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#東日本大震災から10年 今までと、これから。 震災や復興を経験していない私が3.11について考えること

東日本大震災から10年となる2021年の3月。様々なメディアで「忘れてはいけない3.11」「10年前のあの日」といった言葉で連日特集が組まれました。

10年前の3月11日に起きたことやその後の復興については、報道などを通して知っています。多くの方が犠牲になり、今も苦しんでいる震災を、忘れてはいけないと強く思います。

けれど、私は当時13歳で、直接の被害を受けていません。そんな私にとって、震災や復興という言葉はどこか上滑りしている感覚があり、どうして「忘れてはいけない」のか、3.11が社会にどんな影響を与えてきたのか、自分の中に落ちていないようにも感じます。

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だからこそ「3.11で起きたこと・3.11をきっかけにこの10年で起こったこと」を知りたい。そして、3.11からの「復興」はそもそも何なのか、これから自分に何ができるかを考えたいと思いました。

そんな想いで開催したイベントが、「#東日本大震災から10年 今までと、これから。私にとっての3.11ってなんだろう。」です。本イベント企画者のNO YOUTH NO JAPAN三宅瑞紀より、イベントの様子をお伝えします。

イベント概要
「#東日本大震災から10年 今までと、これから。私にとっての3.11ってなんだろう。」
開催日:2021年3月13日(土) 11:00〜12:30
Zoomにて開催

プログラム
【第1部(約15分)】
・アイスブレイク
・3.11ってなんだった? NYNJより
【第2部(約40分)】
・ゲストスピーカーからのお話 川瀬様、菊池様
・QAタイム
・写真撮影
【第3部(約30分)】
・ディスカッション
・アンケート記入

この10年で変わったこと・変わらないこと

イベント第1部では、NO YOUTH NO JAPANから、震災当時の被害について、地震・津波・原発の3点からレクチャー。

例えば、JR東日本の気仙沼線の事例。地震や津波によって甚大な被害を受けた気仙沼線は、鉄道の復旧に時間がかかったため、2012年から電車の代わりに公共バスを運行していました。鉄道の復旧に多大の金額がかかることも原因で、2020年4月1日より、気仙沼線の一部区間では、本格的にバスによる運行へと移行しました。

また、福島県では原発事故によって、原発周辺地域に避難指示が出されました。そして、いまだに帰還困難区域に指定され立ち入ることができない場所があります。

2011年3月11日に起こったことと、この10年で変わったこと・変わってないことを、改めて紹介しました。

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震災を語れない私が、震災と復興を考える

第2部では、本イベントにゲストとしてご登壇いただいたお二人に、お話を伺いました。認定NPO法人カタリバに所属し、福島県双葉郡広野町でコラボ・スクール 双葉みらいラボスタッフとして働いている川瀬吏恵さんと、岩手県大槌町で大槌新聞を出版している菊池由貴子さんです。

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川瀬さんからは「よそものの私と、福島の震災」というテーマでご講演いただきました。
2019年から認定NPO法人カタリバのスタッフとして活動を始めた川瀬さん。10年前はご自身の出身地である三重県におり、直接震災を経験していません。そんな「よそもの」の自分が福島の未来を語っていいのか、被災地で活動をする中で、悩んでいた時期があったそうです。

しかし、双葉みらいラボで関わった生徒たちの「幼稚園当時の記憶があいまいで、震災を語れない。でも、そんな私だからこそ、震災を経験していない人々と福島を繋ぐことができるかも?」
という言葉から「福島=被災地、生傷のあるところ、触れてはいけない」と考えていたのは自分だったと気づいた、といいます。福島の生徒たちは、「震災の記憶が薄いから口出ししない」ではなく「震災の記憶は薄いけど、地元の福島を盛り上げたいから自分にできることをする」と考えていました。

「震災を語れない私だからこそできることがある」という川瀬さんからのメッセージから、語れない・知らないは、何もしないことの理由にはならないこと、住んでいる場所は違っても、想いがあればできることは沢山あるのだということに気付かされました。

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震災で情報過疎に陥った経験から、「町民による、町民のための町の新聞」をコンセプトに大槌新聞を創刊した菊池さん。

菊池さんがお話してくださったのは、大槌町で起きた被害とその後の様子です。津波と火災により市街地が壊滅的な被害を受けた震災から10年、ハード面での整備はほぼ終了したものの、被災者の心のケアなどのソフト面の復興はまだまだ道半ばだといいます。

印象的だったのは「『自分は何もできていない』とか『自分にできることはなんですか』と言う方がたくさんいるけれど、そう思っていること自体、すでに皆さんが『何か』をできているということです。今日イベントに参加してくれたことで、さらに『何か』できたってことです」という言葉です。

「何かしたい」と思っているけれど何もできていないという感覚、その無力感ともとれる感覚も「何かをする」事の一つ。その思いが漠然とした「何か」を具体的な行動に変えていくための一歩になるのだと、勇気づけられたように感じました。

「復興」とは何がどうなることだろう?

イベントの最後の30分は、参加者同士のディスカッション。
「『復興』とは何がどうなることだろう?そのためにはどんなアクションができると思う?」をテーマに、考えたことを共有しました。

今回イベントには、15歳の中学生から50代の社会人の方まで、幅広い世代の人が参加してくださいました。当時、東北にいて被災経験のある方もいらっしゃれば、西日本出身で、東日本大震災を直接経験していないという方もいらっしゃいました。
年齢も背景も様々な方と、復興とは?という問いについて考えてみる中で、
「『復興』という言葉を使わなくてよくなること」
「被災者というラベルを貼られて、『かわいそう』と思われることがなくなること」
「被害を受けた人が自分の持っているような『自由さ』を持っていること。」
「『復興』という言葉を考える必要がない当たり前の生活を送れるようになること」

など、様々な声をお聞きしました。

普段、3.11について、身近な方とあまり話題にしたことがなかった自分にとって、自分とは違う年代の方や、3.11について異なる経験を持つ参加者の皆さんの感覚はとても新鮮でした。参加者の皆さんからも「いろいろな人の意見が聞けて良かった」「何ができるか考えている人が自分以外にもいることが知れて良かった」「自分の中で『復興』のイメージがはっきりした」という感想をいただいています。

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3.11後の社会を生きるということ

私は、「復興」とは、3.11で被害を受けた地域に活気が戻り、「復興」という言葉を誰も口に出さなくなることかと思っていました。
それはどこかで、3.11とそこからの「復興」は、被害を受けた地域だけが向き合うものだと思っていたからかもしれません。このイベントで改めて3.11で起こったことを学び、参加者の皆さんとお話をする中で、3.11の教訓を次の世代にしっかりと伝え、次の災害で同じことを繰り返さないように自分なりに防災対策をしていくことも「復興」の一つなのではないかと感じました。

3.11を「歴史的な大災害」という曖昧な理解で終わらせたくない、その延長線上を生きる世代として、そこで起こった事実を知り、自分ができることを考えたいという気持ちからスタートしたこの企画。
3.11からの教訓を次の世代に引き継ごうとしてくださっている方の想いを受け取り、現在も続く議論について、考え、次の世代に何を残していくのか。このイベントが、3.11についてもっと勉強してみたいと思ったり、3.11後の社会で「何かをしたい」と考えている方の、その「何か」を見つけるきっかけになっていたら嬉しいです。

(文=三宅瑞紀)

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