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赤羽史亮さん「SOILS AND SURVIVORS」@諏訪市美術館

唐三彩のような深緑の瓦屋根が連なり、その山なりのひとつひとつに懸魚が吊り下げされた横長の建物は、美術館というよりも宝物殿といった佇まいで、1階中央には、外壁の漆喰と呼応するような白い柱が、5本横一列に並んでおり、そうして下支えされた2階展示室で開かれていたのが赤羽さんの個展だった。
くるりと1回転した、琥珀色の擬宝珠のあしらわれた階段を上がる(階段脇のテーブルには関連図書が並んでいて、赤羽さんが参加された展覧会の図録はもちろん、影響を受けた本も並んでいて、保坂和志さんの『書きあぐねている人のための小説入門』、その若葉色の背表紙も混じっていた)と、右奥へと細くまっすぐ伸びた空間は、数メートル先からにわかに広がっている。

その最奥には、細い滝が幾重にも這い流れる岩肌のごとき《cell/skin/hole》(2023)がそびえ、手前には、《Transporter》(2023)という名が示す通り、何かを胸高に捧げ持った“巨人”が左から右へ歩き出そうとしているように見えたのは、それらが衝立のごとく自立し、こちらを向いていたからだ。
自立していたのはそれら2点だけでなく、《Transporter》のさらに手前、迫り出した壁がL字に折れ、それまで細長かった空間がぐっと広がったそのあたりから、半身を覗かせているものもそうで、こちらに裏面を向けているものの、その“背中”には、小さな作品(と言っても、後で改めて見た時には存外大きくて、短辺でも1m弱はあった)がおぶられている。
そしてもうひとつ、《cell/skin/hole》と《Transporter》の間あたりには、ここからだと側面しか見えない、それらと直角を描くように置かれたものもあって、その作品と壁面とが、人ふたり並んでは通れないほどの、細い通路を形作っている。

そうした作品たちが、自ら壁となって描いた隙間だらけの矩形、その真ん中の長椅子ふたつ(《cell/skin/hole》に対して、横一列ではなく前後に、図示するならば、“ーー”ではなく“=”の形で並んでいる)が心地よさそうで、惹かれて進む間にも、《cell/skin/hole》が見せる、絹糸のごとき流れは絵の具でなく、まさしく翁の面から伸びる豊かな白髭のようなものを実際に貼り付けているらしいこと、そしてソファのあたりへ辿り着いた頃には、それがサイザルであることも見えてきた。
作品リストによると2780×5200×970mmという横長の画面は、もちろんぴったりではないにしろ、もし寝かせたら、競泳用プールの端壁からフラッグまでの5mに、コースロープ間の約2.5m、水深約2mの半分弱に匹敵し、同様に、車高に対してはやはり半分弱なものの、全長と全幅と捉えれば普通車並みである…と変換していけば、人すら中に宿れるほどのサイズ感が伝わりやすくなるかもしれない。
さらに、奥行という、そもそも絵画作品では省略されることの多い値が記載されているだけでなく、その値が970mmと桁一つ分は大きいことが示すように、先に“岩肌”と表現した画面は、むしろ岩(が突き出した絵)肌で、小ぶりなナップサックくらいの大きさのものから、人がひとり抱きついても覆いつくすことのできないサイズのものまで、8つの“岩”が画面に、より正確に言えば、裏から画面を突き破って伸びた木材の先に刺さっており、横から見ると、画面からは少し離れていることが窺える。

画面向かって右側の、ふたつ鈴なりになったナップサック大の“岩“を除いた他6個は、どうやら麻袋で出来ているようで、ぼつぼつと粗い肌には血管のごとく青黒い線(コットンの布を筒状にしたようでもあり、太い麻紐のようでもある)が縦横にのたうっており、そうして出来たちょっとした“崖”、縁には、小石みたいなものが点々と載っていて、砂や、虫の卵じみた蜜蝋、苔のような繊維も貼り付けられ、接着に用いられたジェルメディウムなのか、ところどころがテラテラと光って粘液の跡にも見える。
そしてもちろん、白髭のようなサイザルも“岩”のいたるところから生えているが、一段と密集しているのはむしろ画面右側、小ぶりなふたつの“岩”の上あたりで、青みがかったグレーをしており、コットンの布地なのか、他の“岩”よりは若い印象を感じさせる(そして“付着物”もあまりない)“双子岩”が、滝口からもろに水流を浴び、なかば埋もれているようでもある。
その辺りにしゃがんでみると、サイザルの幾本かは、床にまで辿り着いていて(黒い、何か別の繊維が、サイザルの表面に絡まっている)、さらには抜け落ちたと思しき白い毛が、チャコールグレーで毛足の短いカーペットを、うっすら白ませる程度に散乱しており、蜜蝋も数粒、作品の脚元に落ちていた。
床には帯、というより幅広の紐が垂れていて、作品リストによると支持体はキャンバスではなく、野営用テントらしい。“岩”と同様、砂や蜜蝋、繊維が擬装のごとくあちこちに貼り付けられ、青紫色の管みたいものも何本と垂れ下がり、ところどころに藤色のラインや、白光りする粘菌のような線描が細かくなされた画面は、自立する木枠にしっかりと固定されているわけではないらしく、床スレスレのところでかすかになびいている。

しゃがんだまま目線を上げると、“双子岩”のすぐ脇から、光る“眼”が見返してきて、裏に回ってみると、それは隅に置かれた機械のランプで、そこには加湿・除湿ユニットと書かれていた。
改めて裏面を見ると、こちら側だと左にあたる画面は大きく裂けており、“双子岩”は、どうやら木枠の桟から伸びた紐で吊られていたようで、あたかもその岩が、鉄球よろしくぶつかって破いたかのようだ。そんな穴が表側から見えなかったのはサイザルが上から覆いかぶさっていたからで(後で見直してみると、サイザルの隙間から穴がところどころ覗いていて、その内の一か所からランプが光っていたらしい)、ここからの眺めは裏見の滝を連想させる。

穴の傍で、白く短い紐が、間隔を空けて縦に2本並んでいるのは、これがテントであった名残かもしれず、絵を描くためのキャンバスではなくテントを使うことは、本来、人間のために存在しているわけではない動物を狩り、その皮をなめして利用することとも似て、テントを“腑分け”し矩形へと直す工程が、おそらくあったのだろう(長方形のタープテントだとしても、やっぱり何らかの加工や取捨選択は必要だった気がする)。
加えて、砂や蜜蝋、サイザルを直に貼り付けていくことも、やはり描くために作られたものを使うのとは異なっていて、その手つきは、最寄り駅である上諏訪駅の構内はもちろん、美術館へ至る道のりのあちこちに見当たる燕の巣に、泥や枯草などが用いられていることとも近しい。
当たり前ながら、環境のものを流用する方がむしろ生物にとっては普遍的で、何かに特化した、専門の素材、道具みたいなものは、それこそ身体の器官や細胞みたいに、固体と不可分のものしか本来はないはずで、白いキャンバスや絵の具というものは、もちろん物質ではあるけれど、いくぶん抽象化されているのだろう。そうした道具をもちろん使いつつも、厚く塗って巌のようにしたり、あるいはその他の素材(これらも、別の文脈では専門のものだったりするけれど)も取り入れたりしていくことは、絵画をより物体的な、血肉の通ったものとして捉えなおしていく実践のようで、《cell/skin/hole》が今年2023年に制作されたことを踏まえると、そうした試みの最前線にも思える。

“双子岩”が表側へと飛び出している穴は、「*」みたいに裂けているものの、各線の一部は、あたかもブラックジャックの顔の傷みたいに、ファスナー式に縫い留められている…ということまで見てとれるのは、画面全体の4分の1ほどの一帯には木枠が外枠以外ないからで、裏から見た時の画面右半分と、穴のある一帯を挟んだ左端には、格子が横に3本、縦に10本近く入っていて、さすがに土壁の土台(小舞と言うらしい)ほど目は細かくなく、縄も張り巡らされてはいないものの、それでもどこか通ずる気がする。
そうして縦横に走る格子には、たとえば画面のほぼ中央、170cmにいま一歩及ばない私の胸から鎖骨ぐらいの高さに、242×333mmの《Couple》(2016)という、小さなメロンみたいに薄緑色で筋張っていて、中央に一つ目が開いた何かと、その左脇、ほぼ接するくらいの距離に佇む、これまたハート形のリンゴやトマトみたいな、黄色い一対の目を持った何かが、1本の管?を両端から咥えあっているような作品がある。
そして、《Couple》の右上には727×606mm の《song #1》(2017年に制作された作品で、ゴツゴツの銅板の上に緑青が吹いたような画面の中央には、“鳥頭のアーミーメン”とも言いたくなるような、モスグリーンの身体に黄色い目?を持った存在が、“羽”を広げて十字架めいた姿勢で、台座のような長い線の上に立っており、真ん中の横棒のない「主」のように見える。その台座に乗るような形で、画面右には黄色い弦楽器みたいなものが鎮座していて、それらと接するように、丸いものや、珍しく四角いものが散りばめられている)があったり、また年代で言えば、《Couple》の左上にあった《Soil Head》(2022)から、《Couple》と《song #1》の間に位置していた《Untitled》(2006)までの16年にもわたっていたりと、大小も新旧もさまざまな10個の作品が、割とまとまって掛けられている。

こうして描かれているものを言葉に置き換えてみると、本来は抽象的なものですら、ある具体物に例えていくことに(私の力では)なってしまうけれど、一方でそこには法則性みたいなものもあって、例えば先述した《Couple》と《song #1》では、共に“目”という言葉が出てきた。これは、同心円の中に黒丸がひとつあれば眼に、点が3つ集まれば顔に見える生物としての認知の傾斜みたいなものも影響しているはずだし、そこから、蝶や孔雀が、目玉模様を威嚇、求愛の手段として身に着けていることなんかも派生しているかもしれなくて、絵を見たり文章を書いたり…みたいな“人間らしい”行いの土台として、そうした生物的な側面も含まれていることは、特に赤羽さんの作品に感じる、見るというよりは探るような、より身体的な心地とも関わっている気がする。
そして、“目”に例えたものの中にも、「目じゃないかも…」というズレが同時にあることから、生き生きとした感じが生起している…というのは、郡司ペギオ幸夫さんの『やってくる』(シリーズ ケアをひらく・医学書院)からの受け売りで、絵の具を厚く塗ることも、異素材を組み合わせることも、そうした“ズレ”を引き起こす手立てのひとつのようで、赤羽さんの作品が生きているみたいなのは、何もモチーフからの連想だけでなく、こうした“ズレ”の積層からも生まれているのだろう。

作品の裏側に“小”作品(あくまで宿主に対して)が、サイズも制作年もないまぜになって掛けられていることは、B4用紙よりもなお小さい作品と、普通車並みの大きさの作品が、そして2006年から今年2023年に至るまでの作品が同居しているこの展示自体の縮図でもある。
加えて、そもそもひとつの画面の中でも、繊毛のように細かな一筆から、岩石と言っても差し支えない大きさの立体物が併存しており、かつ、最初の一手から最後の、完成、というよりは“止む”瞬間までの時間の厚みがあって、そうした入れ子の関係は、ひるがえって見ると私の身体にも、一説には百兆ともいう微生物が棲んでおり、それぞれの時間軸で生滅していることとも通ずる気がする。
さらには、《cell/skin/hole》の画面を見ている時、支持体であるテント1枚はさんだ向こう(底面だけでなく、側面も留められてはおらず、本当に、棚とかの目隠し布みたいにぺらっと上だけ固定されている)に、どんな絵があるのかは当然わからないけれど、通り過ぎてきた他の、もっと小さい(それでも人の背丈よりも大きい)自立式の作品、その裏に絵が掛けられていたことから、最大級の《cell/skin/hole》裏面には、これまでで一番多くの作品が隠されているだろうことは予感されて、それは、両手でないと持ち上げられないくらいの石の下に、おそらく虫が何匹も隠れ棲んでいるだろうと、経験則から予想されることとも近い気がする。
そして実際に“小”作品がいくつも掛かっているところを見ることは、赤羽さんは出品されていなかったものの、「芸術激流」(2022/10/15)という、多摩川の御岳園-軍畑大橋間をラフティングをしながら作品を見る展覧会で、篠田太郎さんの作品を見るためにボートが一時停止した時に目撃した対岸の光景、翅を広げても指先から第二関節ほどしかない、蛾の大群が宿る岩陰を思い出させて、急流に抉られたのか庇のようになった岩の裏側は薄暗く、かつ豊かな水源の間近であるそこはおそらく彼らにとっては楽園で、そうした居心地のよいところに潜むくらいの自然さが、大作と“小”作品の間には感じられた。

また、自立式の作品群は、大作であるためにそれ自体がおそらく重いだろうけれど、それに加え、4~10個の作品を背負っているわけで、その重さを作品自体(より正確に言えば巨大な画架)が支え、ひとところにその重さが掛かっているということは、作品というよりむしろ巨石が置かれているようで、来場した子どもが飛んだり走ったりするその振動の伝わりもあいまって、ここが5本の柱によって支えられた2階部分であり、作品も人間も、大木に寄する生物のごとく、身を委ねていることを感じさせる。
私は拝見できなかったけれど、こうした作品を立てる展示方法は、SUPER OPEN STUDIO 2019の一環として行われた個展「Compost Paintings」(アートラボはしもと)が最初らしいけれど、ポートフォリオサイトの写真を見ると、自立している作品は、今回に比べると全体的に小さいようで、実際、この時の個展で自立していたらしい《Compost flowers》(一つ目のひまわりのような”flower”を中心とした肉色の画面に、青、緑、水色で細胞じみたものが描かれた作品)が、《Song of Mushroom》(2021年の作品。今回は自立していたが、2022年の個展「Rotten Symphony」@CAVE-AYUMI GALLERYでは壁掛けだった)の後ろの壁に掛かっていて同時に目に入るが、やはり一回りは小さい。と言っても、2000×1500㎜の作品は一般的には小さいものではないはずで、それだけ、赤羽さんの作品が大型化の傾向にあるのかも知れず、熱帯の虫が、そして寒冷地の動物が巨大になることも連想させる(こじつけではあるけれど、《Song of Mushroom》も、画面ぎゅうぎゅうに細胞小器官にも臓器にも見えるものが描かれていて、支持体のサイズとは別の大きさを感じさせる)。
同様に、作品の背面に掛けられた作品も“巨大化”したかのようで、それは、今回がすべて油彩のキャンバス作品であることに対し、アートラボはしもとではほとんどがドローイングで、掛けられるというよりはむしろ貼り付けられていたことは、別に支持体と作品の軽重は無関係だけれど、キャンバスに(絵の具もあいまって)物質としての厚みや重さという点で存在感があることはたしかで、そうした重みや厚みは、やはりこの展示の大事な要素だと思う。

1階と2階を隔てる床=天井が思いのほか薄い?のと同じく、《cell/skin/hole》の支持体であるテントも存外薄いのか、表面に施された紫の彩色が透けて見えていて、方向としては逆だけれど、肌の下から青ざめた血管が垣間見えるようで、《cell/skin/hole》というタイトルが示す通り、薄皮一枚隔てた表側には“岩”が、裏側には“小”作品が、それぞれ別個の細胞として隣り合っている一方で、“双子岩”が裏から表へと振り子式に飛び出しているように、ところどころに開いていた穴は表裏の隔たりをあいまいにしていて、この作品自体、生態系のようでもあり、1匹の生き物のようでもあるし、1個の細胞のようでもある。
そして、展示室内にいくつも(階段からは死角になっていたふたつを合わせた6台)立った自立式の作品は孔だらけの四角を形作っていて、《cell/skin/hole》も“細胞膜”の一部となっている。
その中でも一際《cell/skin/hole》と関係が深そうな作品として、《Transporter》を挟んで向かい合っている《skin/spore》(2022年の作品で、階段から見た時に、“小”作品をおぶった裏面を見せていたやつ)があって、何故かと言うと、その作品も“岩”をこちらへ飛び出させているからだ。

《skin/spore》を拝見したのは、小泉圭理さん・松尾勘太さんとの三人展「口肛具譚」(タリオンギャラリー,2023/1/14~2/12)がはじめてで、ほぼ立方体の展示空間、その受付を背にした壁からはみ出さんばかりに掛けられる、というより、同化して壁そのものになっているような佇まいだった。
タリオンギャラリーでは、ほとんど接しそうだった左側の白壁からの照り返しによるものなのか、画面は乾いた泥炭のような墨色で、土から半ば張り出した細い根っこ、あるいは枯れかかりつつも壁を這う蔦のごとき線(《cell/skin/hole》の、“岩”肌を縦横に走っていた血管じみた何かと似ている)や、菌糸や苔を連想させる繊維質の“付着物”と描線も、白々と冬の様相を呈していた一方、この展示室内では画面全体がこの前よりも紫がかった潤みを湛えているのは、この間にも季節が真冬から初夏(と言うには酷暑だけれど)へと移ろい、空気がゆるんだことも影響しているかもしれず、ホワイトキューブの中と言っても、そこにも四季はあるのだろうし、そもそも私たちの身体そのものが、夏仕様へと変わっているはずで、それは視覚にまで及ぶのかもしれない。
ある作品を見るのに好い季節、というものが、“芸術の秋”みたいなものとは違うかたちであると思うけれど、赤羽さんの作品は、たとえば夏に見ると、ガードレールの脚元から生え伸びる“雑草”の力強さ(この光景を見るといつも“ムダ”毛のことが思われるが、人間の毛も、一説によると夏場の方が伸びやすいらしい)や、日に日に音量を増す蝉のざわめき…といった、殖えていく、伸びていくイメージを覚える。
一方、冬場だと、生き物がその身を、植物が根を潜ませ時を待つ土壌のように、エネルギーが静かに蓄えられていく様として感じられる…というのはいささか単純化が過ぎるけれど、赤羽さんの作品には、生と(次の生に向けた一時的な)死の要素が絶えずせめぎあっていて、そこに見る側が、勝手に四季のリズムを当てはめてしまうのは、やはりその絵の下へ辿り着くまでに、どんな日差しを浴びてきたかによるのかもしれない。

そう考えると、場所も、作品の見え方に影響しているはずで、そもそも諏訪市美術館は、信号待ちを加味しても5分ほどでほとりに行き着くほど諏訪湖に近い。そして、ほとりは諏訪市湖畔公園と名付けられ、さらにその一部は石彫公園となっており、草を食む羊の群や、競い合うふたりのスケーター…といった彫刻が広場で遊んでいて、湖面には、まつげのずいぶん長い、巨大な“スワンボート”(湖を周遊できるらしい)が待っている。湖の中央あたりには、丸くふわふわとした、おもちゃのような木が4本生えた小島(円盤が浮いているようで、舞台みたいにも見える)があり、鳥居があるため神社らしいことは見てとれたものの、それが初島神社で、湖の中央あたりに見えていたものの実はもっと手前に位置しており、湖自体、見かけよりずっと大きかったことは後に知った。
そして、宝物殿みたいな美術館の正面には、たとえば昔の銀行のような、日本的西洋建築といった風情の片倉館が建っているものの、そこは千人風呂という有名な大浴場だったり、そもそも、美術館の最寄り駅である上諏訪駅の中に、岩場を模した足湯があったりと、この一帯は温泉地らしく、そうした水の気配が、画面にも湿度を与えている、というより、見る側の水気に対する感度を上げているのかも知れない。

《skin/spore》の画面にも6つの“岩”がついていて、それらの表面には苔むしたように朽葉色の繊維が付着しているものの《cell/skin/hole》のような“白髭”は生えておらず、色も、《cell/skin/hole》の“双子岩”よりもなお明るい青みがかった灰色で、それだけを見た時には思わなかったものの、両者を比較すると、《skin/spore》の方がより“若く”見える。
だからこそなのか、向かい合った《skin/spore》と《cell/skin/hole》の間、その15m弱と思しき距離の中には永い時間が感じられて、それは、《skin/spore》と《Transporter》に挟まれたひとつと、あるいは階段左脇、本来なら真っ先に見ることになるであろう、飴色の展示ケースに入れられたもうひとつの、共に《spore》の名を持ったふたつの作品によっても強められている。

《spore》は、《skin/spore》の“岩”が独立したような作品で(実際、《skin/spore》の画面には、湿った地面から石を持ち上げた時のような、茶色く丸い跡がふたつあって、これらふたつの《spore》がはまりそうにも見える)、矢羽根のように四方を向いた“脚”で垂直に立った木材、その先端に“岩”が付いている。大きさは《skin/spore》に付いている6つの“岩”の中でも、大玉のスイカくらいの比較的小さいものと同程度ながら、《skin/spore》の“岩”が、割合滑らかな表面をしているのに対し、《spore》はもっと歪で、ところどころに破れのような、抉れのような箇所が見られる。
これらふたつの《spore》は、階段左脇から《skin/spore》の脇を通り抜け、そのまままっすぐ最奥の《cell/skin/hole》へと向かう彗星のようでもあり、また漂う「spore=胞子」のようでもあって、横長の展示空間の中には、鮭の遡上のごとく、移動や旅、そして死と(次代としての)再生といったイメージがある。
また“spore”という語には、胞子の他にも「芽胞」、すなわち悪環境に置かれた細菌が生成する、きわめて耐久力の高い細胞(熱や乾燥、薬剤にも耐えうる頑丈さで、生育環境が再び整うまでの数年から十数年、場合によっては数十年を休眠し続けるらしい)という意味もあって、作品が今後も幾度と展示され、時に蒐集家、時に美術館の下へ収蔵されていき、100年、200年…と保たれ続けていくことのようで、見た人の内へと入り込み“発芽”する軽やかさと、その瞬間まで耐え続ける堅牢さのふたつが、赤羽さんの作品はもちろん、美術作品には備わっているのだろう。

《cell/skin/hole》と《skin/spore》に挟まれた展示室ほぼ中央、そこを横切ろうとするような《Transporter》は、両手で何か丸いもの(三層構造になっていて、真ん中には鶏卵みたいな楕円形があり、それをこしあんと分厚い皮で包んだ断面のようになっている)を胸高に捧げ持っているけれど、今見ると、周囲を飛び交う《spore》のひとつにも思える。
そう考えていくと、《Transporter》の足元、踏み出した右足の先に転がる片耳のような、開いた二枚貝の片側みたいなものも、両足に挟まれた青白い卵みたいなもの(先の二枚貝みたいな中にも双子のごとく似たものが入っているし、周囲に生えた植物、菌糸のような先端にも付いている)も、右を向いた《Transporter》の視線の先にあるものも、すべて断面に見えてくるし、《Transporter》自体、頭部の空洞に黒く丸い石炭のようなものを抱いている様が一粒の種子のようで、赤羽さんの描く存在の中には他者が、次代の存在が内包されているのかも知れず、それは、地表に湧き出た温泉と、今まさに暖められている地下水を同時に描いているようなものかもしれない。

《Transporter》の画面のあちこちには、石灰のような白さをしたアメーバ状の斑点が描かれているけれど、それらはまんべんなく配置されているわけではなく、よく見ると、暗紅色の画面には一段明るい紫のラインが縦横に走っていて、その“管”の内部を白い斑点は流されているように見える。
それらは血管を通る栄養のようでも、はたまた老廃物のようでもあるけれど、私たちにとっての老廃物が、何か別の生き物にとってはごちそうであるということは、想像すると気持ち悪い感じもするが当然あって、赤羽さんの絵画から感じる生々しさは、そうした循環を、大事だと思っているものも、不要だと思っているものも、食われるという点で等しいことを突きつけてくるところにあるのかもしれず、常にざわめいている。
そうした作品を眺め続けることは、一塊の響きとして届く、かしましい鳴虫の声に聞き入る内に、それぞれの旋律が聴こえてくるのと似たところがあって、ひとつの画面の中に、大小も質感も異なる様々なモノが潜んでいることに気がついていく営みであり、そこには、見ている私自身も、大きな環の中の一存在であると悟ることも含まれているだろう。

《Transporter》の背後に回ると、大小3つの作品が掛けられているものの、その間から覗くキャンバスの裏地には、ライトに照らされた表側の輪郭が燐光のように透けて見えていて、裏面の上部右寄りに掛けられた《Shining Darkness(まだらねずみ)》(2009)、その画面でまたたく白と呼応している。
さらには、その下の《Untitled》(2011)に描かれた、十字に縛られた赤いバルーンのようなモチーフも格子と重なりあうようだし、それらふたつと三角を描くように、中央左寄りに掛けられた2013年作の《Untitled》、その宙に浮かんだ顔の丸さも、透けて見える環状の線描と近しく、個別の作品ながら、宿る/宿す以上のつながりを見てとってしまう。

この場だからこその縁のようなものは至るところに見えて、たとえば階段脇の飴色の展示ケース(それ自体も年季が入っていて、かすかにたわんだガラスが、やわらかな光を返している)では、先述の《Spore》と《Untitled》(2006)が隣り合っていたものの、そこに横たわる17年の歳月に気がつかなかったのは、赤銅色めいた《Untitled》の画面に浮かぶ、一本棒で立ったオバケ提灯のような顔?の佇まいが《Spore》に似ていたこともあった(同様に、《Transporter》を背にすると斜め左に位置する《Spore》、そのさらに向こうには2007年作の《Untitled》が壁に掛かっていて、灰色の棒に載った灰色の顔?という点で、《Spore》にも2006年の《Untitled》にも近しい)。一方で、《Untitled》が新作に見えたわけではなく、むしろ本来の新作である《Spore》の方が旧作に、しかもかなり初期のものだと(私には)見えたことには、赤羽さんの新作に、もちろん作品の歩みとしての新しさはあるものの、ぴかぴかとして、いかにも真新しい、みたいな感じがないことも影響していた気がする。
逆に、初期の作品が最近の作品に見えてしまうこともあって、たとえば階段を上がるとすぐに、ステートメントや略歴、学芸員の方の批評が点々と、正面の迫り出した壁に掲示されていたけれど、そこから続くように並んでいた《My House》という作品は2006年のものながら、炙った痕のようなごつごつとした黒い絵の具の感じが近作と言っても通じそうな感じで、やはり《Spore》同様、本来の新作である《cell/skin/hole》の方が、見かけ上は“白髭”だらけで老成した感じがありつつも、かえって初期作品のような“若さ”すら感じられる。
そうした矛盾というか勘違いは、単に私が赤羽さんの作品に疎い(好きな作家さんながら、ここ3年くらいしか拝見できていない)ことの現れでしかないかもしれないが、一方で赤羽さんの画業が直線的に、一般的に言われる“右肩上がり”式に進んでいるわけではなく、むしろ螺旋のように進んでいて、それがあたかも、《Night echoes》の左隅や《Night breath》《Swirl》(すべて2022年)に描かれた“ぐるぐる”のごとく、平面だと見かけ上、同じ位置に戻ってきたように感じられるが、横から見れば竜巻のように上昇している…といった風に、過去に現れたものが違った形で今に現れ、逆に今のものが、すでに初期作に含まれていたりする、その運動の一側面のようにも思える。

《Night echoes》は、平行に並んだ《cell/skin/hole》と《Transporter》、これらふたつを結びつける縦辺のように配されていて、この3月のVOCA展でも拝見していた。《Transporter》と同じく人のような存在が、後ろへ回した両手にもたれるように座りこんでいるけれど、その姿が、VOCA展の時よりも一段と大きく感じられるのは、壁面に掛けられていたその時よりも地面に近いからだろうか。色味も、《skin/spore》同様、前回見た時よりも青みが強く感じられる。
画面に人の輪郭があると、ついそれが全体の中心だと思ってしまうのは人間の性のような気もするけれど、赤羽さんの絵に登場する“ヒト”たちは、それが彼らにとって幸か不幸かは定かではないものの、周りの不定形のモノたちと大差がなく、すべてが図であり地であるような印象を受ける。
そもそも、遠目から見れば人の輪郭を保っているものの、近づくほどにそのかたちは曖昧というか、周りに溶け込んでいくようで、臍のあたりや下腹部、右足の甲からは太い管のようなものが、外から刺さっているのか、それとも人体から伸びているのか定かではない状態で這っているし、後ろについた両腕も、右腕の手首や肘あたりからは茸の幼生(と言うのだろうか?)みたいなひょろひょろと白いものが伸びているし、左腕に至っては、そうした茸の束みたいになっている。

“人体”の中にも、血管と言うにはあまりに蒼ざめた管が走っていて、それもやはり周りに描かれたシダみたいな線描と近しく、頭からふくらはぎに至るまで点々と開いた穴の中には大小さまざまな、青い石とも、卵ともつかないものが、カラコロと音を立てそうな感じで入っている。
こうした石にも卵にも見える球体は、もっと白いものや、緑がかったもの、まん丸から楕円まで含めればそれこそ周りの空間に溢れていて、数えようにもずいぶんと多いし、そうやって丸いものから丸いものへと目で追っていく中で、たとえば肝臓みたいな形や、岩礁みたいにゴツゴツしたものを、丸じゃないからといってカウントしないことにもあまり意味を感じられないのは、赤羽さんの世界の中に、それこそキャンバスの輪郭くらいしか直線がないからかもしれないし、そうした一体感は、土を分析していく時に、これは鉱物、これは有機物…と粒々のひとつひとつを判定していくのでは、土の一側面しか(おそらく)捉えられないだろうこととも繋がる気がする。
そして、土を分析する際には、そこに含まれている水分や空気の比率なんかも重要らしいし、さらには、どんな生物が現に棲息しているか…といったことも絡んでいるはずで、赤羽さんの絵画が一見ぎゅうぎゅうというか、濃密すぎるほど描きこまれているように見えながら、一方で間隙や、水や空気の通り道が確保されている様子は、展覧会のタイトル通り土を連想させるし、細胞や、生物の体内、そして宇宙とも繋がっているのだろう。

人型の右足から、そのままの流れで左足を探しても見当たらないが、視線を右へ右へと移していくと、肝臓を横倒しにしたようにも、腎臓の片割れにも見える何かに行き着いて、その“臓器”の中で筋繊維のごとく放射状に広がった線は、薄黄色の束となって人型の足へと繋がっているように見えて、もはや不可分に見える。
黒くブツブツとした質感もあいまってイボを連想したのは、中学1年生の時に悩まされたからで、入学のタイミングから、すでに左手の人差し指の爪の右脇から第一関節にかけて広がっていて、よい薬に当たるまでの数か月くらいをそのまま過ごした。濃い灰色の角質に、ところどころ黒い粒々が見えていたその部分は、元は私の皮膚の一部を成していて、イボになった後も血が通っていた(実際、黒いツブツブは血管で、ウイルスがそこから栄養を採るため、増殖させるらしい)けれど、かさぶたなんかよりもむしろよそよそしくて、自分の身体とは到底思えず不思議だった。
ここで面白い(と私が勝手に思っている)のは、皮膚の見た目が変わったことで、痛みも痒みもない以上、その上見た目も変わらなかったら感染に気づく手立てはなかった。それは、人間の身体には微生物が、ダニまで棲んでいるというのに、別にそれらが肉眼で見えるわけでもなく、何か害を及ぼすわけでもない(かえって益を与えてくれるものもいるらしいが、そこから存在を感じることは難しい)からこそ、普通に生活する分にはいないに等しいことと近しくて、赤羽さんの絵画は、そうして見えない=いないで済ませているものたちを、私たちの肉眼でも見えるレベルにまで拡大し、元々(見えるほど)大きいものたちと同等に並べているようで、それは、顕微鏡を作ったレーウェンフックが片っ端から周りのものを覗いてみた(という話を、どこかで読んだことがある)のと同じく、熱狂とも偏執ともつかない匂いが感じられる。

そしてウイルスが、灰色がかったイボを意識的に、美的感覚に基づいて作ったわけでは当然なく、細胞の中から、自らにとって住みよいように作り変えていった結果としてああいった病変になったことは、例えば蟻塚が、人間の目からするとどんなに建築的な意匠に満ちているとしても、それはあくまで機能(気温・湿度を一定に保つためらしい)を追求した結果として現れたこととも似ている。その時、ウイルスならば宿主の免疫機構との、蟻塚ならば天候や重力といったものとのせめぎ合いによって決められてくる部分もあるはずで、赤羽さんの作品に描かれたものたちも、それ自体で輪郭が決まっているというよりは、周囲のものとの押し合いへし合いの結果として形作られているようで、いざその内のひとつを取り出してみても、深海の魚が釣り上げられた途端に膨らんで目やら内臓が飛び出してしまうように、形が変わってしまいそうな雰囲気が感じられる。

深海魚をなるべくそのままの形で展示するために、海からゆっくり釣り上げたり、体内で膨らんだガスをすぐに抜き取ったり、少しずつ水槽の気圧を下げて慣らしたり…という工夫が水族館では為されているらしく、赤羽さんの作品も、大作を海とすれば、より小さな作品群はいわば水槽のようだ。
例えば《cell/skin/hole》の背面、中央上寄りに掛けられた《Soil Head》は、あたかもスポットライトが画面の真ん中へと射したように、明るい灰色から濃いグレーへと変わっていく薄塗りの下地の上には、左右に三つずつ、ゆるやかに弧を描きながら小石みたいな絵の具の塊が置かれていて、その内側には2本、「!」にもツクシにも見える胡粉色のものが漂っている。そしてその中央には、岩礁のような鈍色の塊がひときわゴツゴツとしていて、その形は、《Night echoes》の左上にある、冷え固まった溶岩のようなものと、もちろん同じ形ではないものの似ている。
もう少し大きな作品で言えば、《Night echoes》をソファのあたりくらいまで離れてみた際、その後ろの壁に掛けられた左端の《Shining Darkness(おおねずみたけ)》(2009)で、“おおねずみたけ”?を横切るように描かれた白い三又の線が、《Night echoes》で人型のおへそあたりから出ている二又の線(+みぞおちあたりから出ている細い線)と重なるようだし、腰から足の方へと伸びた触手のような黒い線の調子は、向かい合うように自立している《きのこになった僕》(2010)で、画面上をのたうつような黒い線と通ずるように思う。

より“キャラクター”的なモチーフで言えば、《Night echoes》左下にて、腎臓のような何かの上ですっくと立った“ねずみ”は、出展作ではないものの《Rat hole》(2022年の作品で、同年の「Rotten Symphony」@cave-ayumi galleryで展示されていた。この作品に限らず、多くの作品は赤羽さんのポートフォリオサイト http://fumiakiakahane.com/index.html で閲覧できる)で穴にしがみつき、人の指?に抗うようなねずみと同種だと思われる。
さらに言えば、横向きの人型も、《Transporter》や《Night echoes》のような大作では身体に穴が開いているのに対し、《孵化》(2022年の作品で、《cell/skin/hole》の裏面に、しゃがんで見るくらいの高さで掛けられていた)や《糞転がし》(こちらも2022年の作品だけど、出展されてはいなかった)といった小品では穴が開いていないという違いはあるものの、しばしば描かれていて、この展示でももうひとつ、《Soil Eater》(2021)という、人体が描かれた作品があった。

1945×1945mmという大きさからもわかるように、ここに描かれている人型も“穴あき”のタイプで、映画「ファンタスティック・プラネット」に出てくる巨人みたいな青い体表には10個の穴、というより“環状島”が、頭部からくるぶしのあたりへとだんだん小さくなりながらも点在していて、それらドーナツ型の“島”同士を、血管のような一本のピンクの線が、枝分かれしつつも繋げている。“島”の中心、ドーナツの穴の部分からは、青白い表皮の下に潜む真皮のごとく、濃くてくすんだピンクが覗いている。
口から、たんぽぽの丸いままの綿毛みたいなのが飛び出しているのと同じく、手首や曲げた肘、首の後ろ、そして足裏といった部分からは植物らしきものが覗いているけれど、それが背景として人型の向こうに生えているのか、それとも人型自体から伸びているのかは判別がつかないし、そもそも、これまでの作品同様、人型は真ん中に描かれているものの、別にメインのモチーフといった印象ではない。
と言うのも、画面を大きく占めているのはむしろ“岩”で、牡蠣殻のようにゴツゴツとした、中央下よりに黒い穴の開いた岩が、向かって右側の半分弱くらいを埋めている。そして、画面の上辺で見切れている、岩というには青みがかって、ところどころに硫黄色の線がくねくねと走る様が、むしろ拡大した細胞のようなもの、それらふたつが形作る隘路、そこを人型はすり抜けていて、着地した肘で身体を支えるその姿勢は、《Rat hole》で穴にしがみつくねずみや、《糞転がし》でゴツゴツとした何かを転がす人型と近しい。

さらに、“岩”と人型と分けて記述しているけれど、人型の血管のような線が太もものあたりから飛び出して、右の“岩”へと入り込んでいたりするのは、先述の、植物が身体から生えている(ようにも見える)ことの裏返しのようでもあり、《Transporter》の人型の頭部、そこから10本くらい生えた管のようなものが、周りの空間へと潜り込んでいるようにも、周りの空間から侵食されているようにも見えることなどとも通ずるようで、何度も繰り返しているような気がするけれど、赤羽さんの絵画世界では、何かが単独で成立しているということはなく、全てが何らかの形でつながっていて、それは世界そのものの縮図のようでもある。

《Soil Eater》の世界にはそれだけでなく、画面上部の細胞めいた塊、その左側に接するように、人間の肩から腕にかけての筋肉のような塊が、その“腕”をだらんと垂らしていて、その“腕”と“細胞”の間にはすっぽりと、人型と同じくらい蒼ざめた、液胞みたいなものが収まっている。“液胞”と人体の間や、左下の角あたりといった、比較的すき間が空いているところにも、植物のようなものが充満していて、それが、先も述べたように、あたかも人体から生え伸びているように見える。
一方で、人型の足と、“細胞”の間は細い水路のようになっていて、水分や体液、組織液なんかの循環が起きていそうで、ひるがえって、この展示空間に点在する自立式の作品が、展示室の壁との間に形作っている細い路とも近しく、この空間を行き来する(時に滞留する)人間は、作家や美術館スタッフ、鑑賞者という属性にかかわりなく、栄養や老廃物を運ぶ液体のようなものだったのかもしれないし、または運ばれる栄養=老廃物だったのかもしれない。

そうやって連想していくと、美術館へ向かう前に、『「赤羽史亮」をつくった本たち』というサテライト展示(水木しげるの諸作や『ゴッホの手紙』(岩波文庫)など、美術館1階・書籍コーナーとはまた違った20冊ほどが選書され、カウンター脇の壁面スペースで紹介されていた)を見るべく立ち寄った諏訪市図書館、そこに林立していた何連もの書架の規則正しい配列や、本棚によって形作られた隘路と、そしてその中で、日曜日の午前のひとときを過ごす利用者さんたちの、思い思いに没入している姿が思い出させる。
もしその時に、図書館の三角屋根を外して覗き込んでいたら、赤羽さんの絵画世界的な光景が広がっていたかも知れず、そうした妄想はひるがえって、「泥深い川/Muddy River」(2020)という、Token Art Centerをはじめとする墨田区向島各所で開催されたグループ展のために、赤羽さんが描いた地図絵画、すなわち、一見すると普通の絵画作品ながら、そこを走る線や、打たれた点が、川や道路、各スポットの布置と対応しているというものを思い起こさせて、あたかも赤羽さんの作品を媒介に、細胞や臓器といった体内のものが裏返って、街や社会といった外界のものと置きかわった心地で、暮れはじめつつある日差しの中、駅へと急ぎ向かうその道のりにも、どこか血管めいた生臭さがあった。





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