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小山維子さん「テイク」@アートセンターオンゴーイング

絵を眺めている内にも雨はにわかに強くなり、オンゴーイングの屋上をひっきりなしに叩く雨音の中には、見えない管を水が走る音も聴こえてきて、水槽にコポコポと新鮮な空気を送るポンプのよう。

そんな響きに包まれながら見ていると、小山さんの画面も水槽を覗き込んでいる心地で、矩形の中に置かれた筆致は、ゆるやかに対流する水の中へ、ひとつひとつ、慎重に物を沈めていって、流れの速さや温度のうつろいを実験した痕跡みたい。

水槽を連想させたのは、何も雨ふりの仕業だけではなく、小山さんの描く線が、キャンバスの上に載せていくというよりも、むしろ画面をその都度切り分けていくようだからかも知れない。例えば、階段の柵と窓との間に置かれた《Which》では、”山” の稜線、その左端から立ち上る陽炎のような線が、単に乳白色の空間を流れているというよりも、その線を境に両側の "白" が潜り合っている (大陸・海洋プレートの如く) ような印象を与えて、その線を描くと同時に、その周りの空間をも同時に形づくっている気がする。

《Which》と向かい合って置かれた《休息と抱擁》は、 (たしか) 大きさも同じくらいだったけれど、スノーホワイトな色面が画面いっぱいに広がっていて、その色面に押しのけられるようにキャンバスの輪郭へ寄った翡翠色の "水路" と、中央に抱かれるような ”湖” との落差が激しくて、”水槽” に沈める物の大きさによって、流れがどのように変わるのかを試したよう。

対して《瞼の裏》では、青墨色のラインで縁取られたその内外に淡香色の "岩" が置かれているけれど、《休息と抱擁》ほどは押し退ける/押し退けられるという感じではなくて、物の "密度" みたいな要素もあるのかも知れない。

そうやって連想していくと、キャンバスの大きさを変えることも、”水槽” のサイズという変数を操作することのようで、大作《帰還》 (出光アートアワードで拝見した《眠る/立たせる》を横倒しにしたぐらいの大きさだろうか。今回の作品が水を感じさせる一方で、あちらは切り取った空のようだった。)  を眺めると、筆致が散りばめられている割におだやかな印象で、描かれていることと、この画面 (の大きさ) であることが密接に繋がっている。

支持体を綿布や (和) 紙に変えていくことも、水槽の "深さ" を操作していると言えるかも知れない。綿布を支持体とした《断面》は、描いたというより染めたような筆致で、"深さ" を感じさせる。一方で、和紙に描かれた《1.17 (親近感)》は、水を含んだ筆が画面をたわませることで、壺を凹ませると同時に、その周りの余白を盛り上がらせていて (ひとつひとつではなく、連なりとして描かれていることも印象的)、水面に揺れる反映みたいで、支持体の性質と、描かれていることとが直結していると思う。

また、小部屋の名残の柱が、絵の大きさを測る (両手のひらで挟み込むように) みたいなのもなんだか好い。座布団に座って見上げたり、窓の鏡像と見比べたり、人の頭越しに見る作品が窓のようだったり (特に《くつろぐことについて》)…と、作品の色々な姿を垣間見れる空間作りが嬉しい。



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