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Wow-WowWar-そこに意思はあるんか。

気持ちのいい秋晴れ、平日に休みをとった。

来年から小学生になる長男の就学時検診があり、午後から幼稚園を早退してはじめて小学校にいく。次男もプレスクール。子どものイベントが重なると、どうしてなかなか回らなくなる。フレックスなので在宅でもなんとかなったけれど、思いきって一日有休にした。気持ちが楽である。

朝のバタバタをやり過ごして長男を送り出し、一息つく。次男とパートナーは2階の子ども部屋で遊んでいる。ざっくり片付けを済ませてソファにもたれこんだ。ここのところデスクワーク続きで腰が重い。もともと体が硬いせいもある。寝そべってカエルみたいな姿勢になり足を伸ばしたり腰をねじったり、ダルダルとストレッチもどきをしながら、昨日読み返し始めた沢木耕太郎さんの「チェーンスモーキング」を手に取った。ここ最近で一番ゆったりした午前9時、天窓からすっかりやわらかくなったお日様が入ってくる。このまま召されそうな時間。

この短編の中のタクシードライバーの話が好きで、わたし自身はあの「なんとなく強制的に個人的な話をしなきゃいけない感」が苦手なのだけど、読むぶんにはとてもいい。空間がたのしいし目的も移動もあるのがいい。タクシー、あまり乗らないけれどいつかこんな小さなドラマに出会えるだろうか。今だったら乗車即寝そうだな。毎日眠い。なんてぼんやりと浮かぶ妄想、想像、魑魅魍魎を浮かばしては溶かしながらページをめくり、とにかく、それを読んでいたときです。ふいにそれは訪れたのである。

おならがしたい。

どうしよう。めちゃくちゃしたい。いつもいつまでも何度でも爆笑して号泣するクレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲で、おならを催したしんちゃんが言っていた。おしっこは尿意、じゃあおならは?……屁意?すかさず答えた風間くん、そんな頭の回転が欲しかった。屁意。たしかに。ほんとに5歳か?すとんと、妙に納得したのを覚えている。

あまり大きな声では言えないが、おわかりいただける方も多いのではないだろうか。一人暮らしならまだしも、家族と暮らしていればこんな機会はなかなかない。ふだんならば、すかして然るべき。しかし今は一人である。一人きりである。これは数ヶ月、いや数年来に一度のチャンス。めったにない秋晴れの僥倖、気持ちいい一日のはじまりの調べ。序章を飾るファンファーレの兆し。この欲求に逆らえるだろうか。これはおそらく無人島全力かめはめ波や、帰り道チャリ熱唱サザンおじさんらへんの欲求に近い。抑圧からの開放。自由への渇望。意外と解脱は身近にもあったのだ。へい、ヘイ、屁意。時には起こせよムーヴメント。わかってるよ浜ちゃん。たまにはいつもの自分を壊さなきゃね。OKオーケー。

よーし。いっちょやったるで。

「ブッフォン」
「ガラガラ」

史上最高のゴールキーパーばりにたくましく放つと同時に、開いたドアの前にパートナーが立っていた。

おならには2種類ある。
出てしまったおならと、出したおならだ。

出てしまったおならは申し訳ない。非常に申し訳がない。でも、本人も意図せずやってしまったのだから、しかたなさがある。「いや違くて」と(何が違うのかまったくわからないが)申し開き、責任の所在を外に置き、お互いになんとなく納得して着地できる。

しかし、出したおならはどうか。そこには、たしかに「出そうという意思」が介在する。するのだ。なんでだ。なぜこんなことを。だからこそひとはできるだけすかすのだ。すかしてきたのに。今回は違う。「出そうとした意思がある」故に、なぜだろう。謝るに謝れない。穴があったら時間を戻したい。もどれ。頼む。

30代も後半に片足突っ込んでなお、初体験はまだまだ残っている。「おならは出てしまったやつより出した方が恥ずかしい」……その実績開放、いらんけど。全然いらんけど。OKオーケー。浜ちゃん。そうだよね。今日も、なんとか自分で自分を守れ。

笑いを堪えるのに必死で震えるパートナーと目が合う。
しかたなく、ぼくもあいまいに笑った。

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待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!