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田中啓一郎さん「Expose」(ループホール,2023/5/13-6/4)

移転したループホールにお伺いするのは2回目で、1段1段が高めな階段を上がったすぐ左手奥にある扉を開けると、そこには白い壁に囲われた空間があって、杮落としだった下山健太郎さんの個展ではビリヤード台のような大作3台に隠れていたチャコールグレーの床も、今回はしっかり見えていて、奥の壁に開いた山なりの出入口が、以前のループホールの名残を留めている。

入ってすぐ右手の壁には、さっそく田中さんのキャンバス作品が掛けられていて、303mm×303mmの正方形に、厚さである30mmを足した値が、そのまま《636》というタイトルになっている。
張られた麻布の表面は鉛筆で一面精緻に塗られているものの、その濃さは一様ではなくて、中央に現れた、全体と比べて一回り小さい正方形が濃く塗り込められているのに対し、その周りは明るい黒、というより濃いめのグレーで、キャンバスをキャンバスたらしめている木枠、その存在をあぶり出しているよう。そしてキャンバスと木枠の境の部分は、特に黒く縁取られている。
キャンバスの四隅を見ると、縁取られた中央の正方形の横辺2本を、そのまま左右に延長したような線が薄く見えて、直接見ることはできないけれど、裏の木枠が、長めの木材2本を上下として、それらを支える形で短めの木材2本が左右に配され出来ていることも窺える。

そこから一歩奥へ進むと室内はにわかに広がって、振り返ると、先ほどは死角になっていた壁、《636》の掛かった入口横の壁と直角の関係にあるそこには《3670 #2》が立てかけられていて、タイトル通り1820×1820×30mmの大作だった。
正方形のキャンバスを鉛筆で塗っていくことは《636》と共通ながら(と言うより、今回の出展作すべてにあてはまる)、《3670 #2》の画面は3×3に9分割されていて、各正方形はそれぞれに異なる濃度で塗られており、左下の正方形がもっとも黒く、次いで濃く見える左上の1面は、少し離れた左手の壁に開いた窓、その磨りガラス越しに入る外光のせいか鉛色に光っている。そして、それら左下と左上に挟まれた中央左の1面は、一旦黒く塗られた後、白の鉛筆で上から塗られたらしく鈍色をしていて(木枠の“縁取り”も白鉛筆で成されているよう)、そこからさらに右横に並んだ2面は、左列の3面に比べればだいぶ薄いものの、それでもはっきりと灰色をしている(中央右の面の方が、ど真ん中の面より少し濃い)。
9面のうち残り4面、右上と右下、中央の上下については、たしか中央下の1面が下地の白そのままで、中央上→右下→右上の順で少しずつ濃くなっていったけれど、中でも一番濃い右上ですらほんのりと薄灰色になっているだけで、はじめの5面と比べたら“白”と言ってもいいくらい色味が違うので、キャンバス全体を見ると、黒と灰色のラインが十字架の左腕を落としたように描かれていて、1面だけ欠けた立方体の展開図みたいでもある。

それぞれの正方形を改めて見てみると、先の《636》のように木枠の輪郭が黒く、時には白く縁取られていて、9分割された画面をなぞるように、格子状に木材が配されていることがわかる(と言うよりむしろ、格子状の木枠を画面に反映させているのだろう)。そして、木枠の幅を“1”とすると、左列に位置する3面の左辺や、一番上の行に当たる3面の上辺のように、隣り合う面がない場合は、その“1”の幅がひとつのトーンで塗られている。しかし、隣り合った2面の間に位置する木枠については、“0.5”ずつ塗り分けられており、その差を考慮すると、9つの面全てが同じ面積ではなくて、4辺全てが別の面と隣り合っている真ん中の面が最小で、四隅の各面が最大、その面積差は木枠1辺分あることも見てとれる。

キャンバスの表面をよく見ると、塗りつぶすのではなく、目地の経糸・緯糸に沿って鉛筆の黒(あるいは白)が綿密に置き重ねされていることがわかって、その縦横の交叉は9面並んだ正方形と、その裏にある格子状の木枠、そして同様の手法で制作された周囲の作品、さらには白い壁と濃灰色の床から成るループホールの空間へと広がっていくよう。
加えて、山なりの出入り口の向こう側にある、店主・木村俊幸さんの仕事場スペースへ後ほどお邪魔すると、ギャラリースペースとの境の壁は一面格子状になっていて(補強でもあり、棚でもあるらしい)、その感じはまさしく田中さんの木枠と似ており、さらには木村さん曰く、マンションの一室という箱に、一回り小さな箱を入れたような構造となっているらしく、その入れ子状の感じも、キャンバスの輪郭の中に一回り小さな正方形が縁取られる田中さんの作品と通ずるよう。さらには、下山健太郎さんがこれらの施工をなさったそうで、そう考えると、その時の個展「Table of Contents」に展示されていたビリヤード台みたいな巨大コラージュ?作品と田中さんの作品も、どこか(たとえば箱や枠が中身を規定する点で)繋がる気がする。
仕事場スペース入ってすぐ左手の壁には、メインビジュアルに使われた作品が掛けられており(タイトルは分からず)、思った以上に小さかったものの、木枠に関係なく画面が4分割されていたり、角が斜めに合わさっているようだったりと、表のギャラリースペースの作品群とはまた違う規則に基づいているようだった。

前述の通り《3670 #2》は壁に立てかけられていて、それも向かって右側に重心を傾けたかたちなので、左側から回り込むと裏を覗き見ることができる。9分割の表面が予告するように裏の木枠は格子状になっていて、キャンバスの輪郭である4辺と、格子の縦軸はそれぞれ長い木材1本で、横軸は短めの木材を3本ずつ繋げている…かと思いきや、木目の続き方を追うとやはり1本のようで、格子の縦軸が上にくるように組まれていたからそう見えただけらしい。格子の交点には、2本ずつ釘が、右肩上がりに打ち込まれている。
キャンバスの下辺と格子の縦軸には“合印”とでも言うのか、「A」がひとつずつ床向きに書かれていて、そのふたつのAの頂点を貫くように線が引かれており、ちょうど木枠の真ん中に引かれた(ように見える)その線が、ひるがえってキャンバスに映しとられた木枠の輪郭、その上を二分するように走る線、というよりふたつの面の合わせ目と結びついている。

裏に回ったキャンバスの余りの部分は、裏側を見る機会が大してないため分からないが、それでも“普通”よりもたっぷりと余らしているように見えて、下の辺からそのまま床へ伸びたキャンバスの幅は100mmはありそうで、この作品に使用されている木材(厚さ30mm)が、もう3本は並べられそうだった。4辺ともそんな具合で余りが垂れ下がっているため、四隅はもちろん、キャンバスの各辺の処理がどうなっているかを直接見ることはできず、そう考えると、当たり前ながら鑑賞者は木枠の裏を見ているのであって、キャンバス布に接する面の木目は見ることができず、ただキャンバス面の濃淡から、縦の木材2本が、それらの幅の分だけ短い横の木材2本を挟みこむかたちで正方形を成しているらしいと推察することしかできない。

キャンバス作品の裏側が見えるように展示されていたのは、田中さんの個展であり、大久保ありさんのプロジェクトの一部でもあった「My answers:ワンダーフォーゲルクラブに入るための良い答え もしくは、四千円を手に入れるための まあまあな答え[田中啓一郎の応答]」(HIGURE 17-15 cas,2月25日〜3月12日)の大作《3674-My answer #2》でも同様で、高さ1820mmの木材が30本以上隙間なく横並びになって形作られたキャンバスは隅に立てかけられていて裏側が見えるものの、これまたキャンバスの余りが四方から垂れ下がっており四隅の辺りはよく見えない。そして表面には、並んだ木材の輪郭を1本1本映しとるかのように線が引かれており、木材のえぐれやちょっとしたがたつきまで再現されているものの、当然ながら木目までは見えず、キャンバス布自体がひとつの仮面のようにも思えた。

もう少し遡ってみても、《1990》《1020》といった、共に2022年の作品では、壁にきちんと掛かっているもののキャンバスの角がぴったりと折れ曲がったようになっていて(本を無造作に閉じた時、誤って折り込んでしまったページの端みたいに)、表側を向いたその“裏”面には、“表”面と地続きになるように色や形が描かれていた。同様に、2021年作の《1515 #1》《1515 #2》では、キャンバス全体がスケボーのアールのように弧を描いて90度湾曲しており、釘の穿たれたキャンバスの側面が作品の真正面を向き、左右(《1515 #1》はキャンバスの向かって右側が、《1515 #2》は左側がそれぞれ湾曲していた)に回り込むと、持ち上がった裏面の格子が確認できた。

あくまでここ2、3年の近作しか拝見できてはいないけれど、それでもキャンバス、もっと広く言って物事の表裏を撹乱する、疑ってかかるような作品が多い印象で、田中さんの作品を見ていると、ひるがえって、普段見えていないにもかかわらず自明と見なしているものの多さを突きつけられる心地がする。たとえばそれは、車窓から見えるビルの“裏”面がわからないけれど、見えている“表”を延長して勝手に補完していたりするような卑近なものから、もっと概念的なことまでをも含んでいるみたいで、自分に見えている側ばかりが表だとつい思いがちだけれど、他者の視点からはむしろ私の側こそ裏側のはずで、自分にとっての“裏側”を想像しつつ、その想像が裏切られる、むしろ相手が想像の範疇を超えてくる予感に身を委ねることが対話なのかもしれず、田中さんの作品はもちろん、美術を見る楽しみのひとつも、ここにあると思う。

そして、“キャンバスの裏”というのも象徴的で、来歴を示すラベルや書き込み、時に封蝋なんかも押してあって(Google Arts &Culture に、「作品の裏側-『真珠の首飾りの女』」というページがあって、タイトル通り、同作の裏を解説付きで眺められ、封蝋はベルリン王立博物館が押したものらしい)、さらには作品がどう制作され、展示され、修復されてきたのかという、作品の歩みが刻まれており、表以上に重要視されることも珍しくない裏側は、作家、所有者、研究者…といった限られた人にしかアクセスできない部分で、そんな裏側が作品の“表面”として開かれていることは、田中さんのキャンバス作品に、通常は省略される厚み、奥行きの値が毎回含まれていること、木材(松)、キャンバス布(麻)、タックス(鉄)…とひとつひとつ素材を列挙されていることとあいまって、作品をイメージや情報の産物から(もちろんこれらも大事だけれど)、厚みも重さもあるひとつの物体へと還元する試みのよう。

もう一度、《3670 #2》を木枠側から見ると、光の当たり加減か、中央下の下地むき出しの面が、右隣(正面から見た時は左下になる1面)の一番黒い面よりも裏からでもなお明るく、光が透けて見えていた。この見え方は、窓辺に置かれ、磨りガラス越しの光で透かされている《939 #2》と近しい。
《939 #2》は、タイトル通り縦303mm×横606mm×厚さ30mm(今回展示されている作品は、全て厚さ30mmのよう)で、高めの位置に開いた、明かり取りと思しき横長の窓と呼応するように、横長のかたちで窓辺に立て掛けられている。対して同サイズの《939 #1》は、同じ壁の少し離れたところに縦長で掛けられていた。
《939 #2》もこれまで通り画面は正方形に、今度は2面に分割されていて、向かって右側がほとんど下地むき出しに見える一方、左側の面は黒く塗られているものの、右に比べれば黒いという程度の薄塗りになっている。
その日はたしか曇りがちな晴れ、といった感じだったけれど、それでも日差しはある程度強かったらしく、《939 #2》は裏面から照らされ、影となった木枠の輪郭が、下地むき出しの右面でもはっきりと、塗られている左面では一層濃く見えており、縦横に走るキャンバスの筋も透け、左面の下辺の木枠沿いに入った裂け目からは、うっすら光がこぼれていた。

少し離れたところに壁掛けされた《939 #1》、その側面を見ると、縦の長辺には釘がそれぞれ5本打ち込まれており、底の短辺を覗き込むと3本で、《3670 #2》と向かい合う壁に、トランプのダイヤのごとく45°傾いたかたちで掛けられた、1辺が910mmの作品(おそらく、910×2+30で《1850》?)は7本、《3670 #2》では13本…と、釘はキャンバス各辺の両端に1本ずつ打たれた後、150mm毎に1本追加されていく?らしいことも予想されて、タイトルの付け方からキャンバスの塗り方、釘の打ち方に至るまで、厳密なルールに則っていることが伝わってくる。田中さんの作品を見る面白さのひとつとして、こうした法則を見つけていく、あるいは勝手に妄想していくことがあるかもしれない。

そして、明かり取りの窓がある壁と向かい合う壁にはタイトル通り《3670 #2 》の姉妹作に当たる《3670 # 1 》があって、基本的には同じ工程で作られており、黒と灰色のラインが十字架の右手を落としたように描かれた画面は一見《3670 #2》と鏡合わせのようにも見えるけれど、すぐに濃淡の配置が異なっていることに気づく。たとえば《3670 #2》では9面の左下が真っ黒だったのに対して、こちらの《3670 #1》では真ん中が最も黒く、そして《#2》では黒がちの3面が左の縦列に寄っていたのに対し、《#1》では中央の横1行が比較的黒くなっている。
しかし、斜めに掛けられた《1850》、白い下地そのままの1面が上を向き、そこから時計周りに真っ黒→チャコールグレー(黒の上に白が重ね塗りされている)→薄灰色の4面に分けられた画面の濃淡の配置をぐるぐる回してみても、《3670 #1》でははまらないものの(黒とチャコールグレーの面が反対になっている)、《3670 #2》では左下の4面とぴったりはまる(面積としては《1850》の方が一回り小さいけれど)。同様に、真っ黒の面と下地の面が縦一列に並んだ《939 #1》に、薄灰色と下地の面が横並びになった《939 #2》の配置も見比べてみると、これらについては《3670》シリーズ双方で当てはまって…といった具合に、入り口に掛けられた303mm×303mmの作品にはじまり、303×606、910×910、1820×1820とサイズが拡大するにつれ、1,2,4,9面と複雑さも増していきつつ、それでも相互に対応していて、それゆえ明快さすら感じられるのはどこかバッハの音楽を連想させて、そしてこれらの数値を改めて眺めてみると、1尺、3尺、6尺(=1間)となっており、「建築は凍れる音楽である」(シェリング?)という聞き覚えのある言葉が思い出されて、田中さんの諸作も、釘、材木、キャンバスが織りなす建築=音楽なのだろう。

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