見える道路”だった。このお題は3つの中で一番描きやすくて、その理由は、110文字ほどと最初のお題より短かったこと以上に“馴染み”があったからで、それは、埼玉県立近代美術館のコレクション展で、遠藤利克さんの《泉-9個からなる》が展示されていた際、焼成され炭化した丸太の中空をしゃがんで覗いたことがあって、その時の、作品内側に走る縦の亀裂が印象的でよく覚えているのだけど、“丸い筒を覗き込むと”の一言でパッとその光景が思い出されて、後はその先に見える道路と自動車、筒の内側に落ちる光と葉陰をイメージするだけでよかった。しかし、炭化した中空の木材をイメージした割には黒々とは描いていなくて、これまでで一番身近な筒である、ドラえもんの空き地に置かれた3つの土管のイメージも混ざっていたのかも知れない。
こうして描かれた風景はまったく地主さんが見た国立の光景ではなく、いわばそこに私の記憶やイメージが混入したようなものだけれど、3枚描く内にそういうことはしばしば起きた。

一週間後、2階ギャラリーで行われている成果展を訪れ、壁一面に展開したワークショップ参加者の作品を一望すると、他の参加者さんにもそういう“混入”、というか創作は起きていたことが見てとれた。
小山、筒、切り株というモチーフはもとより、個々の構図もちらほら共通しながらも、たとえば、二つ目のお題では、覗いた筒の向こうに見える車の色なんかは文中で言及されておらず、そのため各自の判断が色濃くて、黄、赤、白、茶、灰色…というバリエーションは画面の配色を勘案したものだったり、単に好みの色だったり、あるいは何か思い出を刺激されたりして生まれたのかもしれない。

展示空間には、参加者に呈示された文章も並置されており、「え」と「ことば」を見比べることができたけれど、参加者はワークショップ終了後、地主さんから、それらが実際どこの光景だったのかを教わっていた(展示はされていなかった)。3つの文章が、全て芸小ホールから歩いて数分の景色で、“ふたつの小山”にいたっては、3時間陣取っていた階段下のピロティ、そこを上がってすぐ左手にあったことを明かされることは、心理学の実験におけるディセプション(実験の都合上必要なごまかし)とデブリーフィング(事後説明)のよう。そもそも絵を描くことが描画療法やバウムテスト(3枚目の“切り株”はとりわけ)を連想させたり、“小山”→“筒”→“切り株”という描く順番自体、飛行機を離陸させるがごとく、徐々に説明が減っていくことが肝だったりと、心理学的な要素が多くて、それは、地主さんの《馬が近づいてくる音》(2014)や《欲望の音》(2018)といった、戦争や労働、欲望についてドラマーの方と対話する中で変化していく演奏のダイナミズムを捉えた作品群にも通ずるかもしれない。

そして、実際の光景を地主さんが「ことば」にし、それを参加者が「え」にするという伝言ゲームには、地主さんが「ことば」を紡ぐ際の癖も影響しているはずで、ポートフォリオサイトの「Works」から「text」ページへ飛ぶと以前の文章が読めて、その中でも特に『ボラーニョとすべり台』(2012)の、ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』から受けた印象を“公園のすべり台”になぞらえる語り口は、国立の光景を切り取る手つきとも通ずるし、同時に、読み手としてご自分のイメージを付加していく様子は、ワークショップの参加者たちがお題のそれぞれへ思い思いに自分の好みや思い出を重ねていくこととも似て、地主さんのワークショップでありつつ、ご本人も参加者のひとりであったのかもしれない。
そして、参加者が文章を読む時の態度、イメージと結び付く思い出の有無や、そもそもイメージをどれだけそのまま出力できるのか…という技術的な面まで、至るところに“おぼつかなさ”が漂っていて、そのおぼつかなさは、AIがお絵かきだけでなく、“人生相談”の相手すら務められるようになりつつある(実際、地主さんはこれら3つのお題をAIにも描かせてみたらしい)現在において、排除すべきエラーとして扱われている印象だけれど、むしろ面白さの源泉のように思える。たとえば、比較的忠実に描いたと思しき絵の中に、かなり抽象度の高い作品が混ざっていたり、あるいは文章中にない要素を足したものがあったり(たとえば切り株の中央から生えた植物)と、そういう“ゆらぎ”が壁一面の成果物には生まれていて、それは、地主さんの言葉を即興演奏に変換していくドラマーと通ずるだろう。

そうした“変換”の手つきは、「VOCA展2023」で発表され、この場にも展示されていた《フォトン》でも見られて、“薄いグレーから濃いグレー、でも向こうはピンク、オレンジ、薄いオレンジ、黄色、紫、ライラック、ピンク、空の上は薄い薄い青”…と、日の翳りと共に変わる街と空の色を見上げるように名づけていくことは、映像としては拡大され過ぎて霧消した夕刻の光景(むしろ遠目に見た方が像は鮮明だけれど、そうするとヘッドフォンが届かなくて、その“ままならなさ”も好い)を、鑑賞者ひとりひとりの胸中に“再現”する試みだった。そして、語り手である吉﨑有希絵さんの目に映った色彩と、自らが抱く色のイメージとを照らし合わせつつ《フォトン》を見聞きすることは、地主さんの描写した風景を、参加者が自身のこれまでと重ね合わせつつ描くことと近しくて、鑑賞すること自体、一種の創造であることを感じさせてくれた。

芸小ホールの2階ギャラリーは出入口から見ると横長になっていて、向こう側に見える長辺は吹き抜けになっていて磨りガラスの入った胸高の手すりから、1F出入口の辺りを覗き見ることができる。ワークショップ参加者の「え」は、入って左手の壁にお題毎に散りばめられ、《フォトン》のモニターは、それらと向かい合うかたちで磨りガラスを背に置かれていた。
そして、横長のギャラリー空間を“第1室”、“第2室”と分けていた、やや出入口寄りの壁には《「ことば」の風景(東京都国立市)》と題された13枚の紙が一列に貼られていて、地主さんが3つのお題とは別に、国立で見かけた光景が描かれている。そこには“頑丈な柵に囲まれた正方形の建物”が繰り返し描写されていて、はじめは、同じ対象について距離感を変えて書いているのかと思ったけれど、読み比べていく内、たとえば柵の色が焦げ茶色だったり深緑だったり、あるいは周囲の植え込みが定期的に手入れされている場合もあれば、伸び放題の場合もあったりと、“正方形の箱の上に、一回り大きい正方形の板を載っけたような小屋”と繰り返し形容される建物が、どうやら何ヵ所もあるようだ。給水施設か何かだろうか、と思いながら読んでいたけれど、後日、地主さんのSNSを読むと「水源井戸をことばで描写した」と書いてあって、あながち的外れではなかったらしい。

読み進めていく内に、ひとつの対象だと思っていたものが増えていく、実は複数だったことに気づいていく感じは、ワークショップ終了後、教わった3つのお題の場所を巡ってみた際にもあって、“ふたつの小山”と“筒”は発見できたものの(どちらも子どもの遊び場だった)、“母親猿にしがみつく小猿のような切り株”はどこか分からなくなってしまった。
それがかえって、Kunitachi Art Center を巡る間、出会う切り株をことごとく“母親猿と小猿”に見せていて(そしてすぐ違うと気づく)、地主さんの「ことば」が、参加者の数だけ「え」となったこと、そしてその「え」が、新しい光景と結びつく、たとえば、位置的に地主さんが見たものではないはずだけれど、自分の描いた“切り株”にはよく似た切り株を見つけるようなこともあって、そう考えると、生まれた「え」の数だけ、また新しい「ことば」や「え」を生んでいるかもしれない。

光景、という点では中野由紀子さんと副産物産店にも通じて、「ごく個人的な記憶の一部」と題された中野さんの公開制作では、30年近くお住まいの場所に関する記憶を作品にされていたようで、私が訪ねたのは初日だったためまだ無かったけれど、アトリエの壁に段々と作品が増えていくというものだったらしい(Kunitachi Art Center 公式サイト曰く)。地主さんのワークショップに参加している時は、いっぱいいっぱいで制作を見学することはできなかったけれど、終わった後でふと窺うと、半畳ほどのシール用紙?とトレーシングペーパーとを、スタッフの方と一緒に、あたかもピクニックシートの両端を持って敷き広げるように貼り合わせている最中だった。
そうして作られたであろうドローイングの数々は、地主さんの《フォトン》が背にした磨りガラス、その表面に散りばめられていて、ドームやフェンス、門のように見えるそれら(と、たくさんの植物)はデフォルメされており、具体的にどこかということは分からない。

以前の個展「あまり知らないところで」(亀戸アートセンター,2022/2/26 ~ 3/13)では、会場周辺の風景をドローイングにしておられて、切り抜かれたモチーフが一面に広がった壁は、子どもが自分にとって嬉しいもの、面白いものを大きく、ランドマークとして描いた地図みたいだった。
今回も、点々と貼られたドローイングは磨りガラスを地図と成していて、極めて個人的ながら、どことも判然としないからこそ、見る人それぞれの記憶と結びつくことは、『「ことば」の風景/「え」の風景』や《フォトン》と通ずるだろう。

“第1室”と“第2室”とを分ける壁、その第1室側に貼られた、地主さんによる13枚の“文体練習”と背中合わせに中野さんの絵画作品が掛けられていて、さらにそれと向かい合うように、第2室の壁にもキャンバスが2枚掛けられていた。絵画作品でも、中野さんらしいデフォルメの施されたモチーフが画面に点在しているけれど、よく見ると、それらは置かれているというよりは水面に氷があっぷあっぷと浮かんでいるかのようで、そうした印象は、モチーフの輪郭へ打ち寄せるかのごとく塗られた“地”の色によるものだと思われる。
そして、“地”と言っても塗りつぶされているわけではないのも、水を連想させる。たとえば、第2室の壁に並んだ2枚の内、向かって左の《線路沿いの団地》では、顔を押しつけて見た金網みたいなイメージがスカイブルーの“地”から、あたかも鯉の背中が水面の奥に垣間見えるがごとく透けており、その“金網”はそのまま、黒の輪郭で縁取られた“窓”、その中に塗り広げられた、スノーホワイトとも言うべき少し蒼ざめた白の下へと続いている。
傍らの《学校》でも、画面右側に立つ、ヤシの木みたいな2本の樹のトゲトゲとした葉や、左に3つ並んだゴミ箱?のメッシュと呼応するようなストロークが白い“地”の奥に覗いている。
こうした透け感の違いが遠近、というより、テーブルクロスに落ちた水滴の部分だけ、模様が魚眼に拡大されて見えるような面白さを生み出す点は、ドローイング作品のところどころに開いた窓の中でも、トレーシングペーパーが挟みこまれた部分とそうでない部分があって、その違いが、透明なガラスと磨りガラスのように機能していることとも通ずる。

“地”の向こうから見えるのは別のイメージだけでなくて、たとえば、“第1室”と“第2室”を区切る移動壁に掛けられた《駅前》では、描かれた植物や綿々と続く車窓のような矩形、金網みたいなオレンジの線を間近で見ると、あたかもモチーフという砂浜に海が打ち寄せるように“地”の白が置かれていて、その下から、波紋のごとくモチーフの一回り大きい輪郭が見えている。
これまで“地”とカッコ付きで呼んでいたのは、図と地の“地”ではあるけれど、下地ではないということを明確にしたい意図があって(大して効果的ではなかったけれど)、素人目で怪しいにしろ、《駅前》では、黄色がかった緑→青緑→明るめの緑→オレンジ→白→黒のような順番でレイヤーが重なっており、少なくとも“地”の色である白は下地ではないよう。こうした色の配置や、モチーフの輪郭が“地”の色越しに見えることは、これまたドローイング作品で、壁や窓に貼られて直接は見えない裏面にも、オレンジや青が彩色されていることで、あたかもバックライトや光背のごとく、白い壁面や透明な面に反射した色彩がそれらとの隙間から幽かにこぼれていることとも通ずるだろうし、こうして様々な色がサンドイッチされている様子は、地主さんの《フォトン》で、空にいくつもの色が名づけられることとも近しい。

中野さんが個人的な記憶の断片から作品を生み出したように、副産物産店(矢津吉隆さん+山田毅さん+足立夏子さん)は、そのプロジェクト自体から言って、まさにある営みの痕跡、断片を扱っている。
“第1室”の角には、《BYPRODUCTS CHTCHER》と名付けられた、展示でなかなか見ることのないクレーンゲーム、それもやや古めかしくて無骨な型のものが置いてあって、3回100円を2度繰り返し、ようよう手に入れたガチャポンの中には「陶芸の副産物」が入っていた。白くて細長い手が折れたようなもの、赤い仮面を着けた、黒つるばみ色の“こだま”のようなもの、“こだま”と同じ色をした、分厚いボタンのようなものは、手のひらに3つ載せてもまだまだ余裕があるほど小さくて、それらが一体どんな作品の制作過程で生み落とされたのかは見当もつかないけれど、“第1室”中央に置かれた《国立サルベージプロジェクトの副産物》というインスタレーションを見ると、中野さんが切り抜いたと思しきシール台紙や、地主さんのワークショップ参加者が使った?紙パレットも含まれており、そうした痕跡を読み取ることができたのも、公開制作中のアトリエを訪れていたからこそで、《BYPRODUCTS CHTCHER》から出てくる副産物の数々も、暗号のようなものかもしれないし、そうした点で、中野さんの作品とも通じているだろう。

そして、“第2室”中央には、旧国立駅舎の部材が黄緑色の荷締めベルト?で結わかれた《bench》(座面をはじめ全体的には木材で、脚の部分は金属になっている)が置かれており、座って、資料として置かれた『旧国立駅舎の思い出』という冊子を開いてみると、国立市にお住まいの方々から、駅舎にまつわる思い出として寄せられた文章や絵が一望できて、思い思いの画材やアングルで描かれた駅舎に表れた“広がり”は、地主さんのワークショップをはじめ、中野さんの作品や、副産物産店という営みとも通ずるようで、このグループ展は、“ことば”や“え”が人から人へ渡っていく中で変容していく面白さ、美術に限らず、芸術全般に宿る豊かな生命力を体現するようだった。

帰り道、再び切り株を探す中でたまたま見つけたお店は、この前地主さんから教えていただいたパン屋さんだった。遅いお昼としてカレーパンを向かいのベンチで食べながら、5本並んだ高い木越しに見えるパン屋を、私なりの“ことば”に置き換えてみる戯れや、買って帰ったきな粉ドーナツを食べながら、おみやげ話をすることも、景色が“ことば”に、“ことば”が“え”に変容していく大きな流れの一部なのかもしれない。

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