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東京日記19「6STEP(①調子よく書き始め、②話が逸れて、③長文になり、④諦めかけたが、⑤無理やり戻し、⑥今)」


電車の座席の後ろにある窓のふちに、開封済みの果汁グミのブドウ味が立てかけてあったので書きます。
(小さな子が窓の方を向いて、外を見ながらグミを食べている絵が浮かんだ)

2024/03/05

誰かからもらった態度とか行動とかって、自分の体にしっかり積もっていくものだなと思った話。

わたしは、わたしわたしが強すぎてたまに怖くなる。年々怖さが増す。わたしこれしたいの、あれしたいの、が山のようにある。(書いていてふと。ん?本当に山のようにあるか?と思いましたが話が逸れるので一旦、、、ね。)
人に優しくできないのではないかとか自分のいいように相手を使っているのではないかとか。誰かから優しさをもらってばかりではないかと。それがたまに怖くなって、なぜみんな他人のことをこんなに考えられるんだ!と喜怒哀楽で言ったら怒哀が混ざって、さらに不思議さと他にも何かしら少し混ざったような思いになったりする。わたしだって誰かに優しい気持ちを渡せてることがあるだろうに。みんなの優しさ、心配りが大いに上回ってしまってわたしのなんてちっぽけに感じてしまう。
大きさ、量の問題ではないことなんてわかっている。そもそも数字的な世界で考えるものでもない。誰かに、「わたし、人に優しくできてるかな」と聞かれたら「もちろん、できているよ。わたしもあなたから優しさもらってるよ」と言える。けれど、自分のことになると。なんなんだろうね。

わたしはとっても人に助けてもらって、家族にも愛情をたくさんもらって大きくなってきた。こんな行き当たりばったりな生き方をしている、壁にぶち当たるまで走り続けるみたいな人がなんとか生きているのはみんなのおかげだ。
人一倍、優しさをもらってきたように思う。

優しさと時に冷静にわたしを見る目を持ち、わたしに向き合ってくれる存在。
それはわたしのおばあちゃん。
わたしに文化みたいなものがあるというのであればおばあちゃんがせっせと種を蒔いてくれたからだと思う。おばあちゃんと初めて見た映画でオードリーヘップバーンを知った。60.70年代のヨーロッパの服が好きになった。おばあちゃんの服もたくさんもらって、今では一つのコーディネートに1着は必ず入ってくるのではないかと思うほど着まくっている。お花の先生で、若い頃は藍染めをやりたいと思ったこともあるらしい。

(ああ、優しさというおおまかなテーマから話が遠ざかっている。)

おばあちゃんはいつも丁寧にじゃがいもの面取りをする。キャベツの細切りも、一切り一切り確実に包丁をいれる。そんなところは、わたしは似ていない。まったく似ていない。

(おばあちゃんに優しさをもらったというか、愛をもらっていると感じた話は長くなったのでまた今度)

そんなおばあちゃんが風邪をひいた。
朝起きると、すでに仕事に向かった母からLINEが入っていた。
「おばあちゃん、喉が痛いみたいです」

リビングに行き、ご飯を食べる。
食べた後は染色の準備。この日は桃の木の枝で染めた。枝切り鋏では限界の太さの枝がいくつか。ノコギリを探すが見当たらない。
朝LINEを見たのに、すっかり忘れて「おばあちゃん知ってる?」と部屋に向かって話しかける。

「今日は喉が痛いのよ」と部屋から出てくるおばあちゃん。
はっ、、、そうだった。

再び染色準備に戻る。ノコギリが見つからないので太い枝は諦める。

外での作業が終わりリビングへ。
いつのまにかお昼すぎ。
昼食を食べようとしているとおばあちゃんがやってきた。
そこから突然スイッチが入る。

おばあちゃん、食べた?欲しいものある?ゼリーなら食べられる?
あ、昨日のお吸い物が残ってたから後でそれ食べられるかも。他の人が食べないよう、声をかけておこう。

一通り考えた後、なんだか母みたいだと思った。
母がわたしの体調が悪い時にやってくれること。
母が家族を看病する姿を見てるから、わたしにもやってくれているから。

ここでハッとしたのは
わたしもおばあちゃんを気遣えるじゃん
ということではなくて
母からもらった優しさや気遣いが、自分の行動でおばあちゃんに返されているということ。

やってもらったことが自分に積もっているなという感覚。滲みこんでいるというより、積もっている感覚。層になって、厚みがある。
これがあったら大丈夫かもしれない。人のこときっと大切にできるという漠然とした安心感。
他人がやってくれたことだから信じられる。とっても大切にされているわたしだから、わたしだってそれを誰かに渡せるはずだ。

そんなことを思いました。まだまだ不安はあるけれど、最後の最後でわたしは大丈夫だろうって思える後ろ盾、シルバーの、かたいやつ。ゲットしました。

ちなみにおばあちゃんが食べたウイダーinゼリーのマスカット味の賞味期限は半年以上切れていました。
それでも次の日、すっかり元気になりました。長引かなくてよかったです。

(この文章には、わたし という言葉がとんでもなく出てきます。しつこい。が、しかしあえて消しません。数えてみてね。わたしわたしわたし)

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