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ぼくたちは残らない仕事をする。でも、ときどき残るものもある。

毎日毎日、残らない仕事をする。

一定期間、用意されたイスに座って仕事をする。そして、時が来たら去っていく。

そう、少し寂しいけれど、落ち着いて考えればどんな仕事だってそうだ。
会社や組織のなかでは、自然とそうなる。人に依存するリスクもあるし、クライアントワークであればなおさら。現実として、すべての仕事に一生涯責任を負うことはできない。
ある程度インスタントな割合があるほうが健全だし、やっていけるし、成り立つ。

常に人生をかけて勝負はできないのだ。ぜんぶに全力投球ではもたない。損耗してしまうから。持続できる余地が必要。

血を吐きながらマラソンはできないのだ。 

契約社員やアルバイト、いろんな働き方がある。その仕事以外に、人生の主軸が別にある人もいる。本業が別にあったり、やりたいことへの準備期間だったり、条件が合うだけだったり。なんとなくだったり。
いろんな位置の人が、偶然時間を持ち寄って、集まって、定められた仕事をする。その瞬間だけ。たまたま、ひとつの仕事をしている。

だから、いやむしろ、その時々適切な分量で向き合っているほうが信頼できるかもしれない。

情熱のリソースは人それぞれ限られているから。
目の前の仕事。それは人によっては使い捨ての仕事かもしれない。
本来の自分ではない時間かもしれない。

そんなインスタントな仕事を介してつながっている。だから、人はいなくなってもシステムが残る。
そういう働き方をする。

ぼくたちは残らない仕事をしていく。

その日も、そのはずだった。

それは、ぼくが休みの日に起こった。

「松井さんが倒れた。脳梗塞だったって」

コールセンターの仕事。お客様対応のあとフィードバック中に呂律が回らなくなり、あれよあれよという間に半身がだらりと力を失ったらしい。

そのまま、すぐに救急搬送されて一命を取り留めた。こういう言い方もあれだけど、誰かと一緒にいるときだったことが幸いしたそうだ。
脳梗塞の治療はスピードが命に直結する。

話だけ切り取ると、なんだかドラマみたいだ。
直接その場面にいなかっただけに、現実感がない。

昨日までいた松井さんの席が空いているのだけが、妙な違和感を残していた。

メンバーのメンタルフォローや事務処理、必要な手続きをできるかぎり迅速に進めていく。
こんなとき、できることは限られている。
結局は書類の上でしか力になれないのだ。

歯がゆい気持ちで日々が過ぎていく。

少ししてから、一度だけ病院に面会にいった。
かっぷくのよかった体はすっかり肉が削ぎ落ちて、見方によっては健康に思える。

ただ、車イスに乗る姿と上がらない片腕が現実を表していた。久しぶりに話すと、やっぱり何を話せばいいかわからない。

みんな心配してますよー。
仕事、変わったようで変わらないですよー。
また一緒に働きましょうね。

どんな言葉も、中身のないスカスカな入れ物みたいな気がして声にならない。
結局ありきたりな話、どうでもいい話、くだらない話ばかりした。

「暇で暇で、テレビばっかり見てますよ。」

リハビリへと押されていく松井さんは、力なく笑った。

それからコロナ禍となり、面会にもいけなくなった。ひとは良くも悪くも「いない」ことに慣れていく。書類やメール上で名前を書くたびに、あの力ない笑顔を思い出すだけになった。

ひとは、けっこう簡単に忘れられていく。

「働きたいんです。」

伏し目がちに、でもしっかりとぼくを見て松井さんは言った。

久しぶりに会った松井さんは、リハビリを経て、すごい回復をみせた。
車イスから杖に変わり、ゆっくりだが歩けるようになった。上がらなかった片腕は肩まで上がるようになり、字を書いたり細かい作業はできないけど、ボタンを押すとか簡単な動作はできるようになっている。

でも。

責任者は「決める」を求められる。大きなことも小さなことも、文字通り決めて責任を負う。「会社の言うことは~」とか「チームの方針には~」なんていうけれど、ぜんぶまぼろしだ。

会社はしゃべらない。チームはなにも決めない。

突き詰めていくと、最後には必ず誰かが決めている。決めること。それが責任者の仕事だ。

そしてぼくは責任者だった。

そう、ひとたび働き始めれば、やはり能力で判断しなくてはならない。
どんなに配慮をしても、最後のさいごには「できる/できない」のラインになるからだ。
冷たいけれど、できないままいることは本人にも大きな負担になる。

用意されたイスに座れないと、仕事はできない。

できるか。できないか。
医療の観点では問題なくても、仕事の視点ではダメかもしれない。
まだ時期じゃないかもしれない。
もう少し様子をみるべきなのかもしれない。
そもそも、この仕事はもう無理かもしれない。

たくさんの「かも」が頭をよぎる。

「働きたいんです。」

呂律の甘い舌で、でもはっきりと、松井さんはもう一度言葉にした。

できない。
無理だ。
違う方法を考えましょう。

最善はわからないが、もっといい道がある気がする。でも、それはここで働きたいという気持ちに答えているだろうか。

そう、やっぱり言い訳だ。
できない言い訳はたくさんある。

できる、かもしれない。
もしかしたら、そういう「かも」もあるかもしれないじゃないか。

「やってみましょうか。」

「年度末までやってみて、見通しが立たなければ、それまでです。」
「もちろんです。がんばります。」

袋小路にならないように、しっかりと線を引いた。お互い納得して、期間限定のがんばりがはじまる。
正直、気持ちの半分は無理だと思っていたから、他の仕事先や何かしらの方法を探す期間でもあった。

まずは受け入れるメンバーに説明し、協力をお願いする。もちろん仕事はリハビリではない。治療ではない。やれるのは仕事の領域で、配慮の範疇だけだ。
できることは限られている。
それでも、できるかぎりやってみようとなった。

それが、いちばんありがたかった。

復帰に向けて研修をする松井さんは、めちゃくちゃがんばっていた。でも、やっぱり雲行きはあやしかった。

人の脳はふしぎだ。

見た目にはわからなくても、ダメージはさまざまな影響があらわれる。

もともとできていたことができなくなったり、思いがけない反応をしたりするらしい。

例えば、声の大きさ。
相手が聞き取りやすい音量がわからない。
自分が感知する部分以外は、経験と予測から組み立てている。そのさじ加減がわからなくなる。
伝えようという意思が、どんどん声を大きくする。

例えば、心の声。
ひとはいろんな感情を持つ。いいことも嫌なことも浮かぶ。それを声に出すかを制御している部分が上手くいかないと、本人も意識していないうちに声に出てしまう。ネガティブな気持ちが言葉になってしまう。
前向きなエネルギーが、時に心をつぶす。
やればやるほど、できていた自分との比較に苦しんでしまうからだ。

「ああ…!なんで…。できないんだ!」

時折、漏れてくる大きな心の声に胸がつまる。研修する側だって言葉を失う。

「大丈夫っすよ!ゆっくりやっていきましょう。」
「そうですよ。ちょっとずつやりましょう。」
「……。」

根拠のない声掛けだ。わかってる。
やれることは、少ない。
でも、確実に時間が過ぎていく。

それから間もなく、育休期間に入った。

誰かが居なくなっても、誰でも回るようにする。残らない仕事のやり方。引継ぎも終え、できることを伝え、できないときの対処を残す。

たぶん、ぼくがいなくてもシステムは回るだろう。

「では、あとお願いします。」
「大丈夫です。任せてください!」

後任には頼りになる鈴木さんが控えている。しっかりとした後任者で、とても助かる。ありがたい。

心の隅に、松井さんのことだけ引っかかったまま。
ぼくは職場をあとにした。

そして三か月後。
育休期間を終えて、ぼくは仕事に復帰した。

後任者やメンバーのがんばりのおかげで、休暇中も問題なく仕事は回っていた。あんまり心配してなかったけれど、ありがたい限り。今年は目まぐるしくいろんなことが起きた。安定した仕事ができただけで100点以上である。

ただ、松井さんのことは憂鬱だった。
約束の年度末が近い。
復帰したら、どこかで「決める」必要がある。

ああ、いやだな。

それだけが心に影を落としたまま、ちょっとの緊張を背中に感じつつ、久しぶりに職場のドアを開けた。


ガチャ。



「松井さん、めちゃめちゃ電話とっとるやんけ!!!」


嘘やん!!!!

思わず住んだこともいたこともない架空の土地の方言で心が叫んだ。ってか口に出てたかもしれない。びっくりは制御できない。

そこには、しっかりと背筋をのばして「お待たせいたしました」する松井さんがいた。

「いやあ、正直けっこう大変でしたけど、みなさん協力してくれて何とかなりましたー。」

何とかなりましたー。
笑顔でしれっと鈴木さんがいう。

めっちゃとっとるやん。嘘やん。すごいやん。
心がやんやんフィーバーしている。

というか前より品質よくなってない?いや、これは色メガネかも。うれしい。すごい。


でも、やはり大変だったのは事実だったようで。

片手で使いやすいようにツールを改修したり。
仕事をしやすいように座席や導線を工夫したり。根気よく声掛けして、心が消えてしまわないようにしたり。

それぞれのメンバーが、それぞれの位置から、できることをやってみた結果だった。

ぶつかったときも、しんどいときも相当あったはず。引き継ぎや研修記録を読んで、やっぱりちょっと泣いてしまった。

担当外でも、同じ職場でいることを受け入れたり。
ただ、そこにいることを受け止めたり。
なにもしないという普通をつくったり。

そういうのは、すごく難しい。
でも、受け入れて、やれることをやる。
それだけで、ひとはがんばれるんだな。

やっぱり、すごい。

「落ち着いて考えてみたら、できるとできないを分けて、そこから出来るようにするにはどうすればいいか?ということで。いつもの研修や仕事とそんなに変わらなかったです。」
「でも、やっぱり本人のがんばりと、周りの協力のおかげですけどね。」

しれっと鈴木さんがいう。
しれっといってるけど、すごいことだ。

不慮の事態は、いつ誰におきるかわからない。
本来は事前に備えておくべきだ。それは仕組みだったり、テクノロジーだったり、変わっていく。でも、いつだって完璧な備えはない。
だから、起きたそのときに持っているカードでやりくりするしかない。

そのやりくりするのは、ありきたりな言い方だけど人と思いなのかもしれない。きっと、ここではこれから「受け入れてやってみる」がふつうになるだろう。システムには、それを使うひとのやさしさや思いが帯びるから。

「おかげさまで、なんとかやれてます。」

松井さんは、やっぱりしれっと笑った。すごい。

毎日毎日、いつかは残らない仕事をする。
用意されたイスに座って仕事をする。
そして、時が来たら去っていく。
ぼく自身、仕事も変わったし、今はそこにはいない。

でも。仕組みやシステムをほんのちょっと、思いが越えたとき。ときどき残るものもある。たぶん。

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