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サイコロきっぷで日帰り旅~「西の都」太宰府へ
5000円払えば指定席で往復できるって
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鉄子(鉄道大好き女子)の血が騒ぐこの企画。有効期間は2日間。一泊二日の予定をたてるのは難しいなあと悩んでいたけど、あ、日帰りOKだと気づいて、エントリーすることに。小倉、松山、奈良、敦賀、どこが当たっても行きたい場所があるよ。
サイコロ転がして、’小倉’までの往復乗車券を5000円でゲット。当然、平日に行くつもりじゃ。
いざ太宰府へ
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小倉までの新幹線のきっぷは確保したけど、その先はどうしよう。高速バスやJRの在来線、いろいろ調べたけど、小倉から博多まで新幹線で16分。ここは新幹線をつかうことにしました。せめてもの節約で小倉ー博多間は自由席に。そのため指定席は4号車にして、小倉で3号車の自由席に移動しましたよ(帰りも同じ)。
博多駅のすぐ横、博多バスターミナルから西鉄の太宰府ライナーバス「旅人」に乗車。乗車待ちの場所を示す線は紅梅色です。
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太宰府をどのように巡ろうかな
太宰府のあたりは、太宰府市コミュニティバス「まほろば号」(一回100円均一)が循環していて、史跡巡りにも使えるとか。HPから路線図と時刻表をダウンロードして予定をたててみました。
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この計画で行けそうだけれど、ここで〈自転車好き〉の血が騒ぐ。実は今回一番行きたいところが「水城」なのですが、西鉄都府楼前駅で別の路線に乗り継がなくてはならない。バス時間を気にして動くのもいやだし‥。
いろいろ考えているうち、太宰府ライナーバス「旅人」は終点の西鉄太宰府駅前に近づき、バスの窓から町中を観察すると、歩道が広い、歩いている人も少ない、自転車大丈夫だ、となりまして、西鉄太宰府駅でレンタサイクルを申し込みました。初の電動自転車だよ。〈1日800円〉
そんなこともあろうかと、準備してきましたよ。熱中症対策グッズ。
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なんだ、最初からそのつもりだったんじゃないかという自らの心の声も聞こえてくるけど、ま、そういうことです。
観世音寺
最初に向かったのは観世音寺。
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この寺の名前は『源氏物語』玉鬘の巻に「清水の御寺観世音寺」とでてきます。当時は、筑紫で有名なお寺だったようです。
夕顔の死後、夕顔の子ども(玉鬘)は、乳母の夫が太宰少弐となって太宰府に赴任するので、いっしょに筑紫に行き、美しく成長します。でも太宰少弐が死んだあと、肥後の大夫監(太宰府の判官)が強引に求婚してきたので、乳母の一行は京に逃げ帰ります。その後、右近(かつての夕顔の女房。今は源氏の君に仕えている)と長谷寺で再会しますが、その時に、筑紫から再び上京した元同僚の女房の口から、観世音寺の名前が出てきます。
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また、観世音寺の梵鐘は日本最古のものだそうです。
現在(2023年7月6日)は、鐘楼は空っぽで、梵鐘は九州国立博物館に展示されているという張り紙がありました。
〈九州国立博物館で見ることができました。菅原道真も聴いたという鐘の音の録音もながれていましたよ〉
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さあ、次の目的地へ、自転車漕ぐよ~。
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大宰府政庁跡
私が受験生のころ(遠い昔)は、「だ宰府」の「だ」は一律に「太」と覚えたものだけど、最近は昔のものには「大」、現在の地名には「太」という使い分けをしているそうです。太宰府天満宮は現在の太宰府市にある天満宮だから、太宰府天満宮?ややこしや。
それで、ここは大宰府政庁跡。
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だだっ広いところに建物の礎石が並んでいる、この光景がすごく好き。広場に立つと、今踏んでいる地面の下から、ここで生きていた人たちのパワーが伝わってくるような気がします。でも、お手入れ大変だろうな。
宅地開発を止めて、史跡をのこしたと看板にありました。
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これは大宰府政庁跡の入口付近の濠。涼しげなり。
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めざすは水城東門
麦茶を飲んで、塩分チャージをポリポリ噛んで、がんばろう。でも、そろそろへばってきた。変だ、電動自転車なのに、あまり進まない(あとで、スイッチを入れ忘れたと判明。やれやれ)。
ウントコショッと坂をのぼって、坂本八幡宮。
大伴家持の邸のひとつがここにあったようで、新元号のもとになった梅花の宴が催されたということになっています。
そういえば、行きの太宰府ライナーバス「旅人」の行き先案内では、政庁跡よりも令和ゆかりの場所坂本八幡宮の方を推してましたね。
写真を一枚撮って、次!
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太宰府天満宮あたりから水城へ
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「水城」に行きたかったのは、『平家物語』で読んだ、太宰府から徒歩で逃げていく平家の人々の姿がとても印象的だったからです(巻八 太宰府落)。
都落ちした平家の人々は、ようやく太宰府にたどり着き、九州の武士を招集しますが、落ち目の平家に従うものはほとんどいません。後白河院から平家追討の院宣も届いていました。
それなのに、平時忠(清盛の義兄。二位尼の兄)は、緒方三郎維義をおこらせてしまい、平氏の人々は大雨の中を徒歩で、天満宮安楽寺*から、水城の門を抜けて、博多湾まで逃げていきます。
*天満宮安楽寺(てんまんぐうあんらくじ) 現在の太宰府天満宮。天満天神とも。菅原道真を祀る。鎌倉時代以降、天満宮は健在だが、安楽寺は徐々に衰退していき、明治初年の神仏分離令によって廃絶。(参考 国史大辞典)
平安時代文学には、筑紫の安楽寺がしばしば登場します。
『平家物語』にはこのように書かれています。
ーーーーーー
平家は、緒方三郎惟義が三万余騎の軍勢を率いていまにも攻めてくるといううわさが聞こえてきたので、取るものも取りあえず太宰府からお逃げになる。あれほど頼もしく思った天満天神の境内を、心細く思いながら離れ、輿をかつぐ男もいないので、行幸に用いる葱花、鳳輦の車は名ばかりで、帝は腰輿にお乗りになった。国母(建礼門院)をはじめ、高貴な身分の女房たちは袴の脇をたくし上げ、大臣殿(平宗盛)以下の高官は、指貫の脇をひもに挟んで、水城の門を出て、裸足で歩いて我先にと箱﨑の湊に向かった。その時降りしきる雨足は車の軸のよう。吹く風は砂を巻き上げると言えようか。落ちる涙、降る雨、どちらがどちらとも区別できなかった。道々、 住吉、筥崎、香椎、宗像の神々を拝し、ただ帝が京の都にお帰りになれますようにとそればかり祈った。垂水山、鶉浜などという、高く険しい山を越え、広々とした砂浜にたどり着いた。なれないことなので、おみ足から出た血は砂を染め、紅の袴は血で染まってますます紅に、白い袴は裾が紅に染まった。
平家は、緒方三郎維義が三万余騎の勢にて既に寄すと聞えしかば、とる物もとりあへず太宰府をこそ落ち給へ。さしもたのもしかりつる天満天神のしめのほとりを、心ぼそくもたちはなれ、駕輿丁もなければ、葱花、鳳輦はただ名のみ聞きて、主上腰輿に召されけり、国母をはじめ奉って、やんごとなき女房達、袴のそばをとり、大臣殿以下の卿相雲客、指貫のそばをはさみ、水城の戸を出でて、かちはだしにて我さきに前にと箱崎の津へこそ落ち給へ。をりふしくだる雨車軸のごとし。吹く風砂をあぐとかや。落つる涙、降る雨、わきていづれも見えざりけり。 住吉、筥崎、香椎、宗像ふしをがみ、ただ主上旧都の還幸とのみぞ祈られける。たるみ山、鶉浜なんどいふ峨々たる嶮難をしのぎ、渺々たる平沙へぞおもむき給ふ。いつならはしの御事なれば、御足より出づる血は沙をそめ、紅の袴は色をまし、白き袴は裾紅にぞなりにける。
林原美術館所蔵の平家物語絵巻には、足から血を流しながら、女房や貴族が徒歩で逃げている様子がじつにリアルに描かれていますので、ぜひ、図書館などでご覧ください。
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水城東門を通る古代官道
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平家の人たちはどのルートを通って、博多湾まででたのだろうかと、ずっと気になっていたのですが、ようやくわかりました。
西鉄太宰府駅前から水城の東門まで、私が自転車を漕いできた道を、平家の人たちは歩いて来たのですね。その先まだまだ遠いなあ。
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水城館の解説員のかたに教えていただいて、水城跡をすこし歩いてみました。写真の左側が土塁です。藪をこいで昇っていったところに、水城のよい撮影スポットがあると写真を見せていただきましたが、今回は暑いので断念、春か秋にまた来たいと思います。こんどは外国人使節が通るという西門にも、客館跡にも行ってみたい。
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古都大宰府保存協会>水城館
https://www.kotodazaifu.net/mizukikan
九州国立博物館へ
暑い暑いとしかいえず、博物館の建物の写真を撮っていませんでした。エントランスの高い天井も竹を使っているのかなぁ、とても凝った造りでした。
かわりにお土産に買ったクリアファイルの写真を貼っておこうかな。北斎です。
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サイクリング終了、太宰府天満宮へ
自転車を返して、太宰府天満宮に。
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うわ!屋根のうえに木が生えている!
本殿の特別改修のため、「仮殿」が作られていました。
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太宰府天満宮のホームページによりますと、〈飛梅伝説から着想を得て、鎮守の杜の豊かな自然が御本殿前に飛翔し、仮殿としての佇まいをつくり上げることがコンセプトとなっております〉だそうです。おもしろいなあ。
境内には牛の像がたくさんありました。
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サイクリングにしたので、すこし時間に余裕ができました。参道にある喫茶風見鶏で珈琲を飲んで、太宰府巡り終了!
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また、来たいと思います。バテてしまって食欲がわかず、梅ヶ枝餅食べてないしね。
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