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RM "들꽃놀이(Wild Flower)" 僕のはじまりは詩 〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.076

我 この荒涼たる原野に遺らん
ああいつしか我 土へと還らん

들꽃놀이(Wild Flower)



一面の野の花 それが僕の居場所
何もない野原 それが僕の居場所
名もなき存在 それが僕の真の姿
恥じることなく自ら墓の上に立つ
地に 足が着かぬ時
貴方の心が貴方をさげすむ時
夢が僕を飲み込まんとする時
僕が 僕でなくなる時
その 全ての時


僕は花火に憧れていたね
ただ華やかに散りたかったよ
始まる前から僕は想像してたさ
最後には笑って、
拍手して貰えていますようにと
僕は 願っていたね

信じて来た事が 全部
遠ざかってしまった時
この 誉れの全てが
もうかせとなった時
この欲をどうか取り払って下さいませ
どんな事があろうとも ああ
僕が 僕であるようにして下さいませ

四六時中
執念深い苦痛と悪意の応酬
己の心臓の音で寝付けなかった夜
窓の外に掛かった物悲しい三日月
素敵な夜を過ごせるようにと祈る

己の身の丈を超えて肥大した人生
彼方に舞い飛ぶ風船を
何とか掴んで問い正す
一体今、お前はどこへ
どこへ行くつもりなんだ?
お前の魂はどこだ? おい
お前の夢は どこにある?


あの空に 散らばるよ
ともすよ、花を
花咲ける人生
野花のように咲きて舞う
あの空で まばゆいほどに
ともすよ、花を
花咲ける人生
野花のように咲きて散る


そのどこまでが'僕'の終わりなのか
全部うんざりだな
一から十まで全て
この鬱陶うっとうしい仮面はいつはがれるのか
僕は英雄でも悪役でもない
何でもない 僕

空回りは繰り返され
記憶たちは荒れ狂う
僕は野原で寝転がり
空の上に視線をほお
何を 望んでいたのか
もう思い出せやしない
得たと信じていた全ての幸せは
ほんの 一瞬のこと
例え何が待ち受けていようと、
どうせ僕は突き進んでいる
それが何であろうと

夜明けのすそを掴んで
何か吐き出した記憶
声がうるさいだけな者達の世の中
僕は 相変わらず沈黙を通す
これは傍白ぼうはく 熟練した帆掛け船
全ての誤解と偏見に届くように
歓迎しない あんたの胴上げ
僕の両足はこの地上で
名もなき花たちと共に
二度と星には行けない 行けない
足下で ただ進むだけ
目的のない目的地へと
悲しいとも思わずに
影までをも友にして
僕は 去るのだろう


あの空に 散らばるよ
ともすよ、花を
花咲ける人生
野花のように咲きて舞う
あの空で まばゆいほどに
ともすよ、花を
花咲ける人生
野花のように咲きて散る


ふと 立ち止まってみると
輝かしい素足
元はと言えば
僕のものは何もなかったね
'何者かにならなければならない'
そんな風に僕に言うのはやめて
僕は絶対、
彼らのようにはなれないから
(ともせよ、花を)
そう 僕の始まりは詩
今まで僕を守ってきた
ただ一つのチカラと夢
(ともせよ、花を)
燃える花火から野花へ
少年から永遠へ
われ この荒涼たる原野に遺らん
ああいつしか我 土へと還らん


あの空に 散らばるよ
ともすよ、花を
花咲ける人生
野花のように咲きて舞う
あの空で まばゆいほどに
ともすよ、花を
花咲ける人生
野花のように咲きて散る


一面の野の花 それが僕の居場所
何もない草原 それが僕の居場所
名もなき存在 それが僕の真の姿
恥じることなく自ら墓の上に立つ
地に 足が着かぬ時
貴方の心が貴方をさげすむ時
夢が僕を飲み込まんとする時
僕が 僕でなくなる時
その 全ての時


韓国語歌詞はこちら↓ 
https://m.bugs.co.kr/track/6183191

『들꽃놀이(Wild Flower)』
作曲・作詞:RM , DOCSKIM



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今回は2022年12月にリリースされたRMのソロ・アルバム「Indigo」のタイトル曲 "들꽃놀이(Wild Flower)" を意訳・考察していきます。

2018年にミックステープとして公開された「mono.」以来約4年ぶりのオリジナル作品集となったこの「Indigo(藍色)」というタイトルは 'mono(chrome)=単色' と対比されるものとして選ばれた'色'であり、「mono.」以降自身に訪れた変化を汲んで、2022年の時点での彼の '現在地' を表そうとしたものであると、公式動画で彼自身が語っています。

「WINGS」以降VLIVEで恒例となっていたナムさんによるアルバム全曲レビュー。「7」を最後にしばらくその機会はありませんでした。
今回は本人による収録曲の解説をベースに、共作陣のコメントを丁寧に塗り重ねていくことによって、このアルバムの方向性や彼自身の人間像をより鮮やかなものにしていく試みがなされています。必見です。



1.「FireworksBTS」と「Flower worksRM

前述の動画の中で彼は、楽曲名 "들꽃놀이" について以下のように言及しています。

「들꽃놀이」という言葉を2016年から考えていた。
불꽃놀이ブルコッノリ」と「들꽃놀이ドゥルコッノリ」という言葉が韻を踏んでいたのでそれが面白いと思っていて、英語でいうと「Fireworks」と「Flower works」のようになる。
僕の考えではBTSは「불꽃」だ。花火のようだと。でも、RMは「들꽃」のような人だと思う。僕はただ野原でそんなふうに咲く野花。
野原で横になっている、そういう「들꽃놀이ドゥルコッノリ」のような人でありたい。
―― 'Indigo' Album Magagine Film より、該当箇所を抜粋して意訳

https://youtu.be/lRy8OYhLO-A?t=1871

また別のインタビューでは「Flower works」という言葉は自ら作った言葉であるとも明かしています

("Wild Flower" というタイトルの由来を聞かれて)
実はこの曲は「Flower works」という仮タイトルだったが、意味のないタイトルなので("Wild Flower"に)変えた。
僕がその言葉を作ったのだが、「Fireworks」と「Flower works」を比較すると簡単にわかるだろう。「Flower works」のようなものは実在しない。
――RM Breaks Down His Debut Album 'Indigo' より該当部分を抜粋して意訳

https://youtu.be/XpysHaaliuc?t=127

そして彼は、造語「Flower works」に託したイメージをこう語っています。

野原に横になり、小さな花を掴んで空に放り投げると、それが花火のように舞い落ちてくる。それが「Flower works」のイメージ。
――RM Breaks Down His Debut Album 'Indigo' より該当部分を抜粋して意訳

https://youtu.be/XpysHaaliuc?t=127

たった数十分の打ち上げ時間の為に入念に準備をして、輝かしいそれを見る為に沢山の人が集まるイベント「Fireworks」。「Fireworks」という言葉自体が広く知られた言葉である。

一方「Flower works」は言葉自体の存在も意味も自分の中にしかなく、「地べたに背を預けてその場に咲く野花を摘んで散らす」という、いわば自己完結的なひとり遊びのようなもの。

これらの対極的なイメージを、「불꽃놀이ブルコッノリ/Fireworks」と「들꽃놀이ドゥルコッノリ/Flower works」という良く似たふたつの言葉に託し、BTSとしてのグループ活動とRM(キム・ナムジュン)としての個人活動との間にある関係性や、葛藤の末に見つけた現時点での答えを唄っているのが楽曲 "들꽃놀이" であると言えるのではないかと思います。

上記インタビューではまた、こうも語っています。

僕は詩人として自分のキャリアをスタートさせた。幼い頃は作家か詩人になりたいと常に思っていたので、リズムと詩を基本とするラップをやることを選んだ。
だから僕はいつの日か、空に放り投げられた花のように素足で地上に戻りたいと思う。これは僕の「Fireworks」のようなものだ。
――RM Breaks Down His Debut Album 'Indigo' より該当部分を抜粋して意訳

https://youtu.be/XpysHaaliuc?t=127

この話を聴いていて私が思い出したのは "Ma City" の歌詞でした。
出身地イルサンを「俺が死んだら骨をうずめたい場所」と紹介した彼。でもよく考えてみればまだ "Ma City" のリリース時点(2015年11月)で彼は満年齢21歳。韓国でのお墓や死についての概念はまた日本とは異なるであろうとはいえ、見据えている未来との距離感が想像を超えているというか、「どういう生き方をしたいか」という彼の意志の明確さに驚愕した私。

"Ma City" のナムさんの歌詞はこの一文のインパクトが強く、イルサンの自然の描写とも相まって「懐深い大地の土臭さ」のようなものを感じていたのですが、今回この "들꽃놀이" には "Ma City" のナムさんパートで感じたイメージがそのまま1曲分に拡大されたような印象を受けました。

今までどう生きて来たのか、これからどう生きて行きたいのか。
そして今、どうありたいのか。
BTSとして、RM/キム・ナムジュンとして、どこでどのように「咲く」ことを選ぶのか。そして、どこでどのように咲き終えるのか。
FireworksBTS」と「Flower worksRM」、その両者を比較追及することで見えてくるものは何なのか。

彼のコメント中の「들꽃놀이のようでありたい」という部分だけを切り取って、「(花火ではなく)野花のようになりたい」と解釈してしまうと、この楽曲の本当の意図の半分しか受け取ることができないような気がします。
彼は決して、花火BTSとしての生き方を否定したくてこの歌詞を書いたのではないと私は思うからです。
バンタンあってのRM、RMあってのバンタン。バンタンを支えるためにはRMが成立している必要があるし、自分を語るためには既にバンタンの存在が必要不可欠である、と。

"Wild Flower野花" という言葉に辿り着くまでのこれらの過程を知ることが、この楽曲を理解するための条件のひとつであると思います。


2.もうひとつの'Proof'

いくつかのセンテンスで成り立つ「Indigo」のキャッチコピーの中に〈the last archive of my twenties(僕の二十代最後の記録アーカイブ)〉という一文があります。「30歳になる前に1stを出したかった」とインタビューで語るナムさんは、この "들꽃놀이" の歌詞に何を〈記録〉したのでしょうか。


■お前の夢はどこにある?

まず前半では、その才能を開花させデビューを果たした後の20代のはじまりが語られています。

観客に迎えられ賞賛の拍手を浴びる〈花火〉のようなアーティストに憧れ、舞台に立つことを夢見て現在に至る道を選んだナムジュン少年。
ところがいざデビューを迎えたその日、その先で待ち構えていたのは、広い広い世界との壮絶な闘いでした。

――信じる道を進み高みを目指す程引きずり降ろそうとしてくる者。
妬み嫉みで研がれた言葉の刃で心をそいでくる者。
信じていた〈夢〉は遠ざかり、賞賛を受ければ受ける程反比例して増えていくアンチの数。
応戦して反論し、アンチの目前で自分を肯定すればすっきりするかもしれない。でも、それは本当に自分がやりたい事なのかと、いいやちがうだろうと、自分を見失う寸前で必死に葛藤する日々。

믿었던 게 다 멀어지던 때
(信じていたことが全て遠ざかってしまった時)
이 모든 명예가 이젠 멍에가 됐을 때 ※1
(この全ての名誉がもうくびきとなった時)
이 욕심을 제발 거둬가소서 ※2
(この欲望をどうか取り除いてくださいませ)
어떤 일이 있어도
(どんなことがあっても)
오 나를 나로 하게 하소서
(ああ 僕を僕でいるようにしてくださいませ)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6183191

※1 멍에…くびき(首木・頸木・軛)=牛や馬に車を引かせるために使う横木。転じて、自由を束縛するものの例え。
※2 ~소서…丁寧な依頼や祈願の意を表す語尾。時代劇の台詞などで聴くことができる。(参考

Oh every day and every night
(毎日 毎晩)
Persistin' pain and criminal mind ※3
(しつこい苦痛と犯罪者心理=悪意)
내 심장소리에 잠 못 들던 밤
(僕の心臓の音で寝付けなかった夜)
창밖에 걸린 청승맞은 초승달
(窓の外に掛かる物悲しい三日月)
I do wish me a lovely night ※4
(僕は自分に素敵な夜を(過ごしてと)切に願う)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6183191

※3 criminal mind=犯罪者心理≒悪意、犯意
※4 do + 動詞…動詞を強調するdo(参考

――いつの間にか自分は自分だけのものではなくなり、把握している輪郭を超えて影響力は肥大する。
当て所なく飛んで行く風船のように地に足がついていない己に向かって問い質す。

「お前の夢はどこにある?」


■鬱陶しい仮面ペルソナ

――肥大していく 'BTS' の 'RM' という存在。
人々の間では知らぬ間に数多の神話が生まれ、一方、身に覚えのない罪をきせ烙印を押しつけてくる者もいる。
もはやどこまでが本当の自分なのか分からない。

いつになったらこの〈仮面ペルソナ〉をはがすことができるのか。

その中身はなんの変哲もない、ただの人なのに。

――求めていたものは何だったのか。夢も目的も見失って空回りを繰り返す。
それでもとにかく、走り続けるしかなかった。

何が待ち受けていようと、とにかく進み続けていくのだ。


■夜明けの裾を掴む

歌詞にも登場する「새벽セビョク」という時間帯を表す韓国語の単語があります。私はこの言葉が持つ響きと情緒にものすごく心を惹かれます。
こちらの説明によると、日本語では「明け方、夜明け、暁」と訳されるこの言葉ですが、実際にカバーしている時間帯はもっと長く、日付が変わったあたりから日の出頃までの時間帯を表現することができるといいます。

明け方の歌、と言えばこちらの曲。

"네시(4 O'CLOCK)" は正に「새벽セビョク」が表す時間帯の歌です。「陽の光の元で息苦しさを覚え、夜の闇には解放感を抱く」歌。
"들꽃놀이" の以下の部分は、"네시" や "moon child" でも表現された「새벽セビョク」に心を開く者の切実な思いが込められているのだと思います。

새벽의 옷자락을 붙잡고 뭔가 토해내던 기억
(夜明けの裾を掴んで何か吐き出した記憶)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6183191

日本語には「夜のとばりが下りる」という慣用句がありますが、「새벽セビョクの裾を掴む」という表現には本当に痺れました。情緒、というものが何なのかをあらためて理解できたように思えた瞬間でした。

そんなふうにひとり闇の中でしか吐き出せない程、彼は何を抱えていたのでしょうか。

목소리만 큰 자들의 사회
(声だけ大きい者たちの社会)
난 여전히 침묵을 말해
(僕は相変わらず沈黙を言う)
이건 방백, 완숙한 돛단배
(これは傍白ぼうはく 熟練した帆船) ※5
모든 오해 편견들에 닿게
(全ての誤解 偏見たちに届くように)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6183191

※5 傍白ぼうはく=演劇の台詞のうち、観客に聴こえるように言ってはいるが、設定上独り言として成り立っているもの。モノローグ。(参考

〈なぜ人間の感情は負の方向に向くと瞬発力も攻撃力も増すのでしょう。
不平不満、批判や否定を伝えようとする時の人の行動力って呆れる程迅速にして鋭利。〉
…こんなことを私は "Born Singer" の記事でも書いたのですが、誹謗中傷、不平不満、妬み嫉み、そういった負の感情は往々にして暴力的な勢いを持ち、その声量も軒並み上がります。

「声だけが大きい者たち」とは、感情のままに言葉で暴力をはたらく者たちのこと。

それに対して彼は、意志を持って沈黙を貫きます。
「売り言葉に買い言葉」のようには決してなりません。('傍白')
どんな短絡的な暴言・罵声にも屈しない、卓越した語彙力・話術でそれらを華麗にかわしていきます。('熟練した帆掛け船')
誤解、偏見の全てが正しく解消されるように。

そして結果的に、闇の中でしか解放できない「何か」を抱えることになっていったのかもしれません。


■影までをも友にして

やがて努力が実を結び、BTSのRMとして世界中から注目を浴びるようになったものの、かつてのアンチが手のひらを返して近づいてきたり、今まで見向きもしなかった者達が必要以上にもてはやしてきたり。

반갑지 않아 너의 헹가래
(歓迎しない お前の胴上げ)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6183191

多くの賞賛が自分の身の程を超えていると感じながら、彼は自分が自分でいられるように必死に「地に足を着け」ようとします。

내 두 발이 여기 땅 위에
(僕の両足がこの地の上に)
이름도 없는 꽃들과 함께
(名前もない花たちと共に)
다신 별에 갈 수 없어 I can't
(二度と星に行くことはできない 僕はできない)
발밑으로 I just go
(足下で進むのみ)
목적 없는 목적지로
(目的のない目的地へ)
슬픈 줄도 모르고 ※6
(悲しいとも思わずに)
그림자마저 친구로
(影さえも 友に)
I be gone ※7
(僕は去るのだろう)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6183191

※6 -ㄴ 줄 모르다…~とは思わない(参考
※7 I be gone=I (will) be gone

「名もなき花」には本来ただの人であった自分自身が投影されていると思われ、この「花と共に」と「二度と星には行けない」の部分はサン=テグジュペリ作『星の王子さま』を彷彿とさせます。

――必死に歩いてきた道がこの先どこに続いているのか、何がその先に待ち構えているのか。意志を持って進んではいるけれど、目的があってどこかに向かっている訳ではない。それでも自分は二本の足で進み続ける。

――強い光を受ければ受ける程、濃く鮮やかになる影の存在。
そんな影とですらも「새벽セビョク」の中の告白で契りを交わし、仮面ペルソナを駆使して悲しみさえもやりこめて、

全てを引き連れたまま、自分はいずれ「ここ」を去るのだろう。

防弾少年団の9年の活動の証としてリリースされたアンソロジー・アルバム「Proof」。
ナムさんが自分自身の輪郭の内と外について歌い、その葛藤の証として選曲された "Intro : Persona" がBTSとしての証であるなら、"들꽃놀이(Wild Flower)" はさらにもう一つの証、RM/キム・ナムジュンとしての「Proof」なのではないかと思います。


3.その、すべての時

"들꽃놀이" に "Ma City" のナムパートと同じ匂いを感じた私が、その感覚に確信を覚えた箇所が以下の部分です。

나 이 황량한 들에 남으리 ※8
(私はこの荒涼とした野原に残るであろう)
아 언젠가 나 되돌아가리
(ああ いつか私は戻るであろう)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6183191

※8 -리…推量の意を表す語尾。古めかしい言い方。(参考

イントロとアウトロで「墓の上に立つ」というフレーズが挿入されていることもあり、彼は、彼自身の人生を全うするその時まで、「僕が僕でなくなる時」までの「その全ての時」を想ってこの歌詞を書いたのではないかと思います。

「人を蔑む」ことが「自分の価値を下げる」行為であると考えると、「あなたの心があなたを蔑む時」を率直に言い換えるなら「お前が俺を蔑む時」になるのではないでしょうか。

「夢が僕を飲みこもうとする時」は、夢を追ってたどり着いたその場所、立場が自分の身の丈を超えていこうとする時、と取れるのではと思います。

――「地に足がつかない時」も含め、そういった「その全ての時」が自分をつくっている要素であり、いずれ「ここを去る」時がきた時その全てに自負を持って恥じることなく「墓の上に立つ」ことができるよう、今、この時を「名もなき花」としての自分を見失わずに生きてゆく。

"들꽃놀이" は、言葉を紡ぐ詩人として、楽曲を編むミュージシャンとして、それらを繋ぎ織り交ぜるラッパーとして作品を作る上で、自分の人生を懸けたそれらをどういう形でこの世に遺していくかを見据えた「20代の時点での意思表示」でもあるのではないかと思います。

彼の楽曲がアートの世界と親和性が極めて高い理由は、「作品がどう遺るか」を意識して生み出されているからなのでしょう。

記事冒頭で紹介したインタビュー動画で、「これまでRMとキム・ナムジュンの間の悩みや混乱、自我の本質、そういう話を本当にたくさんしたりしてきたけれど、そういうものたちが多くのシンボルになって、自分がそれについてたくさん考えてきたのは事実だ。今までは」と前置きし、「でも、今回のアルバムはどんな感じかというと、初めて…何か自分のものを作ったみたいだ。初めて」と打ち明けています。

2016年からずっとやりたかったテーマによって作られた楽曲で、ソロ・アルバムのタイトル曲はこの曲以外にあり得なかった、今の自分にとってこの曲が一番大事だ、と"들꽃놀이" を振り返るナムさん。

この楽曲はこの先、彼自身にとっても北極星のようにひとつの指針となり続けるのではないかと思います。



最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
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【おまけ】