脳が水で、出来ていると知ったのはいつからだろう。二日酔いで頭が重い。3人掛けのソファーに溺れる。それは、浴槽のようで居て、海の底のようでもある(知らないのに語られる。真実よりもイメージが言葉か)。だらりと肘掛に頭を乗せる。意図された使い方ではない使われ方(けれど想像は出来る)をされるソファに想いを馳せる。(三人がけのソファを買ったのは、腰掛ける為じゃなく横になる為だ)生産性のない事を考えていないと具合の悪さに現実は殺される。生きているという事を実感できるから二日酔いは良い。(矛盾の中でしか生を感じれないのか)そんな呑気な事を考えては手を引く亡霊のような後悔や失態やあの瞬間の会話の真実などから必死に逃れようと試みる。脳が水で出来ていると知ったのはいつからだろう。アルコールの重力を感じる。例えばそんな体感で語り合える言葉に君の孤独を想う。退屈しのぎの偽善者になり、何もできないことがだけがこの世界の真実になる。虚無。って何ですか?本当は、そこにある渦を知っている。それを知らない者が語る”無”こそ本当の”無”だ。そんな言葉に興味なんてない。時間が有限である事を知らない怠慢に割く時間など無い。君が特別なのは君だけだ。だからもっと可愛がってやればいい。(君が思う君を愛する義務など誰にも無いが、君が君を愛する
義務もない。ので存在だけがこの世界に浮遊する。だからそれを消したがる。)感情を殺そうとする。頭で心に首輪をつける。言葉や思考や論理や哲学で心を支配できると思っている傲慢それが人間が人間たる所以なんじゃ無いのか。表現があってよかった。心をそこで放し飼いにしていたい。それを知らない人間は、正しさや才能で表現を語る。お前らの小さな庭で飼われる為の表現は消費というんだよ。真実よりもイメージが言葉か。固い言葉が好きな人がいる。君が守ろうとしているものが明け透けに見える。その鎧は透明。わからない奴は、わからなくていい。そう叫ぶ言葉が何よりも君が隠したいものを浮き上がらせる。真実よりもイメージが言葉か。想像してごらんそう歌う。想像の中、君と僕は、離れていくような気がする。ならば言葉などいらない。その視線に射抜かれていたい。君は僕のイメージじゃない。その存在に射抜かれていたい(けれど君にそうする義務はない)だから僕は君を好きだと言う。愛してると言う。(確か愛に答えなんてない)殺したい。と歌うラブソング。そんなチープで、イメージ的なラブソングより切実に君とこの世界で、出逢ったことを確かなものにしたい。誰に説明できるものじゃなくその視線に
射抜かれていたい。だから君を愛してると言う。イメージが言葉か。だから君を愛してると言う。真実よりもイメージが言葉か。だから君を愛し、、嘘だよバーカバーカ。誰がお前なんて愛すか。(矛盾の中でしか生を感じれないのか)







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?