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不登校になったきっかけ

言葉の暴力や不運の連続により人間不信になった私はそのまま改善せず中学3年生になりました。

中3の担任は自分自身のことしか考えていない自己中心的な先生でした。

今でも仲良くしている私の友人は、その先生が担任のときにクラスの子からいじめにあい、いじめがなくなったあとに保護者付き懇談会のときに先生にいじめにあっていたことを事後報告したら「知ってたよ」と言われたそうです。この友人は嘘をつくような人ではないので、先生が知っていたと嘘をついたか、いじめを見て見ぬふりをしていたかのどちらかになります。

私は自分の好きな人以外には媚を売れない人間です。中3のときのクラスメイトは高校受験のために先生に媚を売る人たちでした。人間不信であり、担任と仲良く出来なかった私はどんどん周りから距離を取られ、気づいたら独りになっていました。

教室という檻の中で独りでいることは出来ませんでしたので、初めは頑張って色々な子と一緒に行動しようと努力しました。しかし、彼女らは私から離れようと一生懸命動くので、一緒に行動することが出来なくなりました。気づいたら教室に入れなくなっていました。体が動かないのです。

しかし、2年半高校受験のために頑張ってきました。ここで簡単に教室に行かないという選択は出来ません。しかし、教室にいくことを考えると、寝れず、食べ物が喉を通らず生活に支障が出ました。相談できる先生に相談し、自分自身も何度も考えました。先生は皆「あと半年」と言います。しかし、体は半年も持ちそうにありませんでした。苦渋の選択ですが、別室登校を選びました。

半年前にはまさか自分が不登校になるとは思いませんでした。急にきた人生の選択であり、あれほど悩んだことは今でもありません。

どん底の始まりでありますが、この後も2ヶ月くらいは辛い日々が続きます。

あれから5年半経ちますが、相談した先生から言われた「あと半年だよ」「このままいけば推薦でいきたい高校に行けるけど、不登校になったらいきたい高校にいけなくなるよ」は今でも覚えています。私のことを思って言ってくれた言葉ですが、全てが辛く心に刺さりました。

きっかけはクラスで独りになったからですが、私に非がありますので当時も今もクラスメイトのことは恨んでおりません。

そして、別室登校を選択したことも後悔したことありませんし、このまま教室に言っていたらと思ったこともありません。

人生は点と点の連続です。私は全て運命だったのだと受け入れています。

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