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島で暮らした日々のこと②〜面接編〜

島で暮らした日々の話をする前に島に引っ越した日の話はこちら。

前回、書きこぼしてしまった島に移住する前のことについて書こうと思う。
「島で暮らした日々のこと②」というタイトルをつけておきながら
まだちょっと暮らしはじめる前のことを書かせてほしい。



島への移住が決まってから周囲の方々に「島は仕事ないよ」「口添えで仕事決まっていくから働き口見つけられないかも」と言われていた。
私は13年ほど続けた仕事を退職し、夫について島に行くつもりだったので
島に移住したらパート程度でいいから働きたいと思っていた。
そのため、口々に「仕事ない」と言われ焦ってしまった。とても。

移住直前の3月末の数日間をホテルで過ごしていた時、島の名前で仕事を検索したら一件ヒットした。
社員寮ありのスーパーの仕事だった。正社員。
まさかこのスーパーが島唯一のあのスーパーだとはこの時は知らず・・・
これを逃したら働き口はないんだ!という思いでパートのつもりだったのに
勢いで正社員に応募した。
仲介業者のおかげで、見知らぬ土地の見たこともないスーパーへの応募はとんとん拍子に進み面接日まで決定した。
ここまで私はスーパーの方と一度もコンタクトを取っていない。

そして、かなりダサめな出立ちで島に上陸した日、自分が応募したスーパーが島唯一のスーパーであることを知った。

事前に島について何も調べなかったのかと言われてしまうと、かなり耳が痛い。
何も言えない。ごもっとも。

今思えば生きてきた世界が狭かったとしか言えないが「島」と聞いて
「私は島を知っている」と余裕に構えていた。
今、あの時の自分に会えるのなら耳元で「移住先の島について徹底的に調べろ」と四六時中ささやきたい。

島には何ヶ所か旅行をしている。
沖縄の石垣島には5〜6回行っているし、八丈島、伊豆大島、種子島にも行ったことがある。
これも、無意味な自信につながっていた。
日本にどれだけの数、離島が存在すると思っていたのか・・・。
本当に無知だった。

私の祖母は新潟県佐渡島の出身だった。
私が生まれてからは、祖父母は東京に住んでおり佐渡には家だけがある状態。
その佐渡の家を家族で夏休みを過ごす別荘のように使っていた。
私の父は夏の期間に2週間ほどまとまった休みが取れる仕事をしていたので
私は生まれてからずっと夏は2週間程度は佐渡で暮らすが当たり前だった。
そのため「島」を知っているつもりになっていたのだ。

佐渡市の人口は令和2年度の時点で50,000人を超えている。
私が移住することになった島の人口は、1800人程度だった。
面積は、佐渡が855.7㎢に対して、私が移住することになった18.58㎢。
違いすぎる。桁が違う。

さて、島上陸前に面接日まで決定していたスーパー。
上陸当日に行ってみたらサッカー台の正面に「パート募集」と張り紙があった。

「パート募集してるじゃん・・・」

正社員としての募集を仲介している業者に「やはりパートがいい」と申し出るのは
本当に心苦しかったが「実は、何も知らない新しい土地で正社員として働くことに不安があったこと、夫は転勤族でありいずれは島を離れること」を説明し仲介業者にパート希望に切り替えたいと相談した。
仲介業者は快く対応してくださり、仲介業者からスーパーへパート希望の旨を連絡してもらった。

スーパーは、都心のコンビニよりもちょっと広いくらいで
レジが2台、商品棚の間に3通路あるくらいで、店員は7人くらいいた。
多い。とにかく店員が多い印象だった。
私が行った時間帯では、なんなら客より店員の方が多かった。

面接はたしか4月5日頃。
店に行き、店員に「面接で来ました。オーナーさんはいらっしゃいますか」と声をかけた。
声をかけられた店員は私を一瞥すると事務所のような店の奥へ消えていった。

(怖い。怖すぎる。怒らせるような話しかけ方をしてしまったか)

不安しかなく「やっぱり辞めたい」が頭をぐるぐるし始めたところ
割と穏やかな笑顔の長身男性が出てきた。
社長だ。
社長から事務所の中へ招き入れられたが、めちゃくちゃ狭い。
向き合って座れるような椅子やテーブルはない。
招き入れられたのはよいが、人が通るたびに「すみません」「すみません」と
頭を下げながら体の向きを変えなければいけなかった。
(ここで・・・面接を・・・????立ち話か???)と思っていたところに
長身の女性が「ちょっと!ここじゃ狭いから、あっちでやってよ」と言ってきた。

(怖い。怖すぎる。無表情じゃないか。)

社長はその声に対し「ああ、そっか。じゃあ、先にあっちで始めてるわ。あとで来るよね」と返した。

(あっちとはどっちだ。あっちこっちそっちで表せるほどの広さはない。
 しかも、面接は2対1か。怖い)

社長が「じゃあ、ちょっと場所変えるからついてきて。少し歩くけど」と店の外に向かった。
私はめちゃくちゃ緊張したまま、社長について歩き始めた。
「なつきさんは、東京のどこから来たの?移住するのに寮はいらないってことだったからびっくりしちゃったよ」と歩きながら社長が話しかけてくれた。
私が住んでいた街や夫の仕事で社宅があることなどを話すと、穏やかな笑顔で聞いていた。
3分ほど歩くと倉庫のようなところにつき、そこにはきちんと椅子とテーブルがあった。
社長に自己紹介をしていたところへ先ほどの女性がやってきた。

「こちら、まきさん(仮名)。僕の奥さんです。シフトとかはまきさんがやってくれるから、あとはまきさんと話して。」
「じゃ、僕はこれで。まきさんあとよろしく」

????
(シフトとかはまきさんがやってくれる。それはわかった。私はまだ簡単な自己紹介しかしてないし、採用とか言われてないけど・・・)

まきさんがこれまた真顔で「じゃ、いつから来られる?」とシフトの調整を始めた。

(あ、採用なんだ・・・不安・・・)

明日からでも!くらいの勢いで「いつから来る?」と聞かれたが
あの頃はコロナ禍真っ最中だったので、移住してから14日は経過してから働きたいとお願いした。
まきさんは「気にしなくていいのに」と言いながら、私の申し出を受け入れてくれ
4月15日から働くことが決定した。

後日談だが
私が働き始めて1年経った頃、新しく内地から正社員希望の男性が入ってきた。
その頃はコロナ禍は明けていたので、金曜日に社長とまきさんを含む数名でその男性の歓迎会が行われた。
月曜日に出勤してみると新入社員と飲み会に参加したスタッフは全員コロナに感染していた。

働き始めてわかったことだが、島民は愛想が悪い人が多い。
それは別に性根が悪いとかそういうことではなく、良く言えばシャイな人が多かった。
触れ合う時間が長くなればなるほど、みんさんどんどん親切になり、可愛がってくれた。

仕事を教えてくれた年配の女性、ゆみこさん(仮名)は最初とても怖かった。
仕事について私がメモをしていると「メモなんか取らない!とにかく動きな!」とお客さんの前で叱られた。
でも、そのゆみこさんとは最終的には一番仲良しになった。
私が島を出る日を報告した時は涙ぐみながら「絶対ボロボロに泣いちゃうから見送りは行かないよ!」と言っていた。

こうして、働き口も確保し、島民は良く言えばシャイな人が多くて基本は無愛想ということを知り、私の島暮らしが本格的にスタートした。


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