7月12日

良い曲だなと思っていたSufjan Stevensの“Tonya Harding”というシングルをきのうふと久しぶりに聴いて、やっぱりとてもいいなぁと思って、そうしてずっと誰なのだろうと思っていたTonya Hardingを調べてみれば、アメリカ人女性で初めてトリプルアクセルを成功させたフィギュアスケーターだった。スキャンダラスなフィギュアスケーターの映画があることはなんとなく知っていたけれど、そのひとだった。そしてSufianの書いた曲は、その映画のためのものだった(けれど使われなかった)らしい。とても美しくて、とても悲しい歌だなと思い、今日は映画を観た。

Amy Winehouseのドキュメンタリー『AMY』を観終わったあとの気持ちに近い。こんな、はっきり言ってくそみたいな話が本当にあったのかと、こんな、はっきり言ってくずみたいなひとたちが本当にいたのかと、絶望に驚愕した。日本にも絶望的な出来事やそれを描いた映画は多くあるけれど、アメリカのそれとはやっぱり種類が違う。なんと言ったらいいか。アメリカのこれらの悲劇は、本当に冗談みたいな話なんである。現に『I, Tonya』の冒頭には「ジョークみたいな話だけど、本当だ」という注釈が流れた。エンディングでは「トーニャは現在7歳の息子と幸せに暮らしている」という字幕が出たけれど、それでも後味が悪い。せめてSufjanの曲がエンドロールで流れればもう少し救いのある映画になっただろうに、と思った。

カズオ・イシグロの『クララとお日さま』をようやく読了。カズオ・イシグロは素晴らしいなぁ、もっと読もう、と思った。エトセトラブックスの『エトセトラ』も全編読み終えた。そうしてわたしはやっぱり世界を変えたいな、と思った。こうして書いてみるとなんだか大業なことのようだけれど。伝えるとか表現するとか、考える。ずっと考えている。そしてそういうことを考え始めると時間の有限をものすごく実感する。その限られたフレームの中で、自分自身をどう使うか。どう使うべきか、どう使いたいか。

un/baredの原稿がもう全然収集がつかなくなっていたので、数日前フユキさんと少しZoomで話をさせてもらった。ぼやっとしていないでもっと向き合わなくちゃ、と思う。だって時間は有限なのだから。明日はスタジオの予定だったけれど、延期になったので落ち着いてあれこれをしよう。メンバーに送ったまま反応のなかった新しいデモ2曲はどうやら実際好評だったということがわかったこの数日。よかった、まぁそんな気はしていたけれど。いろいろのタイミングとか、やっぱりあるから、出来るときに出来るひとが出来ることをやればいい。そうしてどう転がっていくのだろうな。真ん中を、ぶらさずにおらなくては。

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