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【一首評】座ってた人がどこかに消えたって頑丈な椅子は静かに残る ~「短歌人」2022年4月号より~

座ってた人がどこかに消えたって頑丈な椅子は静かに残る 村上惟

「短歌人」2022年4月号 P75

もっともポピュラーな子どものいたずらの一つに座ろうとしかけている人の椅子を背後からいきなり引く、というものがある。幼いころに誰もが一度は見たことのある(もしくはくらったこと/仕掛けたことのある)いたずらだと思う。このいたずらの成功率は非常に高く、警戒心を欠いている状況ならばかけられた人はかなりの確率で後ろに倒れ込むことになる。

椅子に座るという行為は、その椅子に自分を預ける行為に他ならない。かくいう僕は今、四年ほど前にIKEAで購入した木製の椅子に座ってこの記事を書いているが、感覚的には八割ほどの体重を椅子に預けている。なぜ自分を預けられるのかといえば、それが椅子だからであり、預けられない椅子は椅子ではない。椅子と人との間の確固たる信頼関係を逆手にとるからこそ、いたずらは成功する。

歌に入ろう。「頑丈な椅子」とは言わずもがな壊れにくい椅子を差す。椅子が壊れると人との信頼関係もまた崩れ、人は椅子に自分を預けることができなくなり、その時点で椅子は椅子でなくなる。座ることができなくては椅子ではないわけだ。

逆に言えば、座ることができるのならば、たとえ「座ってた人がどこかに消えたって」それは椅子である。人の手によって「頑丈に」作られた椅子は人がいなくなっても「静かに残る」わけだ。この歌は当たり前のことを言っているようでいて椅子というものの本質を的確についている。

「静かに残る」という結句からは、童謡<大きな古時計>に出てくる時計を連想した。百年休まずチクタクチクタクと音を響かせた時計はやがて動かなくなる。時を刻むことをやめたときに時計の死は訪れるが、それでも椅子は音のない空間に「静かに残る」。この歌を読むと、そんな空間が不思議なほどリアルな質感を伴って浮かんでくる。

ガスコンロたったの十年で故障して部品も無いので捨てるしかない

この歌の前に置かれたこんな歌。ガスコンロを故障したから捨てようというのではなく、「部品も無いので捨てるしかない」という。ここからも「静かに残る」椅子と同様に、モノの生と死の境界を見定める鋭くもやさしい視線を感じる。それは作者ならではの視線であり、詩を生もうとする視線である。

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