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映画「片袖の魚」――「わたしは、わたしでいい」を貫く生き方

【ネタバレ注意!鑑賞後にお読みください】

1時間未満の短編映画は、全国規模の上映が難しいという話を、映画関係者から聞いたことがある。
わたしが観たい映画でも、地方で必ず上映されるとは限らない。
短編映画はさらに難しい。東京で上映して終了というケースもあるのだ。


上映時間34分の短編映画「片袖の魚

当初は、東京・新宿ケイズシネマでしか上映館が決まっていなかったが、Twitterを中心に、全国での上映要望が広がり、最初の地方上映が、9月11日の埼玉・川越スカラ座を皮切りに、名古屋・別府・浜松・横浜(11月20日から「横浜シネマリン」で公開予定)へと広がった。
(映画祭上映が実施された場所|日本:金沢・福岡   海外:アメリカ・トルコ・キプロスなど)
そして11月6日(土)、地方上映5ヶ所目として、大阪のミニシアター「シアターセブン」での上映が開始された。
「片袖の魚」の関西上映を、Twitterを通じて熱烈に待望していたわたしは、上映決定の一報を聞いたとき、心の底から喜んだ。

「片袖の魚」は、国内外の映画祭で高い評価を得た、老人の性を描いた作品「老ナルキソス」など多数の短編映画や、現在NHK・Eテレで放送中の「フランケンシュタインの誘惑」のVFXを手掛けている、東海林毅監督による映画作品。
この映画では、日本映画史上初のトランスジェンダー当事者による俳優オーディション(※)が行われた。

主人公の新谷ひかり役は、モデルのイシヅカユウ
伝説のパリコレモデルと言われている、山口小夜子氏を敬愛している彼女は、オリエンタルなビジュアルを武器に活躍している。

(※)昨年、日本アカデミー賞最優秀作品賞に輝いた映画「ミッドナイトスワン」で、トランスジェンダーが主役になっているが、「シスジェンダー(心の性と身体の性が一致しているセクシュアリティ)」の男性俳優がトランスジェンダーに扮している。過去の日本映画で、トランスジェンダー当事者が映画の配役になることはなかった。

上映初日の11月6日、まるで初恋の人と会うかのような高鳴る鼓動を胸に、シアターセブンへ入場。そして「片袖の魚」を鑑賞した。
以下、感じたままの感想を書く。





トランスジェンダー当事者にとって、毎日が大小様々な差別との闘いである。
「シスジェンダーの思想と基準」の中で生きるわたしたちは、嫌でも、「ずっと女性・ずっと男性」という思想に洗脳されてしまう。
それは、自分自身の本来のセクシュアリティを疑い始めたわたしでも「ずっと女性・ずっと男性」の思想に負けてしまうことは、たびたびある。それは、無意識に発する相手への言動がそのことを象徴している。

「あなた、男性/女性ですよね?」

わたしが、主人公の新谷ひかりと接したとき、わたしは、ひかりを「女性」として接することができるのだろうか。
エンディング直前までの31分間、そのことを問いかけながら、時には、ひかりの立場へとスイッチしながら鑑賞していた。

わたしが鑑賞をしていて、胸が苦しくなった場面がある。ひかりの故郷での仕事帰り、高校時代の同級生だった久田敬(たかし)の誘いでやってきた、高校サッカー部卒業生の飲み会。
飲み会は「男性・体育会ノリ=ホモソーシャル」が爆発の現場。
ひかりの心境を暴力的に無視する同級生と敬。
その時のわたしの心境は、完全にひかりの心境とリンクしていた。

異なる者を面白がり侮辱する――これは、わたしが小学校・中学校・高校でのいじめ被害の経験につながる。
日本人が「得意」とする、同調・同質圧力。個性が突出する者を潰す風習にやられたわたしは、映画を通じて、あの忌まわしい時代を思い返した。

ひかりの同級生に扮した俳優たちが「リアル」に演じ再現した「ホモソーシャル」の現場に、わたしは寒気がした。

しかし、ひかりは負けなかった。嘘っぱちの友情を演じる敬、「光輝」というひかりの過去の名前にしがみつく敬へ、「勝手に」プレゼントされたサッカーボールをぶつけた。
それは、「二度とあの頃に戻らない」というひかりの過去との決別を表した場面。
そして、ひかりの新しい物語が始まった。
赤い服を身にまとい、新宿の街を軽やかに、自由に、大洋に向かって泳いでいくひかり―――。

ひかりのようなトランスジェンダーも、悩み苦しみながら、人と繋がって生きている人間だということを、この映画は教えてくれている。
映画で一番ホッとする場面がある。
アクアリウム販売会社の同僚の辻と上司の中山が、ひかりと語らう場面である。
この語らいが、同じ人間として見ている「当たり前」であるべき日常だと感じた瞬間だった。

現在、世界中で「トランスフォビア」が横行している。日本もTwitterを中心にトランスフォビアが蔓延している。
「男性/女性」ではないとジャッジし、トランスジェンダーを死刑宣告に追い込む。
そして「シスジェンダー」たちは、トランスジェンダーを「かわいそうな人」と位置づけ、感動ポルノに仕立て上げたり、お笑いの対象にしたりと、「シスジェンダー」たちによって、勝手な演出を決められてしまっている。

「片袖の魚」は、「トランスフォビア」や「シスジェンダー」たちによる勝手な演出への、静かなる「カウンター」である。
悩み苦しみながらも、日常で一緒に生きている一人の人間をこの映画は描いている。

「わたしは、わたしでいい」

ひかりは、わたしにスクリーンを通じて、教えてくれた。





上映後、主演のイシヅカユウさんと東海林毅監督の舞台挨拶が行われた。

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舞台挨拶後、イシヅカさんと東海林監督からサインをいただいた。
憧れのイシヅカユウさんにお会いできたことは、一生忘れられない。

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「片袖の魚」を鑑賞された皆様、ぜひこの映画の良さを一人でも多くの人に知らせていただきたい。

わたしは願っている。
時間がかかってでも、北海道から沖縄まで、映画鑑賞の機会が少ない離島でも上映されてほしい。
この映画は、日本に住むすべての人々が、一度でも鑑賞してほしい映画だから。