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7組の飯村くん。

「悪いけど、プリント取りに来てくれるか?」

成り行きで引き受けた学級委員。いいですよと答えながら、ちょっとめんどくさいなとも思う。英語準備室は上の階の端っこでちょっと遠い。

「よす!こんちは!」
「あっ、7組の飯村くん。」

人のいい笑顔の飯村くんは、部活の友達が同じクラス。あんまり話したことはなけれど、お互い顔は知ってるくらいの距離だ。7組は教室の階も違うので、ふだんはあんまり会わない。

「バド部はどう?」
「きついし万年補欠だからなぁ!楽しいけど!」

プリントの束を抱えながら、じゃね!と階段で別れた。

「昼休み、飯村くんに会ったよ。」

音楽室でギターをチューニングしながら、7組の友達に特に目的もなく話しかけると、急に変な声を出した。

「えっ、嘘やん!飯村、今日家庭の事情とかで2時間目に早退していったよ」
「えっ」

試しに友達が飯村くんにラインしてみると、じいちゃんが倒れたらしく家族がびっくり、でもほんとは大したことなかったという話らしい。ほんとに学校いないの?

そんな大きい学校じゃないし、間違えないと思うんだけどなぁ。

「ねぇママ。ドッペルゲンガーって知ってる?」

最近おばけとか怖い話にハマってる妹が、晩ごはんのときにうれしそうに話している。よく駄菓子屋に行ったら変なもの買って〜とか、いつの間にか幽霊に憑かれて〜とか、飽きもせずアニメを観ながらこわいこわい言っている。

「あの、会ったら死んじゃうってやつ?」
「そう!それ!」

あっそういえば今日、と飯村くんの話をしたらめちゃくちゃ妹が怖がってしまい、めちゃくちゃ怒られた。

「お話はお話だからいいの!」
「あんた、気をつけなさいね。」

なんか理不尽。
不貞腐れたまま眠りについた。

「よす!おはよう!」

翌朝登校すると、クラスに飯村くんがいた。
おかしい。

「昨日は大変だったね。」
「昨日?えっ、何?」

おかしい。会話が合わない。チャイムが鳴っても飯村くんは後ろの席に座っている。おかしい。

「飯村くん、7組戻らなくていいの?」
「えっ、なんで?」

誰も違和感を持っていないけれど、飯村くんは元々このクラスだったらしい。おかしすぎる。

「入学から同じクラスだったじゃん!お前、疲れてんの?ちゃんと寝てる?」

当の飯村くんに心配される始末。
まったくもっておかしいけど、飯村くんがいること以外は何もおかしくない。おかしい。

こういうとき、叫びだしたり取り乱したりするもんだと思っていたけれど、意外と心は平穏だ。バランスを保とうとしているのかもしれない。後ろの席が気になるまま、放課後を迎える。授業の内容は何も覚えてないのに、長い一日。

「じゃ俺、部活行くわ!」
「バド部……だよね?」
「おう!エースの俺がいかないと始まらないからな!」

エース?

音楽室はいつも通りの光景。よかった。
ギターをチューニングしようとするけど、落ち着かなくてなかなか終わらない。

「そういえば今日も飯村、休んでたぞ。」

飯村くん、休み?
さっきまで後ろに座ってたけど?

「は?何言ってんの?飯村は7組だろ。」

ちょっと待って。おかしい。完全におかしい。頭が変になりそうだし、もうなってるかも。

窓からバド部が外練してるのが見えるし、飯村くんはランニングしてる。なんで?なにが?どうして?

「よす!今日もがんばろうぜ!」

振り向くと、飯村くんがベースを肩に下げながら入ってきた。

人のいい笑顔が近づいてくる。
こわいこわいこわい。おかしい。

「大丈夫か?どうした?」

思い切り椅子から落ちた僕に、飯村くんが声をかける。

「なんでここにいるの?」
「なんでって、軽音楽部だし……。俺部長だろ?」

部長?

いまも窓からはランニングしている飯村くんが見える。目の前には部長の飯村くんがいる。飯村くんは、今日も休んでいる。ずっと後ろの席にいた。

「ごめん、今日は帰るね。」

かばんを引っ掴んで走り出す。
上手く息ができない。こわい。

駅までの自転車を漕ぎながら、頭は全然宙に浮いている。何かが起きていて、ぜんぶがおかしい。どうしよう。どうすればいい?

「危ねえだろ!!!」

パァーンと盛大なクラクションを鳴らされて現実に戻った。赤信号を渡ろうとしていたらしい。宅急便のおじさんにすみませんと空謝りで逃げるように家に帰った。

とりあえず朝はきたらしい。
布団に入って目をつぶると、飯村くんの人のいい笑顔が浮かんできて一睡もできなかった。こわい。

「バイト、遅れちゃうわよ!」

促されるままパンをかじってバイト先のコンビニに向かう。明らかにおかしい。けれど、特にやれることもないと、なんとなくいつも通りの日常を送ってしまうらしい。しかたない。

制服に着替えて、タイムカードを押そうとしたとき、

「よす!今日もギリギリだな!」

「うわぁぁああああああー!!!!!」

僕の理性はようやくここで飛んでくれた。無理無理無理無理こわいこわいこわいこわい。

自分の叫び声が耳からまた入って、鼻から頭に抜ける。一気に周りの音が死ぬ。商品棚にぶつかりながら、倒れるように走る。栄養ドリンクのビンが割れる音がした。

「なんだ!?どうした!?おーい!!!」

後ろから掛けられる声から逃げるように自転車に乗る。こわい。とにかく何かがおかしい。逃げたい。

「危ねえだろ!!!」

昨日と同じ交差点で怒鳴られる。声の主を見るトラックに乗る飯村くん。おかしい。こわい。

振り返った人ぜんぶが飯村くんかもしれない。こわい。あの、人のいい笑顔がそこらじゅうにいるかもしれない。なるべく人の顔を見ないように。マンションの階段を駆け上がる。エレベーターは無理だ。こわい。

息切れしながら、鍵を開けて飛び込んだ。

バタン。


「よす!おかえり!」

玄関から、リビングのテーブルから飯村くんが笑っている。ああ、やっと帰れたと思ったのに。

「なんでいるの!!!」
「なんでって、飯村くんはお隣さんでしょ?今日うちでごはん食べていくことになったから。あんた、バイトは……」

最後まで聞くことなく、ぐにゃりと視界が歪んで床が目の前に近づいてくる。

ああ、人って気を失うんだな。

やっと僕は気絶した。

「気がついたかい?」

目が覚める。見慣れない白にヒビが走ったような天井だった。予想に反せず、声の主はやっぱり飯村くんだった。今度は医者の姿をしている。おかしい。

「僕は、どうなったの。」

君は可能性のるつぼに落ちたんだ。僕という存在と出会う可能性、そのありとあらゆる選択肢がより合わさった糸の集まりみたいなもの。いま、君はちょうどそこにいる。だから、行く先々で僕に出会う。出会ってしまう。このままだと君は薄くのびたバターみたいに存在が引き伸ばされてしまう。だから「治せる僕」が来た。君をどこかの世界に固定するよ。どこがいい?

7組の飯村くん。
バド部の飯村くん。
部長の飯村くん。
バイト先の飯村くん。
お隣さんの飯村くん。

すべての飯村くんが、人のいい笑顔で笑いかける。どの飯村くんも、何もしていない。悪くない。

「ごめん。」
「いいよ、気にしないで。大丈夫だから。」

そんなに親しいわけじゃない。だけど、正直もう怖い。寂しそうに笑う人のいい笑顔に胸が苦しくなる。でもごめん、無理だ。無理よりの無理無理の無理。

「じゃね!」

そうして僕は、飯村くんのいない世界に固定された。

「悪いけど、プリント取りに来てくれるか?」

成り行きで引き受けた学級委員。いいですよと答えながら、ちょっとめんどくさいなとも思う。英語準備室は上の階の端っこでちょっと遠い。

「よす!こんちは!」
「あっ、7組の飯島くん。」

おわり。





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待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!