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RM "Yun" 真の美しさとは ~日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.078

俺は人でありたい 芸術を為す以前に
ここは残酷な世界
だが そこに俺の居場所があるようだ

Yun (with Erykah Badu)


俺が流行の最先端?馬鹿言うな
俺は「あの時」に戻ろうと思う
9つだった遥か遠い昔に
良い事と、そうでない事
それしかなかったあの頃
むしろあの頃の方が
より人間らしかったようだ
あちこちから受けた指図が
もう行かねばならぬ所だと
あの山を指し示すね
そこがお前に相応ふさわしい場所だと
ああ お前は独りになるだろう
もし取るに足らないその本心に
固執するのであるならば
チームを抜けたお前は
実のところ何者でもないんだよ
お前は高速道路から脇道へ行こうとする
お前はただ俺の言う事にまあまあ従って
そうして 全てを失う
いつもそうだったように
お前は周りに流されてゆき、
やがて気を良くしてしまう
クソ喰らえ 余所者エトランゼの生き方
いつも俺の居場所は
境界線の補給線パイプライン
相変わらず俺は
許されない夢を見て
誰も見ないダンスを踊る


沈黙を貫くのだ
何かを為す以前に お前は人間である
死のその瞬間まで

俺は人でありたい 芸術を為す以前に
ここは残酷な世界
だが そこに俺の居場所があるようだ
真の美しさとは、
真の悲しみだから
今 正に君は
俺の狂気を感じることができるだろう

俺は人でありたい 芸術を為す以前に
ここは残酷な世界
だが そこに俺の居場所があるようだ
真の美しさとは、
真の悲しみだから
今 正に君は
俺の狂気を感じることができるだろう


彼は言ったね いつも
まず人になれ、と
芸術をする心づもりはせずに
遊び、感じて、喜怒哀楽
技術が何だというのか?
技能が何だというのか?
お前自身が感銘を受けられない
お前の歌詞にある全ての言葉に
何の力があるというのか?

俺はあなたが言った真理が
何なのかわからない でも
ひたすら探して行く道の上
俺の速度と方向
あなたは死んだ しかし、
俺にとってあなたは現在進行形
変わらずここで生き続けている
永遠に
この全ての境界上に立った者達へ
必ずや届けなければならなかった
俺の夜を引き渡す
輝く花火は いつしか地面に
在るべき所に還ってゆく
真っ黒に焼け焦げた心臓
灰を撒いたその上に詩を書くね
死線を行き来した命と、
あなたが最期に
この地に遺したものたちへ
俺はやはり ただ少しは
より良い大人であればと願う


沈黙を貫くのだ
何かを為す以前に お前は人間である
死のその瞬間まで

俺は人でありたい 芸術を為す以前に
ここは残酷な世界
だが そこに俺の居場所があるようだ
真の美しさとは、
真の悲しみだから
今 正に君は
俺の狂気を感じることができるだろう

俺は人でありたい 芸術を為す以前に
ここは残酷な世界
だが そこに俺の居場所があるようだ
真の美しさとは、
真の悲しみだから
今 正に君は
俺の狂気を感じることができるだろう


韓国語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/6183183

『Yun (with Erykah Badu)』
作曲・作詞:RM , Logikal J , GHSTLOOP


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今回は2022年12月にリリースされたRMのソロ・アルバム「Indigo」の収録曲 "Yun" を意訳・考察していきます。

今回この楽曲の記事を書くにあたって、私はいつになく力が入っています。
「ひとりの画家を題材にした」という他に類を見ないこの楽曲に、油絵で大学に行った(ブルーピリオドの森先輩と同窓)私は俄然興味を持ったのです。

数あるアートジャンルの中でも「絵画」、とりわけ「油絵」を(趣味ではなく生業とする覚悟で)描く側の心理を実体験している身としては、ナムさんがそれらをどう解釈し、糧としたのかが非常に気になるところです。



1.親愛なる画伯様

まず楽曲タイトルである "Yun" は「Indigo」のジャケ写でRMと共に映っている絵画の作者であり、彼が敬愛してやまない作家のひとりである画家・尹亨根ユン・ヒョングン(1928-2007)氏、その人の名です。

ナムさんがユン氏の作品にどれ程惹かれているのかを推し量ることができる記事が、2021年3月24日付Weverse Magagineに掲載されています。↓

上記記事のユン氏の項目では、ナムさんがユン氏の作品を鑑賞するために世界中でその機会をうかがい、展覧会に地道に足を運んでいることが伝えられています。

ここからは、ナムさんの「推し活」の軌跡を、Twitter等の投稿を元に順に追ってみたいと思います。

■2019年8月5日から2019年11月24日まで伊ヴェネツィアのMUSEO FORTUNYで行われた国外初の回顧展を訪れたナムさん。2019年のこの時期は長期休暇中でした。↓

■2019年のセンイルには上記回顧展での1枚を添付。ナムさんが観覧している作品は、ユン氏が光州事件の一報を聞き入れてすぐにその憤りを表現したという韓国国立現代美術館所蔵の『다색(多色)』(1980)です。
(ジャコメッティの彫刻の真似をしている1枚もありますね😊)↓

■2019年10月1日からホアム美術館で開催されていた企画展『韓国抽象美術の旅程』にて、ユン氏の師であり義父であったキム・ファンギ氏の作品と共に展示されているユン氏の作品。↓
(この頃すでに国内外の様々な展覧会に足を運ぶナムさんの姿があちこちで目撃されていることを取り上げ、彼の美術に対する姿勢が他の芸能人とどう違うのかを伝える内容のネットニュースが公開されています。)

■2020年1月17日から3月7日まで米ニューヨークDavid Zwirner Galleryで開催されていたユン氏の展覧会に訪れたナムさん。↓

■2020年5月6日から6月20日まで開催されていた国立現代美術館の所蔵作品展『MMCAコレクションのハイライト2020+』に訪れたナムさんの姿。↓

■2020年4月23日から7月4日までソウルPKMギャラリーにて開催されていたユン氏の展示に訪れたナムさん。(ギャラリーの公式ページで同展をオンライン観覧可能)↓

龍山ヨンサンに移転したHYBE新社屋のスタジオ〈Rkive〉。正面奥のモニター背面にユン氏の作品が飾ってあります。↓

■この投稿を見た時は???だったのですけど、よくよく見たらユン氏の作品。待ち受け画面に設定するということはもう、好きの度合いが相当であることがわかりますね😊↓

■2021年10月24日に行われたPTDオンラインコンの「D-2」告知。ソウルPKMギャラリーにて2021年10月22日から11月14日まで開催されていたユン氏の展示での一コマ。(ギャラリーの公式ページで同展をオンライン観覧可能)↓

■2021年12月8日のナムさんのインスタ投稿と、米テキサス州The Chinati Foundationの2021年12月9日のインスタ投稿

2021年10月から2022年8月まで開かれていたこの企画展に、ナムさんはLAでのPTDコン後の休暇中に訪れています。↓

このチナティ・ファンデーションとユン氏の間には深い縁がありました。
創設者であるアメリカの美術家ドナルド・ジャッド(1928-1994)氏は、個展のために韓国を訪れた際にユン氏の作品に出合い、自らの財団:ジャッド・ファンデーションに招待して6点の作品の展示を行った(1993年)といいます。(出典
その翌年ユン氏の作品は3点がチナティ・ファンデーションでも展示され、その後コレクションに入ったとのこと。このユン氏の企画展は、ジャッド氏が亡くなる前にチナティ財団で手掛けた最後のプロジェクトだったそうです。(出典
インスタ投稿で奥の壁に設置されているのがジャッド氏の作品です。

ベルギーのアントワープにあるAxel Vervoordt Galleryのサイトでは、ユン氏の作品の展示記録を紹介すると共に、氏の人となりを年表PDFを作成して詳しく紹介しています
そしてこのギャラリーを運営しているアクセル・フェルフォールド氏は、ナムさんが「クール」と賛辞を送るインテリアデザイナー/アートコレクターです。

また、韓国国内においては、2018年8月から2019年2月まで、国立現代美術館で回顧展が開催されていました。

回顧展開催に合わせて制作されたユン氏のドキュメンタリー映像。生誕から晩年の制作風景、近しい人物の証言まで、ユン氏の壮絶な画家人生を垣間見ることができます。↓

この国立現代美術館は、ナムさんが2020年に寄付をした美術館として記事になっています。この寄付により復刻されたのが、ユン氏を含む韓国現代美術家の絶版になった図録でした。↓

ナムさんがアートに心を奪われたきっかけは2018年の9~10月にアメリカで行われた〈2018 BTS WORLD TOUR LOVE YOURSELF〉コンサートツアー中、休演日に訪れたシカゴ美術館でモネとスーラの絵を観た事だと明かしているので、このソウルでの大回顧展は運命のいたずらかタッチの差で観ることができなかったのかなと推測します。

一生に一度出会えるかどうかの自分好みの作家に出会って追い始めたら、またとない規模の回顧展がごくごく最近既に終わっていた、だなんて…もし自分だったらと思うと考えるだけでめっちゃくちゃ悔しいです。寄付のモチベーションはもしかしたらそんなところから来ていたのかもしれません。

この後も自身のインスタアカウントにユン氏の作品を何度も投稿しています。

そして2022年8月、ニューヨーク・タイムス紙に掲載されたインタビューでは、自身のスタジオに飾られたユン氏の作品が映る写真と共に「彼の世界、作品に夢中で全てが好き」と答えています。↓

ナムさんのこの一途な想いを、彼の心を最も正確に伝えることができる〈言語〉である「詩」と「歌」を用いてアウトプットしたもの、それがこの楽曲 "Yun" なのですね。
「好き」が高じて自分の得意な分野でその気持ちを表現する。これを「推し活」と言わずに何と呼びましょうか。


2.芸術をする前に人であれ

アルバムレビューでナムさんは、ユン氏についての楽曲を1曲目に採用した理由について言及しています。↓

なぜ敢えてこの方を最初のリファレンス(参照・言及)で採用したのかというと、この方は「芸術の前に人であれ」「絵を上手く描こうと思わずに、(外に)出て人々に出会って、ぶつかってケンカして遊びながら人生を生きたその次に芸術が出てくるんだよ」「必死に座ってアトリエで絵を描いてみてこそなのだ」「それは絵の為の絵(にすぎないの)である」(とおっしゃっている。)

(中略)

芸術をする前に僕はただの人にまずなろう。そのテクニックやどんな技術も必要ではないのだ。どんな魂と、どんな人生と、どんな事由を持った人からどうやって出てくるかが重要なんだ。
――RM 'Indigo' Album Magagine Film より、"Yun" 解説部分の韓国語字幕を公式字幕の補完を参考にして和訳

https://www.youtube.com/watch?v=lRy8OYhLO-A&t=410s

人としての熟成なくして芸術を為すことはできない。
彫刻家オーギュスト・ロダンの言葉とされている 'The main thing is to be moved, to love, to hope, to tremble, to live. Be a man before being an artist.' (出典)にも通じるこの思想を受け止めてみると、あの時のナムさんの訴えがより一層胸にしみてきますし、彼が言いたかったことはこれだったんだという確信を持つことができました。
それ故にこのアルバムの1曲目として "Yun" を据えているのでしょう。

ここからは、絵を描く側の人間として私が解釈したことをお話ししようと思います。

ユン氏の作品は「油絵」です。油で溶かした絵具と帆布はんぷ(=キャンバス地)で成立しています。

「油絵」と聞いた時、皆さんはどんな絵を思い浮かべるでしょうか。
おそらくほとんどの方はゴッホのひまわりやモネの睡蓮といった絵を思い出し、チューブからパレットに出した絵具をひたすら厚く塗り重ねたもの、といったイメージを持っているのではないかと思います。

私はまだユン氏の作品を肉眼で鑑賞したことは残念ながらありませんが、氏の作品、とりわけナムさんが好んで蒐集している時期の作品は、その真逆を行く手法で描かれています。(参考
ジャブジャブと刷毛を浸せる程になるまでテレピンオイル(揮発性の高い油絵用の調合油)で希釈された絵具を用いており、むしろ紙に描く水彩画や水墨画に近いと言っても良いのではないかと思います。

下地が塗られていない布地に多めの油で溶いた油絵具によってもたらされた'にじみ'は、見た目だけを取り上げて言えばわざわざ油絵具と帆布を素材として選び取ってまで目指そうとする効果ではないと私は思います。
例えばそれこそ和紙と顔料を使って水墨画のように描いたとしても、似たような結果を得られる可能性は十分にありますし、実際、ユン氏は紙を用いた作品(エスキース)も残しています。

油絵具はまず、簡単には乾きません。どんなに速乾性のあるメディウムを用いたとしても、水彩絵具のようにはいきません。なので、特別な技法(中世の宗教画にみられるテンペラ画等)を選択しない限りは、キャンバス上でも色と色が混ざって想定外に濁ることを許容しつつ筆を進めていくことが暗黙の了解でもあるのです。

そしてキャンバス地は、絵具の乗りを良くする為の白色の下地(ジェッソ)があらかじめ塗られているものが、日本で流通している市販品では一般的です。
水彩絵具とは違い〈にじませない〉という意識が油絵具を扱う為には最低限必要とも言えるかもしれません。

つまり、ユン氏のような絵を描くだけ●●ならば、油絵具と下地なしのキャンバス地を敢えて採用する必要性はあまりないのです。むしろ避けて通る方が良い道であるかもしれません。

ここに、ユン・ヒョングンという画家の作家性が如実に表れていると私は考えます。
ユン氏が歩んできた人生が、氏だけにしか見えない景色を創り出し、そしてそれを具現化するために選び取られたのが「油絵具」と「生の帆布」であり、その組み合わせでしか成し得ないものがあったのです。

音楽にしろ絵画にしろ、作りたいと思って目指すものがあるから作り始めるのが常です。
その際、例えば「〇〇みたいなかっこいい絵が描きたい」とか「〇〇のような素敵な曲を書きたい」というゴールを目指しがちなところが大半の人にはあるのではないかと思います。

初心者や趣味でやっているうちはそれでも良いのですが、作家としてもの作りをする場合はそう言うわけにはいきません。
何故なら、〇〇みたいな作品は〇〇「みたいな」ものにしかならず、本当に自分が思い描いているもの…自分の中にしかない自分だけの真理には決して近づくことができず、真理を具現化できないうちは、その結果が誰かの心を掴むことはまずあり得ないからです。

前述したアルバムレビュー動画の引用文にある「(絵を上手く描こうとして描いた絵は)「絵の為の絵」(にすぎない)」という言葉の意味は、「〈絵〉を描くことによって目指すものが〈絵〉であってはならない」、ということ。
作品を作り続けて生きて行くためには、個としての真の自分の姿を見失わず、その確立を目指して進み続けることが大前提となるのです。

楽曲 "Yun" は、イントロとアウトロにユン氏の肉声がサンプルとして使用されていますが、イントロでは〈人間の理想を実現した最高の状態〉を表す「真善美」という言葉を用いてこの「真」について語られています。

生涯真理に生きて行かなければならない、ということなのだ。
プラトンの人文学では人間の本質であるが、「真善美」とは真実であるという「真」の字と、善良である「善」の字と、美しい「美」ということだが、私の考えでは「真」ひとつだけ持てば全てが解決すると思う。
――中央日報 2022.12.05 「RM 못 말리는 미술 사랑, 첫 솔로 앨범에 최애 작가 목소리」より、ユン・ヒョングン氏の肉声文字起こし部分を抜粋して和訳 ※日本版記事はこちら

https://www.joongang.co.kr/article/25123029

この「真」に向き合い「真」に生きるユン氏の姿勢は、ナムさんの心をわしづかみにしています。↓

“진실로 서러움은 진실로 아름다움 하고 通한다.”
真実の悲しみは真実の美しさと通じる)
――1988年 8月 7日 ユン氏の日記

※回顧展開催時の国立現代美術館PR投稿より
https://www.instagram.com/p/Bmezk8xl5h6

これらの思考をナムさんは "Yun" の歌詞に次のように落とし込んでいます。

I wanna be a human
(僕は人でありたい)
'Fore I do some art
(芸術をする前に)
It's a cruel world But there's gon' be my part
(ここは残酷な世界だが、僕の場所はそこにある)
Cuz true beauty is a true sadness
(真の美しさは真の悲しみだから)
Now you could feel my madness
(今君は僕の狂気を感じることができるだろう)

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6183183

ユン氏は1970年代中頃に韓国で興った〈単色画タンセッファ〉の流れを汲む、韓国現代美術界における主要作家のひとりです。

HYPEBEASTのインタビューでナムさんも触れていますが、ユン氏はナムさんの年齢になるまでに「日帝強占期/日本統治時代」と「6.25戦争(朝鮮戦争)」そして「独裁政権時代」を経験しています。
「3回の服役と1回の死の峠を越えた」とその生涯は各所で紹介されています。(出典
朝鮮戦争期の補導連盟事件(1950年)では、40人の仲間の内生き延びたのは氏を含めて5人のみだったとも伝えられています。(出典

美術教師だったユン氏が本格的に画業に専念することになったきっかけは、1973年に勤務していた学校で起きた不正入学を追及したところ、対象者が情報局長の娘だったため目を付けられ「かぶっている帽子がレーニンのものに似ている」という謂れのない理由で投獄されてしまい、その後服役した後も罪人扱いされ教師として復職できなかったことだったといいます。(出典

この1973年を境にして作品に用いている'色'は、バーントアンバーウルトラマリンの二色を混ぜた黒に近い色が主流となり、1977年1月の日記ではそれぞれに「土」と「空」を投影しているとしています。(出典

数々の痛みと悲しみを経験したユン氏の元に残った唯一の'色'。
真の悲しみに真の美しさを求め、見出した'色'。
下地を施さない帆布に滲み、染み込んでいくがままに塗り重ねられる深い悲しみの'色'。

ナムさんがアルバムジャケットに起用したユン氏の作品はこの茶・青の混合色を使った一連のシリーズに作風が切り替わる直前の作品〈청색青色(1972)〉であり、撮影の為にご遺族からお借りしたとのこと。(出典

レビュー動画の冒頭部分でこの絵を「ユン・ヒョングン画伯という方のシグネチャー(=代表作)が出てくる直前の絵画です。最後の習作のような絵画なのです」と紹介しています。

「自分のシグネチャーをまだ見つけられていない」と語るナムさんが自ら選んだこの習作と共にジャケットに収まっている理由。
ユン氏を出典として楽曲を制作した理由。
これらをよく理解しようとするには、ユン・ヒョングン氏の生涯・思想・作品をより深く知ることが必要でした。

これが正にナムさんの「やりたかったこと」が実践されている証拠なのだと思います。

憧れや理想を追ってうわべだけを模倣するのではなく、自らがひとりの人間として悩み考え、そこで得た知識や感情を元にして作品を構築するということ。
ただ「好きだから」選んだ、ということでもなく、決して形だけを整えるようなものでもなく、そこには必ず自分自身の中に真理を追い求めた痕跡があるということ。

まだ道半ばと謙遜する必要がないのではと思う程に、彼の姿勢は既にその理想と一分の狂いもないように私には思えます。


3.9歳か10歳で止まった心臓

歌詞を見てみると「9歳」というある意味具体的で、ある意味ぼんやりとした年齢が冒頭で登場します。

Back the time, far to when I was nine ※1
(僕が9歳だったはるか遠いあの時に戻る)
좋은 것과 아닌 것밖에 없던 그때
(良いこととそうでないことしかなかったあの頃)
차라리 그때가 더 인간이었던 듯해
(むしろあの頃の方がもっと人間であったようだ)

https://music.bugs.co.kr/track/6183183

※1 theがつくtimeは具体的な「あの時」を指す(参考

この「9歳」の頃が彼にとってひとつのターニングポイントであったことが2018年の国連総会スピーチで明かされています。

僕たちの初期のアルバムの或るイントロの中に「僕の心臓はおそらく9歳か10歳で止まった」という歌詞があります。
振り返ってみると、他人が自分をどう思っているのかを心配し始め、彼らの視線を介して自分自身を見始めたのがその頃なのです。
――2018年9月24日にユニセフのグローバル・サポーターとして国連総会で行ったスピーチ全文より抜粋して和訳

https://www.unicef.or.jp/news/2018/0160.html

このスピーチで言及されている「初期のアルバムのイントロ」は、2013年9月にリリースされたミニアルバム第1集「O!RUL8,2?」に収録されている "Intro : O!RUL8,2?" です。

넌 대체 누굴 위해 사냐 9살
(俺は一体誰のために生きているのか 9歳)
아니면 10살 때 쯤 내 심장은 멈췄지
(それとも 10歳の時ぐらいで俺の心臓は止まったよ)
가슴에 손을 얹고 말해봐 내 꿈은 뭐였지?
(胸に手をあてて言ってみるよ 俺の夢はなんだったっけ?)
어.. 진짜 뭐였지
(ああ…本当になんだったっけ)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/3199566

自分にとって「良い」かそうではないかという基準だけで目の前のことを「分類」すればよかった9歳のころまでとは違い、人の目を気にして周りが正解とする方を「選択」するようになっていったその後の自分。
自覚があってそうしていた訳ではなく、「振り返ってみると」そうだったのだと後から気づく。

心臓が止まる=自分の真意の居場所がなくなる

結局、その末路が「俺の夢は何だったっけ?」だなんて、あまりにむなしいですよね。でも、多分ここ日本でも、現在進行形で同じようなことが誰の身にも起こっているのではないかと思います。

人間にとって集団行動は必要なスキルだとは思います。人は一人では絶対に生きてはゆけません。
でも、集団の一員であり続けるために周りに自分を合わせようとすることが最も大事なことである、と、錯覚を起こしてしまいかねない風潮があるのも確かだと思います。

私は9歳の夏休みに転勤族だった親が持ち家を購入するまで全国を引きずり回され、ひとつの集団になじむ前に次の輪に強制的に放り込まれる、という生活を続けていました。
幼稚園児まではまだ、ある日突然(転勤は春とは限らない)現れた知らない子をその日のうちに受け入れられる子もいるにはいた(しっかりいじめてくる子も必ずいましたが)のですが、9歳で小学校を転校した時が最も居場所を作るのに苦労したと記憶しています。

おそらく、受け入れる側もよそ者に対する警戒心を持つようになる年頃で、そこに飛び込むこちら側も、自分が周りからどのように見られ、どう思われているのかを意識し、全ての反応を真に受けていたからだと思います。

私の心臓もきっと、この時に一度止まってしまったのでしょう。

その後、鼓動はいつまでたっても戻っては来ませんでした。
誰も私の状態を知ろうとはしなかったし、私自身も、そんな自分の状況を全く理解していなかったからです。とにかく周りに受け入れてもらいたくて正解であると思うことを選んできたけれど、結局、全てを見抜いてくれる人は現れませんでした。

長い長い間、心のどこかで他人にどう思われるかを気にしながら生きてきた私は、「あなたの名前は何ですか」と問いかけるナムさんの国連スピーチを聞いて、涙を流しました。何故泣いてしまったのか、その時はよくわかっていませんでした。とにかくどんどん何かがあふれてきて、全ての呪いが解けたような気持ちになったのです。

今回 "Yun" の読解を進めるにつれ、ようやくその理由が少しわかった気がします。私は私のままで良いのだと、むしろそうでなければならないのだと、この時生まれて初めて誰かに言ってもらえたからなのだ、と。


4.「Indigo」を貫く言霊

HYPEBEASTのインタビューでナムさんは、"Yun" はアルバム「Indigo」全体を理解するための基礎となる曲であると明言しています。↓

こちらのインタビューは聴き手の方が的確な質問を投げて下さっているおかげか、とても充実した内容となっています。中でも、歌詞についてのこちらの質疑応答が非常に印象的です。↓

Q:それでは、"Yun" でアルバムを貫くラインをひとつだけ挙げてみるとしたら?

「F*** the trendsetter」このひと言がたくさんのことを含蓄しています。 
"Still Life" でも「Trendsetter? I’m a friend, better」という歌詞で再び出てくるんです。予め指摘しておくと、僕は絶対にトレンドセッターを非難しようとしているのではありません。 トレンドを導くスターたちは素晴らしい人たちだけれど、僕はそういうポジションを望んでいないという話です。
余りにもたくさんの人々がパッと現れて消えていくのを見届けてきて、僕は、僕と僕たちのチームがそうならないように願っているんですよ。
――HYPEBEAST韓国版 2022.12.15掲載「29歳 キム・ナムジュン 野花を咲かせる 〈Indigo〉に込められたRMの記録」より抜粋して和訳

https://hypebeast.kr/2022/12/bts-rm-solo-debut-album-indigo-release-interview

1曲目の1行目、第一声がアルバム全体を貫いている、というこの潔さ。一枚のアルバムを仕立てるにあたっての責任の取り方がかっこよすぎやしませんか…。「Indigo」というアルバムを美術館の展示に例えるとするならば、一曲一曲の表情が異なる企画展のような仕上がりになっていますが、一貫性のある思想で統一された一人の作家の個展でもあるのです。

"Yun" の世界をどこまで理解できるか否かで、この後に続く楽曲の捉え方も変わってくるのではと思います。

これから一曲ずつ閲覧して回るのが一層楽しみになってきました。



新年早々、長くなりました。
2023年も地道に書き続けていけたらいいなと思っています。
今回も最後までお付き合い下さりありがとうございました。
💙


2023.2.15 追記:
この記事を執筆した時は公開状態だったナムさんの個人インスタアカウントの投稿が大幅に削除されました。よってこの記事中のリンクも外れてしまっています。ご了承ください。

あと、これは個人的な思いですけれど、
もし、この記事を読んで聖地巡礼をしたいと思われた方がいらっしゃったら心に留め置いていただきたいことがあります。

美術作品が公開されている空間は、その作品の為に用意されたものであり、彼と同じ画角に収まって認証をとりたい、彼と同じことがしたい、という理由だけで決して侵されてはならない空間です。

過去には作品に落書きしたARMYを名乗る輩がいたと知り、私ははらわたが煮えくり返りました。

ナムさんが美術作品をどれだけ愛しているか、理解を深めようと邁進しているかを考えれば、そんなこと絶対にできるはずが無いのに。

だからどうか、彼が歩いた軌跡をたどろうとするならば、それ相応の覚悟を持って歩いていただきたい。偉そうなことを言いますが、そこにある作品がその空間では何よりも1番大事なものなのだと理解できない人は、彼と同じ道を歩く資格は微塵も無い。

ナムさんにはこれからも、自由に、好きなことを好きなだけ追求して欲しいと切に思います。