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高橋大輔さん オープンスタジオ

築90年という母屋の隣に立つスタジオも、同じくらいに古色を湛えているものの、お邪魔してみると、白く高い壁が三方を囲む空間は風通しがよくて、特に午後になると、壁の上方に開けられた、貯金箱みたいな窓から日が射し込んできて、掛けられた絵を順ぐりに愛でていく。

高橋大輔さんの作品をはじめて拝見したのは「青いシリーズ / どうして私が歩くと景色は変わってゆくのか」(@second 2.,2021年4月4日~28日)で、その時も、もったりと塗られたクリームを、筆で掬っていくかのようにのせられた青ひとつひとつの表情に惹かれた。同じシリーズと思しき作品が、出入口と作業台に面した壁の上方(こちらにはたしか窓はなかった)に掛けられていて、遠目ながら眺めていると、一筆一筆のリズム、その面白さはもちろん、新雪に足跡をつけていく時に、雪の方からも、キュッと押し返されるような感じが拮抗し…たかと思えばたちまち崩れていくみたいに、ひとつひとつの運動の連鎖として一枚の絵が生まれていったことを、今さらながら感じとれるよう。
その、絵の具と絵の具、あるいは絵の具と支持体との間に起こる、綱引きやシーソーめいたやりとりは、同じ壁のより低い位置、作業台の正面辺りに掛けられた新作群でも形を変えて追究されていて、画面へ一筆置くごとに、描けるエリアが減っていく、というよりむしろ変容していくそのダイナミズムをそのまま留めたよう (正式な発表は後日改めてだそうなので、詳述は控えます。どんなに言葉を重ねたところで、その根幹を言い表すことはできませんが…念のため)。絵の具のたまり具合から見て、どうやら左から右に線を引いたらしい…や、この線がすでに伸びていたから、縦の線がその手前までしか来れなかったのでは…? といった感じに、一本一本の線がどのように引かれたのか、それが、全体とどのような関係を持っているのか、目をレコードプレーヤーの針のごとく落としてなぞっていくことは、作品を、特に絵を見る上での楽しみだと個人的には思っているけれど、高橋さんの絵画は、そうした醍醐味をとことんまで凝縮したかのようで、見つくすことができない(そもそも何かを、とりわけ作品を見つくすことなんてありえないけれど)。私も大好きな美術家の齋藤春佳さんが、「作品を演奏する」という言葉を、書いたりおっしゃっていたりするのを見聞きしたことがあるけれど、まさにそんな感じで、作品を楽器、あるいは楽譜として奏でられる音楽が”演奏”の度に変わる、変わってしまうからこそ、何度でも挑戦したくなるし、そういった意味で、作品の”完成”というものもないのかも知れない。

作業台の辺りから、奥へと順々に眺めていくと、壁と壁の角の辺りには「縄」という文字が、画面右側へ見切れるように大きく描かれた作品が掛けられていて、同じ壁の中ほどにも、「絵画をやる-ひるがえって明るい」(@ANOMALY,2022年9月10日– 10月8日)などでも拝見した、「縄文弥生古墳…」と続いていく《白昼夢》シリーズに連なると思しき作品が立てかけられている。新しいシリーズが、筆と筆跡、あるいは色と余白とのせめぎあいだとしたら、こちらの連作や《1円玉》などは元あるイメージとの攻防で、特に文字は、書と近接しながらも、“折れ”の部分に絵の具が溜まっていたり、重ねて太くした線がシュプールみたいに溝を残していたり…と、絵の具の粘度、物質感を押し出してむしろイメージを後ろに追いやるような感じもある。かつ、「平成」あるいは「令和(時代)」の左側に残された余白の大小は、新作における絵の具と余白の均衡とも似て、大きく右に寄って描かれた「縄」の、縦棒と“ハネ”をキャンバスの右辺が切り取ると同時に、その代わりの垂線を務めるかのように見えるのも、画面とモチーフのせめぎあいのひとつに思える。

さらにそれ以前、と思しき厚塗りの作品群は、白い壁の残る一面…だけでなく、これまでの壁面にも散りばめられていて、前述の作品群が平面やイメージとの攻防だとしたら、こちらは積層の印象。けれどそれは、“レイヤー”というほどなまやさしいものではなくて、大地の裂け目から、その内側で鳴動するマグマを垣間見るかのようで、筆やナイフで絵の具を置いていくごとに、それらが新しい“支持体”となって、次の一手にまた新たな抵抗を生み出していくみたい。しかし、そうして筆と支持体の間を隔てるように挟まれていく絵の具、その“運動”の重なりは、覆いつくされた表面から一部を窺い知ることしかできない。新作や近作が、どこか将棋やチェスの盤面のように“戦い”の跡が明瞭であるのに対し、これら厚塗りの作品群の“見通しの悪さ”は、支持体と直にぶつかりあった、そのもがきの跡みたいで、そうした変遷が、時系列としてではなく一挙に飛び込んでくるところに、このオープンスタジオのよさのひとつがあったと思う。

「『約束の凝集』vol.5 高橋大輔|RELAXIN’」(@Gallery αM,2021年10月2日〜 12月18日)でも床一面に並べられていたようなドローイングが、キャンプ用のベッド?にたくさん積まれていて、その中でも象徴的だったのは、緑の表紙のクロッキーブックに、一枚につきひとつずつ、延々と描かれた石が仙厓の描く「〇」みたいな《石の連作2》。揺らぎ続ける円のゆくえを順に追っていくことは、壁に掛かった油彩の作品群を目にした時の、色彩のかたまりが一気にぶつかってくる感じとはまったく違う体験で、ファイルにまとめられたドローイングを見ること自体が、ひらいて、めくって、とじるという動作をともなう営みであることとあいまって、時間の経過を一望するというより、むしろ竜頭をちびちび巻いていくようで、膨大な量の作品を、じっくり見ることを許してくれる場だからこその感覚だった。


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