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選べたよ。

過去の自分の話をすることはあまり好きじゃない。結局、生きてるのは今じゃんって思うから。ちょっと前までは、自分の話をするのも好きじゃなかった。

でも、はやすぎた五月病を抜け出して、就活がひと段落して、気持ちも身体もちょっとゆっくりしたら、かいてみようかなって思った。

友だちにも、大切な仲間にも、ほとんど話したことがないような気がすること。
私の過去のこと。私の人生の分岐点の1つ。私が高専を選んだ時のこと。

いつもは、これからの私に届けたいことを書くけれど、今日はちょっと違うかも、。
こんな、"私のこと"だけど、"私の自分プレゼントの一部"だと思って、ちょっぴりだけお付き合いいただけたらうれしいです。  

あきらめたこと

"どうして高専を選んだの?"
高専に行くって言った時も、高専生になってからも、何度も聞かれたこと。私は決まって、
"数学と理科が好きだったし、少しだけ長くバレーボールができるから。"って、こう答えている。

ほんとうだよ。ほんとうのこと。
でも、それだけじゃない。

理学療法士。中学3年生の時に見つけた将来の夢。なりたかったし、なれると思ってた。

でも、あきらめちゃった。あきらめられちゃった
"それで食べていける人なんてひと握りだよ"
大人からもらった言葉と、家の事情。
中学生だったあの時の私にとって、そこに真っすぐ進むことをあきらめるには十分すぎる理由だった。

きっと、大変は思いをしてほしくないっていう、まわりの大人なりのやさしさだったと思う。
だけど、素直に受け取れなかった。
"どうせできないから"って自分で決めつけて、気づけばどんどん自分の"やりたい"を口に出さなくなっていた。

高専を選んだこと

そんな時だった。高専を視野に入れはじめたのは。

お母さんが行こうって言ってくれて、高専主催の地元の企業見学に行った。そこで見た、ものづくりから医療に関わるっていう働き方。なんか、目の前がぱぁって広がったことを覚えている。
"働いてから自分のやりたいことを追いかけるのもありなんじゃない"って、お母さんが私に新しい道を教えてくれたのもこの日。

オープンキャンパスで見た、制服なのに髪の毛を染めてたり、ピアスをつけてる先輩。そして何より忘れられない、きらきらしてた先輩たちの顔。

数学と理科は好きだったし、医療分野には興味があった。
高校は3年だけど、高専は5年だからちょっとだけ長くバレーボールができるところにもひかれた。

それに、たぶん、わくわくしていた。

"私ここに行こうかな。"
ほんとうに納得してたかは、わからない。どこか、大人の手のひらで転がされていたような気もする。

たぶん、半分はんぶん。
自分で言っている気持ち半分
もう半分は、周りの大人が納得するならこれでいいって思ってる気持ち

今になっても、どうして私が高専にいるのかよくわからない。
だけど、間違いなく、あの時、私は高専を選んだんだよね。

高専生の私

じゃあ、実際の高専生活は?って。

勉強もレポートもそれなりにできる方だった。大変だったけど、すごく苦労したっていう経験はほとんどない。部活だって、大好きな先輩にも後輩にも出会えてる。仲良くしてくれる友だちもいる。寮生活だってきまりがある中でも楽しんでる。

だけど、何か違った。
もっとわくわくして、きらきらした自分がいると思ってた。私の心にはぽっかり穴があいていた。

憧れていた高専生サミット
コロナでずっとなかったけど、3年生の時、挑戦する最後のチャンスがあった。だけど、先生に話を聞きにいけなかった。挑戦している同級生がなんだか遠い存在に思った。

苦手だけど、向かってみようと思った英語
私のまわりには、できる子たちばっかりだったから、どこかで自分なんかって思って、投げ出した。

ほんとうは出てみたかった、高校の大会。
私がここに来てから、試合をするのは年1回の高専大会だけ。
コロナ禍で高専大会がなかった時、"せっかく人数揃ってるんだし、高校の試合出てみたら"って先輩が言ってくれた。
だけど、私は首を横に振った。
バレーが大好きでいろんなカテゴリーの試合を見てきたからこそ、私にそのレベルで通用するものなんてないって思った。負けるのが怖かった。

気持ちのどこかで、ほんとうに私のやりたいことはここにはないからって思ってた。

だけどさ、やりたいことなんてなかった。わからなかった。
それなのに、自分で何にも変えなかった。
そんな自分がいやだった。変わりたかった。

選ぶことから逃げてた。
やる、やれるっていう選択から逃げてた。

今だからこそ、言えることだと思うけど、
あの時の私は、うまくいかなかった時、一歩踏み出した勇気を握り潰されるのが怖かったんだと思う。

きっと、最後の最後に自分で一歩踏み出す勇気が足りなかっただけ。

一歩踏み出す勇気、力を持ててる今は、ほんとに楽しいんだから。

CHOOSE YOURELIFE

私がはじめて、この言葉に出会ったのは、
CHOOSE YORLIFE FES’23 #18歳の成人式
(#18歳の成人式、大好きすぎて長くなりそうだから、細かいことはまた別で書くことにする。)

自分の人生なんて選べるの?って思った。
そんなわけないって思ってた。

だけど、
ここでみた大人はみんなきらきらしてて、かっこよかった。
ここで出会った、同じ18歳の仲間は、自分で選ぼうとしていて、動いていて、同い年なんて思えないぐらい大人に見えた。

私に足りてないものは、自分で動くことだって気づいた。ここで出会った仲間が気づかせてくれた。気づいた時、なんでか落ち込まなかった。
あつくって、あったかくって、みんなの人生の、想いの総量で会場は溢れていて、できなかった過去の自分に落ち込む暇なんてなかった。

終わった時には、
また自分のあしで進んでいくために、何度も握りしめられる人生のおまもりと、選んでいける、自分で動いていけるんだっていう、そっと背中を押してくれる力を受け取った。

就活中、私が"やりたい"を探していた時、
ここで出会った大人はこう言ったの。
それでもなお、人生は選べる。って。
この言葉にすごく救われていた私がいた。選べるんだって、ちょっぴり元気をもらってた。

自分の進む道を探すこと

高専卒業後の進路の多くは、本科の上にある専攻科に行ってもう2年勉強するのか、大学に編入するのか、就職をするのかの3択。
なんとなく考えていたものが、より現実味が出てきたのが4年生の今ぐらいだったかな。

私は、高専に入学する前から、卒業した後は就職することは決めていた。
(決めていたってより約束してたに近いかな。大手で働きたいって言っている15歳でした笑)

だけど、行動してこなかったから、やりたいことなんて持ってるわけもなく。
いざ就活を前にして、私が見つけたやりたいことは、高専卒業後は、地元を出たい。たったこれだけ。

だけど不思議と焦りはなくって。
だったら、自分で見つけにいくだけ〜!って思ってた。なんなら、ちょっぴりわくわくしてた。(ZENKAIのおかけでこのマインド手に入れられてたの大きかった)
"私まだそんなに考えてないや。めっちゃちゃんと考えてるのすごいね。"ってまわりに言われるのちょっともやっとしたけど、私は自分で選びたかったから、そんなのどっかに飛んでいってた。インターンにいったり、会社説明会にいったり、ひたらすら行動の日々だったなぁ。

ずっと元気に、前向きに、自分の進む道と向き合い続けられたかって言われたらそうじゃない。
いろんな企業に出会った。いろんな大人にも出会った。
でも、どんな人になりたいのか、何をしたいのか見つからない時間の方が長かった。
わからなかった。苦しかった。不安だった。
私が自分で選んだ道に進んだら、なりたくない大人になるんじゃないかって不安だった。不安すぎて、自分でもよくわからなくって、泣いてたこともあったけ。

だけど、選ばなきゃいけなかった。
選ぶなら、
納得いく道を自分で選びたかった。
誰かのためじゃなくって、自分のために選んでみたかった。

やりたいことは、自分で見つけにいくだけ〜!
この気持ちと行動し続けてくれた過去の私がいてくれたから、
"ここに行きたい"
って、誰かに言われたからじゃなくって、自分でそう言える場所を見つけられてた。

選べたよ。

就活がひと段落したここ最近、学生最後なんだな〜ってなんとなく考えていた時、
私、自分の進む道、自分で選んだんだ。
って、ふいに思った瞬間があったの。

気持ちのどこかで、私はここに来た時点で、やりたいことなんてみつけられないし、選べないって思ってた。

でも、違う。違った。
選べる。選べたよ。

選べなさの中だったって思うかもしれないけど、ちゃんとやりたいことあったよ。見つけられたよ。進みたい道見つけられた。その道、自分で選んでたよ。

だって、これから、本気で理学療法士に向かうか?って聞かれたら、首、横に振るもん。
私のやりたいことは、今、内々定をいただいている企業で技術開発をすること。

そう言えるだけのものに出会えちゃったみたい。

いつか、どこかで、こんなこと言ったよう気がするけれど、
私は何かを選ぶ時、立ち止まって、悩んで、考えて、あなたのところに話に行くみたい。
そうやって、今までだって選んできた。
選べなさの中でも、こうやって選んで、自分で進む道を切り拓いていた。
立ち止まって、悩んで、考えて、話しにいって、これだ!って思うところに進んでいくことが、きっと私らしさなんだと思う。これが、私にとっての人生を選ぶってことなんだと思う。

私は、自分で選べるんだね。
だったら、私らしく、これからだって選んでいこう。きっと大丈夫。

ここまで、おつきあいしていただき、ありがとうございました。きっと、ここまで読んでくれたあなたに私は大切にしてもらって、たくさんのものを受け取ってきたんだと思います。いつになるかわからないけど、今日まであなたから受けとったものを返したい。そう思っています。その日まで、私があなたに返せたって思う日まで、待っていてくれるとうれしいです。いつもありがとうございます。

あなたが、あなたの選んだ道、進んだ道の先で、今日も幸せでいれますように。

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