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中島りか さん「□より外」(Talion Gallery,2023.5.27 - 6.25)

タリオンギャラリーは、目白通りに面した6階建ての目白カルチャービル、その地下1階にあるけれど、そのままビルの正面から入っても行き着かず、側道からビルの裏手に回り、外の階段を下りていかないといけない。そのためはじめて行った時(たしか2020年10月の、温田山[温田庭子さん・山下拓也さん]、NAZEさん、大岩雄典さんの「一番良い考えが浮かぶとき」だったろうか)にはずいぶん迷ったし、入り口を見つけてからも、そもそもギャラリーにまだあまり行き慣れていなかったこともあり、入っていいものかためらった。
今はすっかり慣れきって、路地に入り、ビルと駐車場との間を少し進んでいると、ビル側ひとつ奥の住宅?(人が住んでいる感じはないけれど、外から窺える間取りの感じは家っぽい)から、珍しくスーツ姿の男性が二人出てきて、それに気を取られながら左折し階段に向き直るとカラーコーンがあった。
カラーコーンと言っても赤ではなくて白いタイプで、人がすれ違うにはやや厳しい下り階段の真ん前に立っている。何故か、先ほど見かけた男性ふたりと束の間結びついて、お隣の工事か何かで休廊?と思って階段下のギャラリーを覗くと灯りが漏れていたので、コーンを避けて恐る恐る階段を下り、ギャラリーの扉を開ける間にも、ガラス越しの左手にまた白い無地のコーンが鎮座しているのが見えて、既にインスタレーションの中だったことに気がついた。

記帳した流れでコーンの裏に回ると、筍の皮を上から下へ剥いたように大きく裂けていて、中にはコーンと同じくらい白い仏像がかぐや姫みたいに入っていた。たまたまいらした中島さんがコーンの“皮”をめくってくれると観音様がお目見えしたものの、右脇には赤子を抱いていて、狩野芳崖の《悲母観音》を連想していたところ「マリア観音です」と中島さんが教えてくれた(後で作品リストを見ると、《あらわれのマリア》と題されていた)。
《あらわれのマリア》より手前、ギャラリー受付のスペースには長崎に関するリサーチをベースとした作品が並んでいて、入り口右手、《あらわれのマリア》と向かい合う壁には《マリアのよごれ》が掛けられており、白い壁面を透かすアクリル板の上には、指で擦ったような濃い紫色の“よごれ”が付いている。
「よく見るとマリア様の顔なんです」という見目さんの声を受けてじっと見ても、結局、顔には見えなかった。しかし、中島さんが長崎リサーチ中、たしかフェリーの中で見つけたという光景をUVプリントした画面にはうっすらと線も横切っていて、“マリア様の顔”だけでなく、その場の痕跡(壁と天井の合わせ目?)まで含まれていることは、外来の教えに色々な予期せぬものが付加されていって、独自の世界観を成すことを象徴するようでもある。

受付正面と、斜め左の奥まった壁には、それぞれ《マリアの身体1》《マリアの身体2》が掛かっている。マリア観音が、こんもりとした林に半ば埋もれるようだったり、あるいは瓦屋根の日本家屋に十字架が立てられた教会?(全く違っているけれど秋山佑太さんの《地蔵堂修繕》が頭に浮かんだ)の前に立ったりしている様子が、《マリアのよごれ》と同じくアクリル板にUVプリントで切り取られており、たとえば瓦屋根の向こうに広がる空からは、壁の白さが覗いていて、“マリア様の顔”が壁の染みとして浮かび上がるように、マリア観音と周りの風景がない交ぜとなってギャラリー空間に焼き付けられている(UVプリント自体、紫外線を照射して、専用のインクを瞬時に乾燥・硬化させているらしく、“焼き付け”のイメージが漂う)。そして周囲にまぎれるように立つ姿が、コーンの中に埋もれた姿とも近しくて、そもそも《あらわれのマリア》の佇まいからして、道の傍らに鎮座する道祖神や、小さなお社から垣間見えるお地蔵様とも通ずる。

まさに塞の神のごとく置かれた《あらわれのマリア》から先の空間は薄暗い。さらに、タリオンギャラリーの展示スペースはだいたい立方体で、普段は素直な矩形ながら、今回は右手から迫り出すように白いガードフェンスが壁と平行に2枚並べられており、そうして形作られたまっすぐな“道”は幅1.5人分くらいの隘路で、立ちはだかるコーンを避けて通った階段の幅が、そのまま廊内に持ち込まれたようだし、都心の、車道の脇に申し訳程度に用意された歩道もこのぐらいの幅しかないだろう(そして、タリオンギャラリーに初めて伺った時に開催されていた「一番良い考えが浮かぶとき」でも、天井まで届くバリケードが“道”を成していて、そこをくぐって鑑賞することが求められていた)。
フェンスには目隠しのビニールが張ってあって、ゆっくり通るだけでもサワサワと音を立てるけれど、そんな物音よりもずっと大きな音がギャラリーに入った瞬間から実は聞こえ続けており、それは、何か固いものをハンマーで砕いているような“騒音”で、その音源が、フェンスの向こうにあることはすぐに窺い知れた。
“道”を角までまっすぐ進み右折すると、フェンスもそのままL字に続いているものの、ビニールはもう掛けられていなくって、網目越しにフェンスの内側、L字の通路分ひと回り小さい矩形の空間が垣間見れた。

すぐさま目に飛び込んでくるのは大きく掲げられた緑十字で、長方形の白地の中央に配されていることから安全旗だと思われる(緑地に白十字は労働衛生旗だったり、いくつか種類があるらしい。そして旗にはそれぞれ掲揚期間があって、安全旗は6月1日~7月7日と、会期とかなり重なっている)。安全旗は、一回り大きな正方形のフェルトに、漢字の“山”のようなかたちで、つまり、安全旗の上ふたつの角から両辺半ばまで、そしてそこから緑十字の“両腕”を通って、“頭”を突き抜けて旗の上辺に至る…といった具合に赤い刺繍糸でざっくりとなみ縫いされていて、向かい合った緑十字の“右腕”半ばあたりからは余った糸が垂れ下がっており、槍で貫かれた脇腹から血を流すキリストのようでもある。
《緑十字の聖骸布》と名づけられたこの作品は、安全旗の上の角ふたつと上辺真ん中から、それぞれフェルトの角と辺を貫くかたちで通った3本のロープで、受付スペースに面した壁の前に、天井から吊り下げられていた。

《緑十字の聖骸布》の手前、向かって右にはガラス壺が、左には台座のような白い立方体が置かれており、これら複数の作品が合わさって《□消し》というインスタレーションを形成しているものの、まず感じたのは“がらんどう”に対する驚きだった。
中島さんや、ギャラリーの見目さんとお話しする際にも少し難儀するほど響いていた何かを砕く音から、てっきり映像作品か何かが大音量で流れていると思っていたけれど、《□消し》の空間を見た瞬間、その勝手な思い込みが打ち砕かれて覚えた肩透かしの心地は、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という有名な句とも通ずる気がする。
しかし、この句は芭蕉作と言われてきたそうだけれど、どうやら横井也有という別の俳人の作で、なおかつ、元の句は「化物の正体見たり枯れ尾花」だったらしく、「也有」が「芭蕉」へ、「化物」が「幽霊」へと変わっていてしまったことは、やはり、伝来してきたキリスト教が、守られつつも避けがたく変容していくこととも近しい。そしてこの情報自体、検索して出てきたもので、それを私がその面白さゆえに鵜呑みにしたに過ぎず、本当のことかもわからないこの不確かさ、怪しさ、だからこその魅力は、今回の個展に限らず中島さんの作品にも通底している気がする。

そして、普通ならばフェンスの外に向かって高々と掲揚されるはずの緑十字が、地下のギャラリーの、それも最奥に掛けられていることも象徴的で、それだけで単なる目印から、崇拝すべき偶像へと変容したように思える。さらに、この受付に面した壁には、たとえば今年1月14日から2月12日まで開催された、赤羽史亮さん・小泉圭理さん・松尾勘太さんの「口肛具譚」で、赤羽さんの大作が掛けられていたように、大きな平面作品が掛けられていたり投影されていたりしている印象があって、そうした、いわばハイライトの作品が展示される壁は、それこそ美術館で、目玉の作品が専用の展示室にそれだけで展示されている様子なんかとも繋がるだろう。視界の中にごまんとある物体の中から、あるひとつを選んで注視すること自体がある種崇拝に近しいもので、逆に言えば、鑑賞されることが前提となっている作品の特権性は、聖別とも呼べるかもしれない。しかしここで面白いのは、この《緑十字》が壁に掛けられていたのではなく、壁の手前に、捕まった宇宙人式に吊られていたことで(そして、壁と《緑十字》の間には、ご丁寧にフェンスも半ば挟まっている)、あくまで“大作”・“目玉”に《緑十字》自体がなることを避けるような手つきが、ひるがえって、この作品を目印とも偶像ともつかない、あいまいなところへといざなっている気がする。その両義的なたたずまいは、コーンであり観音でもある《あらわれのマリア》にも通ずる。

L字に右折した先のフェンスは、漢字の“臼”を反転させたように、こちらに向かって斜めに開いており、そこから《□消し》の中に入ると、右手、ビニールが張られたフェンスからビニールなしのフェンスへと切り替わるその角の手前辺りに、つぶて状に砕けた壺があり、破片のひとつには「高麗大理石壺」と書かれた、製品番号入りのシールが貼り付けられたままになっている。
ずっと鳴りつづけているハンマーの音は、まさしくこの壺を殴り壊す時のものだそうで、こうして花が咲いたみたいに広がった、もはや壺の内側も外側もほぼ分からなくなった破片(小さな砂利状のものはフェンスも通り越していて、《□消し》の外まで侵食している)と合わせて、《壺割り》という作品らしい。

《壺割り》を横目にまっすぐ進むと数歩で《椅子(ホワイトキューブ)》と題された作品があって、一抱えほどの白い台座に座ってみると(座っていいことは、見目さんから事前に教えてもらっていた)、雅楽の“ひちりき”のような息の長い音と、電子音のドローン音楽とが混じったような音が聞こえてきて、《□消し》の中に入って以来、ハンマーの打撃音の合間を縫ってうすく流れていた音はこれだったらしい。音楽の出所は“台座”の真上、腰かけた際、頭ひとつ分くらい上になる辺りに吊り下げられたスピーカーで、素材を見ると「オラショ」と書かれていたけれど、私が聞いた範囲では肉声というより楽音で、youtube で付け焼き刃的に調べたオラショの、明らかに聖歌らしい雰囲気とも違っていた。
“オラショ”の響きが頭上から降ってくるのに対し、《椅子》からは、ハンマーの打撃が直に背筋を突き上げてきて、その衝撃に身を揺さぶられる心地は、《□消し》の外、こちらに向かって斜めに開いたフェンスと壁とのデッドスペースに小さく投影された映像作品《壺洗い》の中で、砂浜に半ばめり込むように置かれた壺(3~4種類?)が、打ち寄せる海波に洗われていることと通ずるだろう。
中島さんも、後ほどお話しした際に、たしか“マッサージ”という言葉を《椅子》に対して使っていて(記憶違いでなければ)、海に洗われ、“いわく”も何もかも流し落とされた壺と、オラショとハンマーの音に挟まれた鑑賞者は近しいところがあるだろうし、そもそもこの空間自体、入る前と後では人を少し変容させるところがあって、それは2021年に見た中島さんの個展「I tower over my dead body.」(TOH,11/4-28)とも通ずる。

今回の「□より外」で、ギャラリー空間に(不完全な)“□”が形作られたように、「I tower over my dead body.」でも中心にはレースのカーテンで区切られた“□”(中に入ると“個室”という印象だけれど、外からは人影が透けて見える)があって、参加者はそこに置かれた黒革の一人がけソファに腰かけ、ヘッドフォンから流れる音声に従ってイメージを巡らせることを求められた。イメージの中で10歳の少年に戻った私は、塔を一段一段上がりながら、「一番うれしかったこと」「一番後悔したこと」「成し遂げたいこと」といった問いに答えていって、それにともないだんだん加齢し、当時の年齢すら超えて、老齢へと近づいていく。そして赤い扉を開けて塔の頂上へ至ると、落雷により落命し、天上~宇宙~“愛の空間”?(この辺りは、当時付けていた日記を見ながら書いているが、字がグネグネとしていて判読しづらく、合っているか心もとない)を経てついには“神の空間”という、ゲームのボーナスステージめいた場所に到達して、そこでは何を、どれだけ持ち帰ってもよいとのことだったので、剣に羽、本にペンと、思いつくままに貰っていった。
…展示室に戻り、改めて見回してみると、壁には「昨日の人身事故(塔内)」という文言が書かれ、私が訪れた日の前日は「死亡 6」「負傷 21」 だった。そして、雷に撃たれた私も、翌日の“死亡者数”にカウントされるらしい(「負傷」は、このサウンドインスタレーションを体験しなかった鑑賞者数のよう)。
そして、しばしば中央線が行き交う様子を伺うことのできるTOHの窓辺には骨壺が置かれており、《土は土に、灰は灰に、ちりはちりに》と題されていて(タイトルまではメモしていなくて、中島水緒さんによる詳細な展評https://bijutsutecho.com/magazine/review/24947 を参照した。そして私の日記の記述が、そこまで的外れでないことも確認できた)、このタイトルに見覚えがあると思ったら、今回の個展にも、《土は土に、灰は灰に、ちりはちりに(なぜくしゃみをしない?)》という作品があったからだ(括弧の文言から、谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』のラストがパッと思いついたけれど、調べてみると《ローズ・セラヴィよ、なぜくしゃみをしない》という、角砂糖状に切った大理石が鳥かごの中に収められた作品があって、おそらくその引用なのだろう)。

置かれていたのは、タリオンギャラリーの壁とフェンスで形作られたL字の通路の曲がり角、見上げる位置に据え付けられた“神棚”に同じ保存容器?が3つ鎮座していて、中には掌大の石がそれぞれ数個ずつ入れられ、塩漬けにされている。中央の石が珊瑚色っぽかったのは印象的だったが、左右はよく覚えていなくって、写真を見返してみると、向かって右が抹茶色?で、左は黒っぽく見えるものの、映りがいまいちでよくわからない。
《土は土に、灰は灰に、ちりはちりに(なぜくしゃみをしない?)》は、突き当たりの壁に投影された《壺洗い》と向かい合っていたけれど、それだけでなく、記憶違いでなければ、《壺洗い》で海に洗われた壺のカケラが塩漬けにされているらしく、石のように見えていたものは、破片だったらしい。
しかし、作品リストには“壺の破片”ではなく「大理石」とだけ記載されていて、壺が壺としての形を失った途端、“壺の”破片という但し書きすら許されずに「大理石」へ変容してしまうことは、逆さまの便器や、ガラス容器に「大理石、塩」を詰めたものが作品となること、(現代)美術が好きでない人にとっては理解しがたいだろう、こうした“信心”の裏返しのようでもある。
さらに、石は石でも、圧力や熱の力で貝殻や生物の遺骸が結晶化された天然の大理石なのか、それとも、元をただせばポリエステルやアクリルの人工大理石なのか、少なくとも私の眼では真贋を判断できないこと、その一方で、仮に大理石としては偽物でも、作品としてはたしかに中島さんの作品である、本物であるということは、《土は土に、灰は灰に、ちりはちりに》にも通ずる気がする。

骨壺状の作品内に(たしか)入っていた灰は、社会通念から言っても本物のお遺灰ではないし、そもそも、TOHの窓辺に置かれていた骨壺、その少しずらされた蓋の隙間からそれを覗いたのか、あるいは骨壺という情報から灰のイメージを勝手に作り上げてしまったのかも定かではなくて、それは、常に教義を守り生きている人が、多くの人にとっては“よごれ”に過ぎないものからマリア様を見出すことや、防音シートで覆われた工事現場から漏れる音によって、見てもいない工事の光景を意図せず想像してしまうこととも通ずるだろう。
そして、それはタリオンギャラリー中に鳴り響く破壊音から、映像作品の爆音上映を私が勝手に想像したことや、「I tower over my dead body.」の《塔のセラピー》、ヘッドフォンの音声に導かれた“生まれ変わり”の体験において、実は雷鳴や塔の崩れる音?といった一部の音は外部スピーカーから発せられており、その場に居合わせた参加者以外の観客は、その破局的な音から内側の“惨状”を想像していたらしい(というのもツイッターの感想で読んだだけで、私は他の方の“生まれ変わり”には立ち会っておらず、本当のところはわからない)こととも繋がって、“脳は現実と想像を区別できない”という言説を目にすることがあるけれど、そういう意味ではなく、見聞きすること自体にそもそもイメージすることが不可分に結びついているのだろうし、本物と偽物、そのあいまいさが生む“いかがわしさ”というのも、中島さんの作品に通ずる概念だと思う。

そして、「塩」という一字にも、このために用意されただろう精製塩?と、浴びた海水が壺の表面で蒸発して自然とできた“天日塩”(正確には製法として違うけれど)があるはずで…と考えたところで気がついたのは、もちろん制作前に壺を(さらに真水で)洗ったかもしれないし、そもそも私の勘違いで、《壺洗い》の壺ではないかもしれないし、そして仮に海水に洗われた壺だとしても、割られる過程で表面から塩なんて簡単にとれてしまうだろう、ということだった。そうして細かい破片と共に失われた(かもしれない)天日塩の代わりに入れられた精製塩を、仮に海水の濃度ぴったりに水に溶かしたとしても、精製の過程で“不純物”として取り除かれた様々なものの不在のために、あくまで人工海水、うんとしょっぱい水に過ぎないし、潮の香りもしないだろう。またもネットの情報ながら、潮の香りはプランクトンの死骸が発した成分によるものらしく、人工海水や、プラスチックを原料とする人工大理石について考えてみると、死の匂いを消しつつ自然を模倣することが人工なのかもしれず、徹底した管理、有機物の排除という人工の極致たるホワイトキューブの中にあって、《土は土に、灰は灰に、ちりはちりに(なぜくしゃみをしない?)》はその縮図のように思える。

中島さんの作品から感じられる、相反する概念同士が併存するような印象は、《□消し》というインスタレーションのもとになった「経消し」、仏式葬儀により仏教的来世へ送られようとするキリシタンの故人を“助ける”べく、別室に集まった信徒たちが、式と並行して「経消しのオラショ」を唱え続けるという儀式をこの場で初めて知った時に思い浮かんだイメージ、俯瞰で眺めた和室二部屋、中央をふすまで仕切られたその左側では葬儀が進行し、右の部屋では「経消しの壺」を中心に車座になった信者たちがオラショを口ずさんでいる光景とも通ずる気もする(実際は隣同士でなんかやらないだろうけど…)。
そのイメージにおいて、私は神の視点から見ていたからこそ、それら双方が、現実と呼ぶにしろイメージと呼ぶにしろ等価なものであることが“見て”とれたものの、実際にはそんな視点からは当然見えなくて、どちらにしてもふすまの向こうは得体がしれない。そして、タリオンギャラリーの床にも、《椅子》と隣り合うように四角い穴(道路の集水桝に受枠が付けられているように、この穴の周囲も一回り大きな溝となっており、その溝の四角と、《椅子》の大きさがぴったり合っていて、《位相-大地》に一瞬見えた)が開いていて、載せられた二回りは大きいアクリル板?越しに覗く床下は、配されたスポットライトがこちらを照らしていることもあって窺い知れない。それでも、なんだか達磨のような、なだらかな肩のようなものが見えた気がして、後ほど中島さんに伺ってみても、元々床下にあったものは別として、ライト以外何も置いてはいないらしい。それは、この四角い穴から白々とした緑の手が、クロスのハンドサインをする直前か、あるいはし終わってほどいているところか(これまた)判別のつかないかたちで伸びているメインビジュアル(作品リストにはなかったけれど、《無題(ハナレ)》で合っているだろうか)が、ただの穴を、たとえば石室に眠る即身仏と外界とを繋ぐ孔のようなものに見せたからかもしれず、そうだとしたら、《マリアのよごれ》に“マリア様の顔”を見いだす心の動きと通ずるだろう。
加えて、アクリル(かは分からないけれど、とにかく透明な)板からうっすらと覗く床下の光景は、《マリアの身体1》《2》とも通ずるようで、中島さんが「□」に込めているという「プライベートな領域」を、周囲の空間から切り離されたエリアとして捉えれば、マリア観音のおわす風景も、穴から覗く床下もそうで、彫刻の台座が、同じ三次元上の彫刻自体と周囲の空間を切り分けるものならば、《椅子》に座る観客も、ひととき周りの空間から脱しているのかもしれない。

このように展示空間内は入れ子になっていて、それは、タリオンギャラリーの床に開いている穴から見える空間を、つい“タリオンギャラリーの”と形容してしまうけれど、本来は(おそらく)目白カルチャービルの床下であるということとも繋がって、こうした関係は、“ご利益”?をうたった壺が破片となり、さらには「石」と表記され…と、どんどんラベルが剥がされていくこととも通じているようで、ある物に憑き物のごとくへばりついた幾つもの概念を、ひとつひとつ祓っていくような手つきが感じられる。

さらには、L字に配されて形作られた通路とインスタレーション空間は、《あらわれのマリア》手前の受付スペースと、カウンターによって仕切られた先のワークスペース兼展示スペース(今回も《マリアの身体2》が掛けられた壁面、そこに寄せられたテーブルで、在廊中の中島さんがお仕事されていた)が描くL字と、受付背後のバックヤードと思しき目隠しされた矩形の空間をも模しているみたいにも見える。そして、そのバックヤードに、特に立ち入り禁止とも書かれていないのに、白くてつるつるとしたカーテンが降りているだけで立ち入れなくなることに対し、ギャラリー前の階段にカラーコーンが置いてあっても突破して入ってしまうことは、裏腹なようでありながら、それら隔たりの先の属性?というか、気配のようなもの、たとえばギャラリーなら人が入らないと鑑賞できないから入っていいはずだし、逆に言えばバックヤードはスタッフでもないのだから入っちゃいけない…を読んでいるから起こるのだろうし、その前のコーンやカーテンというのは、物理的な障壁ではなく、むしろシグナルで、本来ならば《緑十字》もそのひとつなのだろう。
バックヤードには入れない一方、これまでだらだら書いてきたようにインスタレーション空間には長居することができて、それはなんだか、幻肢痛を軽減する一環として、鏡に映した反対の手を動かすことで、“幻の腕”をなだめるというミラーセラピー(TOH のサウンドインスタレーションもセラピーだったし、中島さんの肩書きはInstagram上ではセラピストになっている)にも通ずるようで、タリオンギャラリーのバックヤードはもちろん、ここに到着するまでに通りすぎた建物(それこそ、スーツの男性二人が出てきた、ギャラリーの隣に立つ住宅?なんかも)、工事現場…といったように、この世界には立ち入れない場所がごまんとあるけれど、その代替行為として、《□消し》に入ることが位置づけられる気がする。

そうして代替性、というか、仮想性は、展覧会タイトルに含まれている「□」からしてそうで、Wikipediaで「四角(記号)」の頁を覗いてみるだけで、空欄、判読不能な文字の代わり、伏せ字、「スペース」を図示したもの…と、無いことを表すと思いきや、逆に有ることのサインでもあり、さらには隠したり、あるいは可視化したりと相反する用途があって、その両義性は、やっぱり中島さんの作品に近しい。
この「□」にはホワイトキューブも含意されているらしく、そうだとしたら、絵画、もっと広く言って平面作品の矩形も暗示されているだろうし、「□」が系図上の男性(雄)を表す記号でもあることを踏まえると、「□の外」というタイトルは、美術業界に限らず、“男性”によって排除されている存在のことも指しているかもしれない。

床下が覗く穴の傍ら、アクリル板の上には、抱え持ったら顎の辺りまで届きそうなほどのガラス壺が置かれていて、注がれた水の中には、砕いたコンクリートのような、両掌くらいの塊がひとつ?(ふたつかもしれない)沈められていた。壺には蓋が付いているものの脇に置かれていて、光の関係か、やや黄色く濁ったような水面にはほこりが浮いている。
《□消しの壺》と題されたこの作品は「ガラス壺、石、オラショ」で構成されていて、「経消し」の儀式における「経消しの壺」と思われる(石は封じ込められたお経だろうか)けれど、むしろ能舞台の床下に埋められているという、響きをよくするための大きな甕が思い浮かんで、タリオンギャラリー自体が舞台装置のようにも思えてくる(舞台をハコと呼べば、「□」に通ずる)。
さらに舞台美術が、ある場所を別の場所に見せる、実世界とイメージを橋渡しする役割を担っているとすると、中島さんの作品にもそのようなところが、これまでしつこく書いてきたようにあるけれど、それは“舞台上”のことだけに留まらない。

受付に戻ると、はじめ来た時には気がつかなかった、《土は土に~》より一回りは小さい保存容器に入った細かい珊瑚色の破片があって、その手前には、DMと思しきポストカードがスリーブの中に1枚ずつ入っており、切り抜かれた中央部分、その正方形の破片も同封されている。正方形の破片を見ると、メインビジュアルの《無題(ハナレ)》が印刷されているけれど、正方形のど真ん中ではなく、L字と言うには1辺が太いものの、それでも白い余白があって(それと対応するように、切り抜かれた穴の周りには、《無題(ハナレ)》がL字に残されている)、タリオンギャラリーの床に開いた穴を模しつつも、切り抜かれた正方形の中にさらにL字の“通路”と《□消し》の空間が入れ子に再現されている。
DMとも小作品ともつかないそれを購入すると、保存容器の中の欠片を、好きなだけスリーブの中に入れて持ち帰ってよいらしく、開けてもらった容器の中に指を差し入れ、小石大の欠片を3つ頂いた。その時の、思いの外さらさらとしていた壺の破片の粉末が、指先にいつまでも吸い付いてくるような心地がして(後で見ると、スリーブの表面には私自身の指紋が、“壺の粉”で浮き上がっていた)、《□消し》の中で知らず踏んだ壺の破片なんかも、靴の間に入り込んでいるかもしれず、それらを鱗粉やパン屑のごとく落としながら登る外階段の前には相変わらず白いコーンが立ててあって、こちら側を向いた「立入禁止」に、TOHの踊り場に立て掛けられていた鏡、そこに印字された「関係者以外立入禁止」と、赤瀬川原平の《宇宙の罐詰》が重なった。
そして「I tower over my dead body.」の時に、帰り道の代々木駅ホームにまで《塔のスプレッド》というポスター作品が掲示されていて、展示空間が現実空間に侵食してくるようだったのと同じく、というよりそれ以上に、池袋駅まで歩く道中には緑十字が溢れていた。



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