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ショートショート「おばけ大根」

「あーら、また大っきくなってぇ」

3日ぶりでも数週間ぶりでも、同じように声をかけてくれたおじいちゃんがいない。
お気に入りの散歩コース。住宅街を少し抜けると、景色が開けて畑が広がる。このくらいの時間に通りかかると、いつも畑仕事をしてるおじいちゃんがいて、軍手で汗を拭いながら腰を伸ばし、二言三言お話をしていたのに。

「なんさいかな?」
「にさい!」
「おりこうさんだねぇ」
「いいお天気ですねぇ」
「なにを育ててるんですか?」

でも、もうしばらく見かけていない。

「おばけだいこん!」

少し草の出始めた畑にはびっくりするくらい大きい大根が伸びている。伸びているというか、畝を乗り越え地面が這いずり、今にもあるき出しそうだ。2歳の息子の背丈はゆうに越えているだろう。野菜というより、植物って感じ。力強い自然が少し怖い。

「ねぇ、おっきいねぇ」
「おいちゃん、ないねぇ」
「そうねぇ……」

大根以外にも、ナス、トマト、なり初めたスイカ。いつもていねいに手入れされている一画が、それぞれ好き勝手している。心配だな。とはいえ、あいさつするだけ。名前と知らないおじいちゃん。曇り空に雨の匂いが交じる。洗濯物、部屋干しにすればよかったな。

「そろそろいこっか」
「うん!」

返事は100点なのに、行く先々で立ったり座ったり走り出したり忙しい。車通りは少ない道だけど、前後を気にしながら帰り道を急ぐ。

「子どもって、好奇心の魔物よ」

いつだったかの同窓会。早くに結婚した地元の友だちの言葉を思い出す。たしかに。今なら深く頷き合える。降り出すギリギリ、タッチの差で玄関にすべり込む。セーフ。

「間に合った……」
「まにあった!」

クスクス笑いながら、「おやつたべる?」に食い気味に「べる!!」とラリー。夏が眼前なのに、雨が降ると冷える。最近お気に入りのゼリーと、自分用に温めた牛乳を並べて、リビングの窓を眺める。ポツポツが、タタタタとなり、ザーッ。ほんと、間に合ってよかった。

「あめー!」
「ね、あめ。降られなくてよかったねぇ」
「よかったね!」
「……あっ」

洗濯物は死んだ。

仕事はほぼリモートワークだけど、会社都合での引っ越し。会社都合とあとはもろもろ。謝ってきた後輩も、逆ギレしてきた元夫にも顔を合わせたくない。もう涙も出ない。わたしが悪いんだろうか。ぜんぶ誰かのせいにしちゃいたい。そんなのをどうにか抑えて、慣れない土地を心機一転に置き換えて、なんとか乗り切ろうとした1年。子どもの順応は早い。

しばらく続いた雨の合間、久しぶりの晴れ。
いつもの散歩コースに、見慣れない人影の影が伸びていた。日焼けの似合わない顔に見慣れた麦わら帽子をかぶって、大根と格闘している。

「あ!おいちゃん、ないねぇ!」
「そうね、誰だろう」

つないだ手の先から好奇心を借りて、迷った末に「よしっ」と意を決し声をかける。

「……あのぅ……!」
「……?はーい。」

汗を拭いながら振り返る人影は、驚く様子もなく自然に答えた。面影がおじいちゃんのそれだ。なんとなく、でも核心的にこころが構えてしまう。

「えっと、その。ここをいつもの散歩してまして。畑のおじいちゃんによくしてもらってて。あの、えっと……」
「ああ、そうですね。祖父は先月に」
「あ、そうですか。……その、この度は」
「はい。ありがとうございます」

軍手で汗を拭ったから、顔に土がついていた。その顔が深々頭を下げる。つられてこちらも顔を伏せた。こういうの、いつまでたっても慣れない。いつまでも慣れないのかもしれない。頭を上げるタイミングを計っていたら、ふいに握った手にきゅうっと力が入った。

「……おいちゃん、もういないの?」

ああ、どうしよう。死。亡くなる。旅立ち。天国。お出かけ。またいつかね。どこかでね。……どれも伝わるだろうか、それともごまかそうか。2歳のまっすぐな目は、どんな言葉も不正解な気がする。えっと、あの、うんと……とまごまごしていると、ひょいっと側溝を飛び越えて麦わら帽子がしゃがんでいた。

「おじいちゃんはさ、天国にいったんだよ」
「てんごく?」
「うん」
「しんじゃったの?」
「うん」
「……」
「おじいちゃんのこと、好き?」
「……うん!」
「ありがとう。おじいちゃんもきっと、うれしいと思う。いつか天国でまた会ったら、伝えてあげてね」
「……うん、わかた」

麦わら帽子の奥に「大っきくなってぇ」と、おじいちゃんが重なる。まっすぐに伝えてくれた。目が、似てるな。

「……ママ、だいじょうぶよ」
「うん。そうね、ありがとう」

気がついたらわたしも涙がこぼれてしまい、すみませんといえいえを何度か交換した。そうか。この土地で、はじめて見つけた関わりだったんだな。ほんの数分、二言三言に助けられて、今日がある。

「この野菜たち、もったいないので今度の日曜日にお配りするんです。よかったらもらいにきてくださいね。供養がわりなんで」

笑った顔も、おじいちゃんにそっくりだった。

日曜日。週末の雨も過ぎ去り、晴天。
畑にはわたしみたいな子連れも、高校生くらいの学生も、畑の近くの道路工事で見かけたお兄さんも、たくさんの人が集まっていた。ときどきお散歩で見かけるおばあちゃんも、おじいちゃんたちも畑には椅子を出し、青空の下おしゃべりをしている。

「あらあら、いらっしゃい。野菜こんなに育っちゃうと大味だけど、芋煮にしてあるからおあがり」
「ありがとうございます」

促されてビールケースの椅子に腰掛けた。宴席の隅、大鍋の横でこの間のお孫さんも笑っている。

「あ、どうも。地域の方と、せっかくならみんなでごはんにして振る舞っちゃおうとなりまして。よろしければ」
「ありがとうございます」
「おじちゃん、こんにちは!」
「はい、こんにちは」

子どものあいさつにいちいちしゃがんで答えるところ、似てるなぁ。「いただきます!」とはやる息子を抑えながら、おじいちゃんの思い出をたくさん聞く。

「俺、学校フケたときに暗くなるまで話聞いてもらったんス」
「ときどき野菜いただいたり、世間話してねぇ」
「通りかかると挨拶欠かさない人だったわよね」

名前も知らない、大切なおじいちゃん。
いただいた椀は大きくておおらかな味で、やっぱり少ししょっぱかった。


おわり。

待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!