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握りしめていたもの

バレーボールからはなれて1ヵ月が経とうとしている。

受け入れられていないのか、受け入れようとしているのか、受け入れられてないのか、自分のことなのに自分でもわからなかった。
反省するわけでもなく、次を考えるわけでもなく、ただぼーっとあの日の試合を見てしまう。そんな日々が続いた。
きっと、バレーボールに未練たらったらだったんだよね。この時の私。

受け止めることが精一杯。
いつかは、受け入れなきゃいけないことってわかってはいるのに、受け止めてくれている扉を開くことができなかった。

結果がすべてのような気がして、ここまで向き合ってきたこと、越えてきたこと、楽しかったこと、ぜんぶ含めてやり切ったって言えない自分が、言いたくない自分が嫌だった。自分のほんとうがわからなくなってた。

でも、そんな私がちゃんと前を向きなおせてるのは、忘れたくないって思うほどの言葉を受け取ったから。

いつか、思い出してぎゅっと握り返せるものが私の中でまた増えた。

読み返しにきたいつかの私へ
きっと、ちょぴり元気が無くなって、ここに来てるんじゃないかな。でも大丈夫、思い出して。今までだって、今だって、言葉に支えられてる。あなたは、こんなに大切なものを握りしめています。

諦めそうになった時にもらった言葉

結果ははじめから決まっているのかもしれない。だから、そこに向かうまでのプロセスが大事だし、諦めちゃだめ。このまま自分の気持ち伝えないでおわったら、のぞみ、もやもやしたままおわっちゃうよ。

予選1試合目の後に、いつもかっこいい大きな背中を見せてくれる人にもらった言葉。

予選1試合目負けちゃって。でも、もう1試合残ってて、おわりって決まったわけじゃなかった。

めちゃめちゃ調子悪かったってわけじゃなかったと思う。ただ、出だしから自分のプレーを出せなかった。それだけ。

でも、試合の後に"のぞみのサーブ、1周目から走ってたらな。"って言われて。この試合、自分のせいで負けたんだって思えてきちゃって、なんかすっごく泣きたくなっちゃって。
自分のプレーを出だしから全開で出し切れなかったのも、期待に応えられなかったのも全部、全部悔しかった。

おわってないから、こらえなきゃってわかってはいたんだけど、安心できる人たちの顔を見たらがまんできなくって。
(泣いてたのはここだけの秘密にしておいてください笑)

言っていいのかな、伝わってるのかなって不安でも、言葉にしないと何にもはじまらなくない?って何度も自分自身に投げかけて、体育館にいる時は、コートに立っている時は強くいようとしてた私。だけど、おわるのか、まだやれるのかがかかった大一番を前にした時、強い私ではいれなかった。

勝ちたいとかもっとバレーしてたいっていう自分の気持ちにフタしてた。伝えようとしなかった。諦めそうになってた。

何より、自分に負けそうになってた。

そんな、自分のほんとうの気持ちから目を背けて、伝えることも勝つことも諦めそうになってた私を最後に踏ん張らさせてくれたのがこの言葉。

2試合目の前に1人1人とちゃんと話したり、チームでミーティングしたり、何か大きく変えることはできなかった。だけど、いつもはチームのために声をかけるコートに入る前の円陣で、自分の気持ちを口にしてた。"勝って明日もバレーするぞ"って。

その一言で、チームの中で何かが大きく変わったわけじゃないかもしれない。だけど、私の気持ちは変わった。

負けたら最後って、やっぱり怖かった。
だけど、最後になっても出し切ったって思える試合にするって気持ちが決まった。
何より、勝って明日もバレーするんだって、あの瞬間誰よりも強く思ってた。

結果的に最後になったこの試合。
いつも通り、強気で攻めて、スパイカーに繋ぎたくって目の前の一球に必死になってた。
最っ高に楽しかったな、バレーボール。

一緒に受け止めてくれた言葉

のぞみがしてきた選択は間違ってない。間違ってないって言うために努力してきただなって見えた。

バレーボールをした最後の日の夜に、仲間であり、ライバルであり、同志である、大好きなあの子からもらった言葉。

ちょこちょこうまくいってないってことを、話してはいたけれど、直接、試合を見たのはこの時だけ。たった2試合見ただけ。

それなのに、ここまでの私の葛藤とか、堪えてきたものとか、そんなことを全部知ってるよ、見てたよって言ってくれてるみたいだった。

その時の私は、結果が全てに思えて、何にも受け止め切れてなかった。ここまで走り抜いてきた自分を認めてあげれなかった。

でも、だから、この言葉にすっごく救われた。

認めたくなかった、おわりっていう事実。
でも、私よりも、私におつかれさまって、頑張ったねって、のぞみが選んできたことは間違ってなかたよって、伝えてくれる人がいてくれたから、気持ちのどこかで、その現実を受け止めようとしてた。

この言葉をもらった時、きっと、気持ちのどこかで"もうひとりで背負わなくっていいんだ"ってほっとしてる私がいたんだよね。

背負ったものを全部おろしてくれた言葉

私、ここの高専のOGで男子バレー部のマネージャーしてたの。当時の先輩たちは、東北大会でず〜っと連覇してたぐらい強いチームで、でも、私が5年生の時、負けちゃって、連覇を止めちゃったんだよね。

当時はすごく悔しかったし、つらかったけど、大人になった今は、まわりも笑いながらイジってくれるようになったし、いい思い出だなって思えてる。
だから、いつか、いい思い出だなって思えるから大丈夫だよ。

大会の運営をお手伝いしてくれていた、技術職員さんが、"ちょっとお手伝いしてほしいことある〜"って、大会の数日後に声をかけてくれて。研究のお手伝いをしてたら、優しい顔をして話してくれた、この話が忘れられないし、忘れたくない。

やっぱり、キャプテンとか、エースって、チームの代名詞みたいなところあるよなって私は思っちゃう。だから、"予選通過できなかった代のキャプテン"って、この先言われるんだって思ったら、どうしても嫌になっちゃって。そこまで前を向いてきた自分のことを否定したくなっちゃってた。

でも、この言葉を受け取った時、すごく気持ちがゆっくりして、引退した後もひとりで勝手に背負っていたものを全部おろしてくれた。
受け止めるだけ精一杯だった扉をそっと開けてくれた。はじめて受け入れることができたような気がする。

言葉を握りしめていた

抱いた感情も想いも、紡ぎたくなった言葉も、その時に抱いたこと、紡ぎたくなったものが、いちばん新鮮で、その時が賞味期限だと思っていた。

だけど、言葉の持つ力はそれだけじゃないみたい。

握りしめていたものを、ここにあると再認識して、握りなおした時、言葉は、抱いた瞬間、紡ぎたくなった瞬間にはなかった、エネルギーをくれるみたい。

そうやって、人生のおまもりは変わってきた。更新されてきた。増えてきた。

また、新しいおまもり、握りしめてるね私。

受け止めて、受け入れはじめた今

なーんにもやりたくなくなってた7月。
なんか、いちばん楽しいものを取りあげられちゃった感があって、これやりたい!って思えなくって。そう思えないことに焦りすら感じれなくって。

とりあえず満足いくまで寝まくった。
そして、甲子園予選に、オリンピック、甲子園、大好きなものに触れて、知ってる人でもない目の前の選手をひたすら全力で応援しるうちにパワーをもらってて、気づけば完全復活。応援することの楽しさも、応援したいと思う選手も増えた夏になってる。

やっと、いろんなことを受け入れられるようになった。
やっと、あの日の試合を見れるようになった。

わくわくするとか、ここ行きたいとか、あの人に会いたいとか、この資格とりたいなとか、こうになりたいとか、じゃあどうしたらいいのかなとか、ちゃんと、"次"を見てる。

ちょっと冷静になって考えてみれば、バレーボールをしていない人生の方が長くなりそうなんだね。

これから、どんなふうにバレーボールを楽しんでいくのかな。考えただけでわくわくする!
これからだって、私がいちばんきらきらしている大好きなものとして握りしめてよ。

最後に

あらためて、いつも応援してくれているみなさん、ここまで応援してくれてありがとうございました!

予選敗退という結果で大会は終わってしまいましたが、10年ちょっと走り抜けてきたバレーボール人生の最後をこんなにもたくさんの人に応援してもらったことは、私の中で忘れられない経験になってくれているし、一生の宝物です。

これからは、バレーボールからはちょっと離れた私になるけれど、次を見て進んでいくので、見守っていてほしいし、今までみたいに話にいかせてください!これからもよろしくお願いします!

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