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常に人と比べてしまう苦しみの根本的な解決


「無意識に人と比べる」ことが癖だった。
その癖は、「わたしはいらない」「愛されない」という思い込みからきていて、自分がその場で【安心】を得たいためにあった。

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人との違いをただ情報としてのみ受け取るときは自分にとって害にはならないけれど、
その情報によって自分に優劣をつける判断の材料に使う場合は心の毒になる。


心の毒は自然と解毒することはなくて、少しずつ心と頭にモヤをかけていく。
人から褒められても受け取ることができず【自信がない】、
今の自分以上に自分を良く見せようと【見栄を張る】、
自分ができないことをやっている人に対して【嫉妬する】。
集団の中に身を置くときはこれが顕著で、胸が詰まるような感覚がいつもしていた。

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アンヘルシーな人との比較をしているとき、
⚪︎仕事ができる人を見ると心がザワザワする
⚪︎自分よりも「できない人」を見つけて安心する
⚪︎先生(の立ち位置にある人)に褒められている人を見ると嫉妬する
⚪︎誰かが自分よりも贔屓されていると思い込んで落ち込む
⚪︎リアルでもSNSでも誰かを羨ましいと思う
⚪︎恋人が異性と仲良さげだと情緒不安定になる
⚪︎仕事ができない人に対して内心イライラする

「比較してるからよくない」とわかっていてもやめられなくて、抜け出せなくて辛いんだよね。

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この課題を解決する鍵となる、「わたしはいらない」という思い込みはどこからきていたのか?というと、子どもの頃にきょうだいとの差を感じて思ったことからだった。
両親はいつも姉や弟をかわいがっているように感じて、わたしは褒められることがないし、特にわたしに関心がないと思いこんでいたから。


さらに人と比較することが顕著になったのは、中学生の時。わたしが双子ということもあって、頻繁に先生や周りの人たちから比較された。
「お姉ちゃんは明るくて活発だね」
と、ただの事実を言われただけで
「あなたは暗くて大人しいね」
「真面目だね」
「あなたは劣ってる」と攻撃的な意味に脳が自動変換していた。

親戚の集まりは最悪で、トイレに行くふりをして隠れて泣いて、両親や誰かに弱音を吐いたり、わがままを言うことはしなかった。
そんなことを口にしたら自分が惨めになるからできなかった。
母につらいことを話したことがあったけど、過去辛かった話を聞かされて私の話ではなくなり、そんなものなんだと受け入れてしまった。

「もう生きるのなんかどうでもいい」と、10代の間ずっと自分に言い聞かせていた。

だけど悔しかったから、「大人が望んでいる自分になること」を決めたんだ。
良い成績をとって、進学校に入って、手に職つけて、大きな会社に就職して、仕事を充実させて、結婚して子どもを産んで母になる・・
と、こんな道筋を10代の頃に思い描いて、途中までその通りに生きた。


そしてある時、願い通りにきてるはずなのに自分の心が空っぽなことに気づいた。
お給料をもらって、欲しいものを買ったり、家族は元気に生きてて、友人や恋人もいて、行きたいところへ遊びに行ったり、知識や経験のために勉強もして充実してるはずなのに、まったく幸せを感じなかった。
誰かがいつも羨ましくて、「どうせ私はいらない」という言葉が頭の中に浮かんでたけど、そういうものだと思ってた。

楽しいと感じることはあるけど、頭にモヤがかかっていて、虚しさが消えない。
誰かと一緒にいても切り離されている感覚がしていた。集団の中にいるのが苦手で、誰かといるより一人でいる方が気楽だった。

「大人が望んでいるような自分になること」は、「誰かに認められるために頑張る自分」を生きることだった。
実際に誰かに認められることがあっても、自分の内側に持続的な【安心】を得ない限りゴールはない。


長い間、自分を理解していないがゆえに人との比較を辞められず、「誰かに認められる生き方」を続けた。
よくわからないけど生きづらいというのは、自分で自分のことを理解していないことからくる。
だから自己否定するし、自分の存在意義を誰かに決めさせている。



人間はこれくらい些細なことから小さくだけど少しずつ確実にズレていく。


私がこの比較癖をやめられたのには、
➡️感じないようにしていた過去のどんな感情も感じ切って、
➡️「わたしはいらない子」という自分への誓約書を破棄した。
➡️自己否定する材料を一つずつ拾っていった。
➡️他者の評価=自分の存在意義ではなく、自分が一番に自分を理解すると決めたから。

そうしたら、「わたしは愛されない」というフィルターを着けなくてよくなった。


人と比べることで、「自分は誰かより優れているor劣っている」ということを判断していた。
そうすることで本当は自分を否定するためじゃなくて、比較することで得られる優越感からの【安心】を感じたかったからなんだ。
けどそれは、自分の外側のその場しのぎの安心。


積み重ねてきた比較癖、自己否定癖はすぐには無くならない。
無くすことはそんなに重要じゃない。
自分で安心を築くことが根本的な解決に繋がるから。

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誰かに認められるために生きているうちは、何をしてもうまくいかない。
変わるためのコーチングも効果を発揮できない。
なぜなら生きる目的が「誰かに認められるために頑張る自分」を生きることだから。
これ、もう目的達成してるからそれ以上変わる必要がないのです。

この状態にある場合、アドバイスやコンサルティングやコーチングの前に必要なのは、ヒーリングやカウンセリング。



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