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私の名前


本名の話。

私は自分の名前が好きだ。

最初からではない。
とある有名な人と同じ名前(当時はちょっと珍しかった)で、漢字まで一緒。
幼い頃はなかなか好きになれなかった。

両親に名前の由来を聞いてみよう、という宿題を出された人は多いのではないだろうか。

両親がどんな気持ちで名前をつけたのか分かった、どんなに愛されているか知ることができた、名前のような人・名前を超えるような人になりたい等々、おそらく道徳教育において重要な面を担っているのであろう。

私ももちろんやった。上記のようなことは感じてはいたが、受け入れられなかった。
正直からかわれることが多かったため、どんなにいい意味を持っていようと面倒な名前だと感じてしまっていたのだ。
私の名前というより、その有名な人の名前という感じがして、名前なんてどうでもいいただの記号だと思っていた。


ではいつ名前を好きになったのか。

中学の頃、部活で県強化選手の合宿に呼ばれた。かなりハードな合宿で、私はヒイヒイ言いながらなんとかやっていた。
そこで出会った他校の選手。いつもはどんな練習をしているかや、他校のすごい選手について、今後についてなど様々な話をしていたのだが、急に、

「アメ(本名)って名前さ」

ドキッとした。
また、あの人と一緒だよね〜とか、でも全然似てないね!とか言われるのだろうか。
また嫌な思いをするのだろうか。

続いた言葉はこうだった。

「音がかわいいよね」

すごく間抜けな顔をしていたと思う。初めて言われた。その後も同じ名前の人の話は一切出てこず、ただ素敵だと言ってくれた。
こんなに優しく名前を扱われたことはなかった。


この瞬間から、記号は私の名前になった。


自分の名前が好きになった。
両親が名前に込めた意味を素直を受け取れるようになった。
自分の名前を誇らしく思えるようになった。

そんなことで?と思う人もいるだろう。私も心の変わりように驚いた。

しかし、その有名な人の話題を一切出さずに私の名前について述べてくれた人は、今まで1人もいなかったのだ。


これ以降も名前で揶揄ってくる人にはよく出会う。揶揄いだと思ってもいないのだろう(私は辞めてと言っているが)。

人の嫌がることをする、想像力に欠けた人間を炙り出すのに便利だ、と思うようにしている。


私の名前は私のもので、私の誇りなのだ。
誰かに汚させてやるものか。

私の名前として、ただ素敵だと言ってもらえた、あの日のことを私は一生忘れないだろう。



私は自分の名前が大好きだ。

アメ

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