新規で在宅ケアマネジメントのオーダーが入った際に良くある話。
遠方のご家族、または定期介入していないご家族などのケース。
「久々に行ってみたら大変なことになっていた」
もちろん「大変」=「大きく変わった」ように感じるのでしょう。
多いのは
「家の中が汚い」
「冷蔵庫の整理が出来ていない」
「鍋の焦がしがあった」
「受診が出来ていない」
「薬の飲み忘れがある」など。
だからこそ
年末年始、お盆、GWなどの後において
こう言った方からの相談が多いような気がしています。
「久しぶりに帰ってみたらビックリ!!」みたいなね。
相談の内容でお伺いする不安感の中で多いものは
「火の不始末」
「自動車の運転」
これらを含めて「隣近所への手前」
残念ながら本人の心身への不安よりも、こちらが多いようにも感じています。
しかし例え相談したとしても時間は取り戻せません。
ケア次第で若干の改善や在宅生活の延長には繋がるとしても
相談があった家族の求めるものとは、介入当初は大きな”壁”があります。
私は講義で良くお話しさせて頂きますが
「在宅は60%で概ね可。100%に戻す、時を戻すことは困難」
そのようにお話をする訳です。
私が訪問してきた現場でも
足の踏み場の無い家、ゴミだらけの家
全く食べ物が無い家、同じ食べ物しかない家
同居家族はいても家庭内別居な家
家庭内で人権侵害が横行している家
時が止まっている家
様々な家、自宅がある訳です。
これらの多くはご自身のお力はともかく介護力が無い
またはそれぞれの価値観の中で許された中で「今」がある訳です。
この「今」を、ご自身のお力があった際を100%とした場合
まあせいぜい50%としましょうか。
でもですね。
そのせいぜい50%にしても、そこに至ったそれぞれのプロセスがあること
それぞれの大切なバックグラウンドがあること。
そして何より「自宅での生活が継続出来ている」という事実が
ご本人の背中を押している、プラスαの%が足されている、と私は思っています。
しかし、久しぶりに戻って「大変」と感じる家族の多くは
悪ければ100%の頃と、良くても80%の頃と比較しがちで
足りないと思う部分は「サービスを使って補うべき」と思ってしまう訳です。
これは我が国の介護保険制度にある
「サービス至上主義」が悪い形で現れているのも背景にあります。
「サービスなら使わにゃ損損」みたいなね。
ただ忘れて欲しく無いのは
そのご家族が関われなかった、関わらなかったプロセスの中で
ご本人は自分なりに「その自宅で生活してきた」
その何者にも変えがたい事実がある、ということです。
自分が出来なくなってる、老いて行くことを感じているのは
紛れもないご本人自身です。
老いは仕方ないものでも、ご本人が体験している現状は
何もご本人が望まれていた状況では無い、はずです。
そして大切な人のための帰ってくる場所を「守らなければ」
その思いもプラスしてその自宅で懸命に生活してきているんですよね。
それがですよ
帰ってきた家族に、もしも「出来ていないじゃん」
「じいちゃんダメじゃん」って言われたとしたら。
「頼むよ、しっかりしてよ」って言われるとしたら、どうなんでしょうか。
こう言ったケースで私らが介入する場合、大きく2つに分けられます。
1つは「拒絶」、2つは「落胆」。
これらの心理状況の中
ご家族からのオーダーでいきなり「100%目指してください」って言われても
そう簡単に上手くいきません。
先ずは時間をかけて、ご本人との信頼関係を構築することを優先。
私らはその人のプロセスを、何より最大限受け止めます。
「良く頑張ってこられましね」「さすがですね」ってね。
だからこそ「自宅で生活し続ける事実」をプラスαとしても
「60%を先ずは目指そう」それが私のモットーです。
誰にでも介護力がある訳じゃ無い。
こちらの持つ「当たり前」が必ず通用する訳じゃ無い。
それは例え、ご家族とご本人だとしても。
しかし、それに備え準備することは出来る。
そして、そのために私が、私たちがいる訳です。
bozo
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