ーお兄さんと私ー
私と夫は、幼馴染というには年が離れているけれど、人に説明するのには便利なので、幼馴染と言っている。
正確には、私の生家のお向かいさん、そこの三人兄弟のうちの、2番目のお兄さんである。7、8歳、離れている。
1番歳の近い、末のお兄さんよりも、私はこの真ん中のお兄さんのことを、小さい頃からなんとなく好ましく思っていた。
それは恋愛感情とかいうのではなく、安心感というものに近かった気がする。
私の生家の近所には、何人もの歳の近いお兄さんたちがいたし、兄がいたので彼らとよく混じって遊んでいたものの、男の子は幼い妹分に目もくれず、自転車をかっ飛ばして隣町へ駄菓子を買いに行ったりしていた。
そういう時、リーダーになるのは決まって2番目のお兄さんで、そしてすれ違うと、唯一頭を撫でてくれたり、話しかけてくれる人でもあった。
彼の実家には、天井裏と地下室があるのだけれど、特に天井裏は格別で、ダーツの的が壁にかけられ、冷房がついており、板張りの上にミニ四駆のコースがずらりと大きく並べられていて、男の子たちはこぞって、その家に招待されるのを待っていたし、招待されなくても上がり込むような、そういう家だった。
ただ、天井裏には幼い私が登るには危険で、梯子を登らなくてはならず、必ず上のお兄さんか、真ん中のお兄さんがいる時にだけ、手伝ってもらって上がることができた。末のお兄さんは頼んでも、私が降りるより先に「遊んでくるね」と出かけてしまうので、頼りにはできない。
さて、その天井裏には小窓があり、そこから生家が見えたのも、子供心には嬉しいものだった。
ただ、当時私はお嬢さんらしくスカートを履いていたので、上のお兄さんは「恥ずかしいから」と、そのうち下から押し上げる役をしなくなってしまった。
彼は繊細で、照れ屋なところがあって、トイレトレーニングが済んだばかりの私が、トイレで下着をあげられず困っているおり、助けを求めたものの、「そんなの無理だ!」と逃げたこともある。
なので、私が天井裏に上がる機会は、激減した。
それでもこの家には楽しみがいくつもあって、当時洋菓子はケーキ屋さんに行かないと手に入らなかったのが、義母の手作りケーキやクッキー、シュークリームがよく出てきた。
それから、子供部屋にまでテレビがあって、ここの兄弟たちはたくさんのファミコンカセットを所有していたので、近所のお兄さんたちが、籠城するかのようにお菓子を頬張り、ゲームを順番にしていた。
私は、その部屋の隅で、邪魔しないように静かに、お兄さんたちの背中を見るのが好きだった。
1番ゲームが上手いのは、2番目のお兄さん。
彼は、今夫となって、ネットでの対人ゲームで腕を鳴らしているけれど、既にその片鱗はあったようだ。
少し長くなってしまったけれど、このお兄さんが、とにかく1番、誰に対しても面倒を見てくれた。
彼は満遍なく面倒を見ることのできる人で、焼肉を焼かせても上手にみんなに配れるタイプだ。
その、楽しい生活とお別れしたのが、飼い犬が死んだ年。私たち家族は、祖父母の隣家に引っ越しをした。
その直後にバブルもはじけたので、なんとも思い入れの強い年であったように思う。
それから数年以上、どのお兄さんと会うこともなかったけれど、私が十八の時、今の義母(お兄さんたちのお母さん)から母に、一本の電話が入った。
珍しく長電話で、楽しそうに話す母の言葉に耳を澄ませていると、急に母が私に向かって、「ねえ、お向かいの奥さんを覚えてる? 会いたくない?」と言い出した。
会いたいと告げると、「2番目のお兄さんも、くるみたいよ。会いたい?」と、さらに続く。
「2番目のお兄さん? どんなになったかねえ?」
親戚の子供の成長でも見るような気持ちで答えた。
そして、気づけば、おつきあいに発展していた。
母がある日また、言ってきた。
「お兄さんと、結婚する?」
冗談なのかはわからないけど、「いいね」と答えた。
また気づけば、婚約して、結婚していた。
夫からはプロポーズを受けていない。
それでも、一生に一度のプロポーズよりも、毎日の小さな愛情表現の積み重ねの方が、私は結局嬉しいものだと思う。
私が精神疾患から廃人状態になっていた時も、付かず離れずそばにいてくれ、副作用で眠れないと、足をさすって寝かしつけてくれた。
今も、ニコニコ毎日、目が合うだけで嬉しそうにしてくれる。
幼少期の頃の「お兄さん」は、いつもサッカー、ローラースケート、スケボーと、多彩に外遊びを上手にこなすヒーローで、子供間でルールを作り、面倒を見るリーダーで、成績優秀でもあった。
その人は、今、相変わらずゲームをとても素晴らしい腕前で遊ぶし、今度はずっと自分の子供達と遊んでいる。
彼曰く、「とても幸せだよ。だって、奥さんも子供たちも、みんな僕を好きでいてくれる。そうすると、僕だって嬉しい気持ちしか無いよね」とのこと。
実は一見豊かだったが、彼の家は当時仲が良くなかったらしく、とても寂しい思いをしていたという。
あの賑やかな家で、孤独を感じていたというのだ。
1番そばにいた女の子だったけれど、それに気づけるほど、幼児の私は、まだ成長していなかった。
どんなに幸せそうに見えても、人はどこか不幸で、飢えているものなのかもしれない。
幼い頃の夫を、私はもしかしたら、ちょっとだけ救っていたのかもしれない。
そして今も、互いに補うように、そばにいるのかもしれない。
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