見出し画像

デザインの問題

コンビニにて見知らぬ婆さんに袖を引かれる。


痛み止めが効いてきたので昼から買い出し。スーパーに小分けビニール袋が無かったため、脇腹に五寸釘を指したような痛みをこらえながら。途中、コンビニに立ち寄る。

が、数年前はしっかりしたビニール袋がサイズ別に売ってたんだが、今は百均の薄っぺらビニール袋に代わっている。

百均のビニール袋ってすぐ破れるから買わないんだよな。

で、店を出ようとしたら、左腕に小さい小さい婆さんがぶら下がっていた。

必死の形相で。
怖かった。
腰痛いし。

ただ、話しを聞くと金のおろし方が分からんから教えてくれとかいう内容で、自爆テロとかじゃなくて安心した。

「いーの?俺、悪い奴だからパスワードとか盗んじゃうよ?」
「いいんです!今日2万振り込まないといけない!」

だってさ。『いいんだ!』とか言われると断れないなぁ。詳しくは聞かなかったけど、人生色々あるなぁ。

店員は見て見ないふり(商品知識はカケラも無ぇくせに手抜きだけは超1流だなオイ)してるし、じゃあ、一緒におろしてみようかチャレンジチャレンジ、と、付き合ったが、

何度も失敗する。 
難しいんだなぁ。

見てて思ったんだけど、ネットバンキングの操作画面って、デザインや手順がなぁ、年寄りにゃあ見にくいし分かり難いのよ。

デザイナーの独り善がりっつーか、古典に則ってねぇっつーか、年寄りをサンプルにしてデザインを練ってねぇよな。あれ。ウザいCMもデザインに入ってるし、混乱する。

婆さん、恐縮すればするほど失敗する。

マイクロソフトのオフィスなんか見ていつも思うが、年寄りや、パソコン、スマホを持ってないやつはハナから対象外のデザインになってるよな、あーいうの。

切り捨てだ切り捨て。

年寄りでも使いやすいように改良すりゃあ、新たな雇用もタクサンでてくるのに、そういった点は全然進歩してない。デフォルトのフォントサイズだけでも、初期老眼を視野に入れて、もう1サイズ上げるとか、改良点はあるのになぁ。

ただでさえ、これから若い奴の頭数は少なくなって、労働人口が減っていくっつーのに先が思いやられる。動けるもんはジジババでも働かせないと、今後、でかいトラブルになっていくのに。

AIも自動機も過大評価されてるにすぎないと、これは現場にいると強く思う。機械が人に沿って高度に進化しているのではなく、人が機械に合わせて退化している。それが今の社会の正体だと思ってる。

例えば、コンピュータが数千倍のスピードで計算をしたとしても、人は、その計算結果が正しいのかを判断するだけの力がもう無い。計算自体を、パソコンに丸投げで放棄しちまってるから計算して判断する能力が無くなってしまった。

だってテレビでいってたもん。

機械が駄目になって機能が無効になったら、あとには無能しか残らない。人力を遥かに超えた道具は反動もハンパじゃない。

なら判断、決断も機械に任せりゃいいが、人は臆病な生き物だ。隣人に家の金庫の鍵を渡すようなマネは絶対しないから、機械が人の代わりになる事はない。

とか、妄想にふけってる間に何とか最後までクリアして、「おかげ様で」と婆さんは去っていった。

銀行に行かずとも、近所のコンビニで振り込み、支払いや、年金がおろせるようになったし、これであの婆さんの人生もちびっと豊かになった。

問題点に目を瞑って崖に突き進むのもまたよし。 

と、思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?