富士山と共に街を歩く


私は富士額だ。

富士額とは、額の髪の生え際が富士山のような形に似ていることを指す。昔は美人の条件とされていたようだが、美しさは時代によって変わる。今ではただのおでこの富士山だ。


この富士額でいくつか悩みがある。


まずオールバックが少し恥ずかしいこと。
目をかっぴらいて世界を見回したい時、前髪なぞ邪魔である。
そんな気分の日もあるのだが、私は富士額。オールバックにすると額に山が現れてしまう。富士山といえば聞こえはいいが、私の場合、猿のように見えなくもないのだ。
目をかっぴらいて世界を見回す猿。
ちょっと面白い。

今日は世界なんて見たくないし、世界から見られたくもない、そんな日もある。そんな日は前髪を下ろす。寝癖さえ直っていればいい。しかし富士額、生えグセがすごい。
富士のようになっているということは、Mの字を書くということだ。それら全てがまっすぐ下りるというわけではない。前髪の内側部分だけに変な浮きがある。
前髪の一部分だけ浮くことがよく起こる。
見たくない世界を見る羽目になる。

そこまで世界を見たくないが、ちょっとつまむ程度に見たい日は、分け目を作る。
クセがあるなら楽だろうと思ったかもしれない。逆なのだ、生えグセによって思い通りに分けられない。あらかじめ前髪たちに指示をしておく必要がある。
飼い慣らしすぎるとペタ髪になってしまうので、そこは加減が必要である。富士額の生え際とは適度な距離を保つ必要がある。


ごちゃごちゃ述べたが要するに、富士額の生え際事情は面倒くさい。


でも本当は私は私の富士額が好きになりたかった。
ちょっと笑われたこともあって、好きになりきれなかったのだ。
人から容姿を笑われることの負の効果は、自分が思っている以上に、はるかに大きい。



猿みたいな時も好きだ。鏡を見ると笑顔になれる。表情がよく分かる。超かわいい。

一部分だけ浮いてる時も好きだ。活きのいい前髪。髪も頭皮も元気な気がする。

思い通りに分けられない時も好きだ。自我のある前髪。ぜひ我が道を突き進んで欲しい。


少し面倒なところに愛着が湧くのだ。


まんまるおでこが羨ましくて剃ってしまおうかと思った時もあった。
前髪が浮かないように鏡とにらめっこしながら頑張ったことも。
変な分け目が付かないように前日から気を配ったことも。


全部まわりを気にしていた。

周りの富士額の人を猿だとか思ったことがあるか?
そんなことは一切ない。

前髪が浮いていたっていいじゃないか。


私は完璧じゃないからいいのだ。


今は自分の富士額が愛おしい。


今日も富士山と共に街を歩く。


アメ


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