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いくつもの顔を頼りながら、保たれる調和

人には色んな顔がある。

子どもに見せる顔。夫に見せる顔。会社で見せる顔。友人に見せる顔。

1人の人間であるはずなのに、その場ごとで色々な顔を自然と使い分けている。

最近は育児中心の生活と、自粛生活も重なり、子どもに見せる顔と夫に見せる顔が中心となる。

以前は会社で見せる顔と、友人に見せる顔も混在していた。会社で見せる顔は、仕事でのストレスもしばしば抱える。


それでも子どもと夫と2つの顔の往復よりも、精神バランスが整っていたと感じるのは何故だろう。

小説家 平野啓一郎氏の「私とは何か」を読んだ。

たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。

「私とは何か」平野啓一郎

本書では、この複数の顔を「分人」と称して、話が進む。

子どもとの分人、夫婦との分人、会社との分人。

1人の人間は、多種多様な分人の集合体とされる。

私たちは、日常生活の中で、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。会社での分人が不調を来しても、家族との分人が快調であるならば、ストレスは軽減される。逆にどんなに子どもがかわいくても、家に閉じこもって、毎日子供の相手ばかりをしている(子どもとの分人だけを生きている)と気分転換に出かけて、友達と食事でもしたくなるだろう。専業主婦の育児疲れを理解するには、その分人の構成比率に対する配慮が必要だ。

「私とは何か」平野啓一郎

まさしく、私は今、精神バランスを保つために必要な分人が不足している。

家族との分人が、ほとんどの割合を占める中で、家族との不調があった時にバランスが保てなくなっている。

仕事をしている時は、会社や家族、友人それぞれの分人を使い分けながら、上手くバランスを取っていた。

最近では些細なことで起きた不調を、上手く回復できずにいた。しかし本を読み、冷静に分人のバランスを取る必要があることに気づいた。

少し前から、家族以外の友人とオンラインでつないで、話す場を持つようにしている。

家族や子育てで不調があったとき、友人と話すことで、驚くほど心が満たされた。

友人との分人が快調になることで、不調だった家族との分人をフォローしてくれたのだろう。

分人主義について知り、日常の出来事を落ち着いて捉えていく知恵を分けてもらったように思う。

何か上手くいかないことが起きた時、分人の不調と捉えることで痛みも軽減される。

全体としての個人の痛みと捉えると、重みが違う。
この分人が不調なら、別の分人の出番だなと考える。

以前は無意識に、仕事や家族、友人を通して精神バランスを取っていた。環境が変わった今、意識的に分人バランスを整えていき、元気な自分が保っていこうと思う。

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