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海外の大学院進学(MAFashion)という大きな壁


はじめまして。東京の服飾専門学校に在学中の Nozomi です。

2019年5月にnoteに登録したのですが全くnoteを書くことなく今に至ります。

この度noteを書こうと思ったのは、大きな壁にぶち当たり、言語化して残しておきたかったからです。


服飾学生になった経緯


約2年前、大学卒業後3年間勤めた自動車メーカーを退職し、服飾学生に転身しました。

今思えば入社当時から別の道へ進む未来を覚悟していたので、

採用を担当して下さった人事の方に申し訳ないという気持ちが大きいです。

3年間で学んだことを目の前のことに真に活かせるのは、

もっと先になると思うのでいつか振り返りたいと思います。


正確には、勤務していた最後の1年は夜間で学校に通っていたため、

服飾学生は既に3年目になります。

会社に勤めながら専門学校に通う、という一歩を踏み出すのに実は勇気が必要で、

これまで深く考えずに乗っかっていたレールから自分の意志で外れるのが、初めてだったからです。(いわゆるこの “レール” には今でも感謝しているのですが・・・)

具体的に情報を集め、高田賢三さんや川久保玲さんなどのレジェンド級の方々から、当時グローバルに活躍していた日本人デザイナーの経歴やセレクトショップで扱われていたブランドのデザイナーの経歴を集められるだけ徹底的に集め、

当時わかったのは、海外の有名芸術大学(人数は少ない) か 服飾専門学校 出身の人が多いということでした。

総合職としてアパレル企業に転職し、企画開発の分野でブランドのディレクションをする方法もあるようでしたが、業界の実情を知っている学校の先生からは厳しいご意見をいただきました。そして何より、専門的な知識やスキルを持ったファッションデザイナーに強烈な憧れを抱いていました。

調べれば調べるほど、学校に通いたい気持ちが大きくなり、

中でも、服飾専門学生が参加するいわゆる「ファッションデザインコンテスト」に参加してみたかったので(コンテストって響きがなんか凄いというしょーもない理由です)コンテスト実績が一番高く、夜間で通える学校を選びました。

当時の心が踊る感覚は今でも忘れられなくて、大好きな漫画のページを必死にめくるような感覚(漫画はあまり読まないのですが)というか、ボルテージがMAXの状態でした。

ここまでくると既に気持ちはファッションデザイナー(ディレクター)に向かっていて、

そこから退社に至るまでは自然な流れで、いつの間にか東京に帰って来ていました。

当時一緒に仕事をしていた先輩方やチームの皆様には事前に告白していて、

みんな嫌な顔せず応援してくれたことが、本当に嬉しかったのを鮮明に覚えています。

とはいえ、

仕事が中途半端になって周囲に迷惑をかけるかも、という不安と

バレてしまったら周囲に冷ややかな目で見られるのでは、という罪悪感

を抱えながら18時10分に退勤してダッシュで地下街を全力疾走し、18時15分開始の授業に出席していました。(幸い学校は会社から徒歩7,8分の距離にありました)しかし毎日定時で上がれるわけもなく、進級ギリギリの出席率でした。


ちなみに、「卒業後は、自身のブランドを立ち上げ、海外のコレクションに参加するのが目標です。」という退職のご挨拶メールを皆様に送りました。


振り返ったら長くなりました。


本題


日本の服飾専門学校で頑張っていたとしても

海外の有名大学に挑戦するのはまた別の話、ということです。


なぜ海外留学を目指すのか、についても別途振り返ります。


ある日、同じ専門学校出身で海外留学を経て世界的に活躍している大先輩に、

校費留学試験(学校で年に1人、渡航費および学費1年分を学校が負担してくれます)について相談したところ、


先輩「ちなみに、どの学校行きたいんです?」
私「えーっと、、、セントマ MA Fashionのwomen's wear,,,,,」
先輩「え〜..................。僕ならあなたを(校費試験で)落としますね。絶対セントマ MAは受かりませんから笑 1年の準備期間では非常に難しい。せめて2年は欲しい。。。。

というグサっとくるご意見をいただきました。


実はこの意見、セントマ 東京窓口の方にも

セントマ のMAFa(エムエーファ)...」と口にした時点で目の色が変わるものです!!!」

と以前ご指摘いただいたので決して衝撃的な内容ではないのですが、久しぶりに現実に引き戻される出来事でした。

だって、John Galliano、Stella McCartney、Alexander McQueenですもんね。それは可能性ゼロに近いはずです。最近ならKiko Kostadinovあたりでしょうか。

具体的に何が足りないのか、という肝心の部分はアドバイスをいただきつつ積み上げていきたいと思います。その試行錯誤についても別で振り返りたいと思います。

というのも、今年一年幸いなことに当時から夢見ていたファッションデザインコンテストに参加させていただくことができ、入賞はならずでしたが自分なりに大きな収穫と達成感を得ることができていました。(以下ご参照)

個人的にファッションデザインコンテストについて思うことや参加して学んだことについても別で振り返ります。


『日暮里ファッションデザインコンテスト』

『第22回千年大賞』

しかしそれはそれ、これはこれです。


結論

こんなご時世ではありますが、セントマ で学びたい!と思っているものの、

(セントマ !と馬鹿の一つ覚えのように口にしていますが、情報を集めていくと、もしかしたら志望校は変わるかもしれません)

得たいもの、卒業後のプランを具体的に描くこと、

服にどのような意味を持たせるのか、あるいは服をコミュニケーション材料に何をしたいのか、そのビジネスモデルは何か、どう設計していきたいか、ビジョンを明確にしなければここから先に進めなそうです。これが大きな壁です。


今は大切な友人に向けた個人的な服作りと、アパレルブランドで「プロダクトとしての服」に関わらせていただいています。


これらについても言語化して残していきたいと思います。

それでは失礼します。


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2017年5月に大切な友人とシンガポールに行った時の写真です。この時に色々と覚悟を決めたのを覚えています。

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