『アルツハイマー病研究、失敗の構造』 カール・ヘラップ

 図書館をふらふらしていて背表紙と目が合って、「読め!」と自己主張されました。なのでまったく予備知識なしに読み始めましたが……しっかりした、とても公正・公平で勉強になる、おもしろい本でした。
 著者のヘラップさんは神経生物学の教授です。医師でなく研究者の立場からアルツハイマー病に向き合っておられます。

 全体の構成は4部立てで第Ⅰ部の1~4章でアルツハイマー病の〈発見〉から遺伝子学の導入までが、第Ⅱ部の5章では結局のところアルツハイマー病とはいったいどういう病気なのかが、第Ⅲ部6~9章では国・製薬業界を巻き込んでの顛末と、改めて結局どういう病気なのかが振り返られ、最後の第Ⅳ部10~14章では今後の展望が語られます。
 第Ⅰ~Ⅲ部がこれまでの経緯と現状を語るルポルタージュ的な内容で、第Ⅳ部がいまからどうするか、打開策を著者はどう考えているかの企画書的・提案書的な部分です。
 医療ジャーナリストの告発本・警告本と大きく異なるのは第Ⅳ部の部分で、独特の迫力を感じました。〈アルツハイマー病研究の歴史〉なら淡々と書けても、自分が信じ追及している研究内容・研究分野、業界の内幕を、わかりやすく伝えつつも〈自分〉を押し出し過ぎずに論じるのは至難の業だろうと思います。しかもその両方を1冊の本の中でするなんて。見事でした。

 それにしてもすごい本です。著者も本文中で書いておられましたが、アルツハイマー病について一切の遠回りなしで論じた320ページほどの本で、3/4を過ぎてなお、「で、結局アルツハイマー病ってのは何なんだ?」がちっとも解決していないという……。

 そもそもの最初は1901年。女性患者アウグステ・Dさんが当時まだ51歳でありながら老人性の進行した痴呆(認知症)の症状を呈していることに、担当医となったアルツハイマーさんが興味を持つ。アルツハイマーさんは、医師になる前は脳の組織構造の研究をしていた人なので、5年後に亡くなったアウグステさんの脳を当時最新の検査法で調べ、そこに、〈奇妙な堆積物〉と、神経線維の代わりに在る〈神経原線維のもつれ〉を認める。これがのちに、アミロイドプラークと、タウたんぱく質の凝集したものと判明することになります。
 精神疾患があればそれは脳の構造変化のせい、と信じるアルツハイマー医師とその上司のクレペリンはこの結果に飛びつき、精神医学界の重鎮だったクレペリンは1910年版の教科書『精神医学総論』に、堆積物ともつれが比較的若い人にも痴呆を引き起こす、それが〈アルツハイマー病〉、として掲載する。

 そして時代は過ぎて1980年以降、科学が進んで遺伝子研究が盛んになっても、アルツハイマー病の原因はアミロイドプラーク(とタウたんぱく質)という先入観は残り続け、国も製薬業界もその方針を信じ続け、論文レベル・治験レベルで否定的な結果が出ても無視し続け、いまだにアルツハイマー病の原因はアミロイドプラーク、ということになっている……。
 でももういい加減に現実を見て、本当のところの原因を探して実際に効く薬の開発を考えましょうよ、というのが本書の内容です。


 何というか……アミロイドプラークの分野で研究している人の意見というか思いが聞いてみたいものだと思いました。
 自分のことで言うと、私は整体屋なので、イッショケンメイ施術しても施術しても状態を改善できないお客さんを前にしていると、「これって私の整体では太刀打ちできない問題なのでは……」心配になるし、申し訳なくなるし、他の手立てを探したほうが良いのでないですかと言いたくなるし、実際に言ってしまう。たとえそのとき、有効そうな他の手立ての心当たりはなくっても。とりあえず、私じゃダメそうってことだけはもうわかったわけですし。

 アミロイドプラークに焦点を据えた治療法・理論は、治験で30回とか悪い結果が出ていて、同業者から論文や何やで鋭い反論をされて、素人の私が読んですら腑に落ちてしまう本書のような本まで書かれてしまう。それでも方向性を変えない研究者の人たちは、まだ一途に「アミロイドプラーク!」と信じているのか、あるいはすでに大金と時間をつぎ込んでしまったから引き返せなくなっているのか。
 信じているのならメンタルの強さに驚くし、引き返せなくなっているのなら、何というか……溜め息をつくしかない。

 本書でありがたいのは255ページの図で、脳神経とそのお世話係の関係が一目瞭然になっています。著者が注目している(? いた?)のは神経細胞の分裂制御不全というか一種のがん化だそうですが(104ページ)、整体屋の私が気になるのはやっぱり血管というか血流です。尻もちをついたとか背骨の圧迫骨折があるとか、過去にした骨盤・背骨の外傷が原因で脳への血流に偏りができて、それが積もり積もって、とか、そんな可能性はないのかしらと気になりました。いろいろデータを採るときに、ついでにちょちょっとケガ歴の有無も調べておいてくれると私は助かるんですけど、それこそ、そんなところに関心なんて無いでしょうね……。

 話を戻すと、相当に専門的な内容なのに文章も構成もわかりやすくて読みやすかったですし、訳文もとても素晴らしい。そして誤字・脱字に注意を逸らされなかったのもありがたいことでした。強いて言えば一か所だけ、擬音語の「ピン」が、擬音語なのか名詞のピンなのかがとっさにわかりづらくて何とかならんものかと考えてみましたが、解決策は見つけられませんでした。英語ならつづりが違うからそもそも迷わないのでしょうけど。
 メモを取りながら読んだせいもあって、読了までにものすごく時間が掛かりました。が、実に良い本でした。著者もすごかったけど訳者もすごかったので、同じ訳者のかたが訳された別の本も、近々読んでみようと思います。



 『アルツハイマー病研究、失敗の構造』
 カール・ヘラップ著 梶山あゆみ訳
 みすず書房 2023年

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