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傘みたいな母に傘を贈った話。

母に傘を贈った。

小学校の先生の母は、今年で先生を終える。


小さな島で先生をしていた母とは忘れられないエピソードがいっぱいある。そして、小さい頃の思い出は母を傷つけた後悔が多い。
中でも一番は、何かの折に口にした一言のこと。

「生みの親はお母さんで、育ての親はばあちゃん。」

これは刺さった。深々と、ブッスリ。

わたしが小さい頃、母は仕事が忙しくて、父方のばあちゃんが主に面倒を見てくれた。

ぼくとしては母親が二人いてラッキーくらいの気持ちだったけれど、言われた方はめちゃくちゃ刺さったみたいで(あたり前だ)今でも家族の集まりでネタ的に「小さい頃、なかなか見てあげられなかったからねぇ……」と言われる。

そう、言葉は刃だ。
言葉はそのまま、自分にも刺さる。

なんなら、言った自分のほうが引きずっている。

刺さってる。
刺さってるなぁ。

傷つけても許してくれると思える、無条件の愛情が感じられたのはほんとに感謝しかない。


「一生懸命やってれば、どこかで誰かが見ているもんよ。」

とりあえず何事も一生懸命やってみっか!って思えるようになったのは、確実に母のおかげである。

突拍子もなくあれやりたいこれやりたいと言うぼくに、いろんな思いはあったろうに開口一番に「まあ、やってみたら?」と言ってくれた。

なんにも成果にならなくても「がんばってるね無理しないでね」と声を掛けてくれた。

ふつうの言葉で応援してくれる、あたり前にそれができるすごさ。

遠回りかもしれないけれど、無駄にはならないって思えるのはしあわせだし、今でもこの言葉に助けられる。


エイリアンの語源はラテン語で「別の場所の」という意味の言葉らしい。リドリー・スコットの映画が公開されるまではエイリアンは異邦者の意味で使われていた。

そう、父と母はエイリアンだった。

東京から移住して、地方の小さな島の中で小さなコミュニティに入っていくのは大変だったと思う。

そんなことも知らずに○○先生のとこの子と言われるの嫌だったけれど、大人になって気がついた。

エイリアンだった両親がその一言をつくるために、どれだけのものを積み上げてきたか。
関係を示す呼び方は、父と母が築いたやさしい盾で、社会との架け橋だった。

おかげでわたしはエイリアンではなかった。(変な子だったとは思う)


両親の仕事は知っていても、働いているところをみた思い出はほとんどない。

覚えているのは、
慣れないワープロで学級通信を書いてる後ろ姿とか(コンセント引っ掛けて抜いちゃったけど笑ってた)、
スーパーで声をかけられて挨拶する姿とか、
疲れて晩ごはんのあとリビングでうたた寝しちゃうとか、
年度末にもらってくる見知らぬあだ名で書かれてる寄せ書きのなかにいる母の姿だ。

直接仕事をしているところは見られなかったけれど、誰かを励ましたり、一緒に失敗したり、応援したり、そんな姿が思い浮かぶ。

きっと、それだけじゃない。

大変なことも、嫌なことも、嫌われたときも、わかり合えなかったときもあるはず。

でも、そんなことを全然感じさせずに、家では笑っていた。そんな姿が一番に浮かぶ。


すごい。
強い。
強いなぁ。

そうありたいと思うけど、まだまだ遠い。


なんで傘にしたかというと、
漢字をボーっと見てたら、雨を防いで、縁の下を支えて、たくさん人が中にいて。

守って、支えて、すごいなと思ったから。
傘って、母みたいだなと思ったから。


「返さなくていいよ。もし縁があったら、誰かに渡してあげてね」

返しきれないものを受け取ったから、返しきれない分は貯金しておこう。


そして、息子くんが大きくなったとき、たぶん喧嘩したり、傷つくことを言われたり、わかってあげられなかったりすると思うから、そのときに、ぐっと飲み込める強さをためておこう。

誰かの傘になれるように。

これからも元気でいてね。

そして、そろそろ夜リビングで寝ちゃう癖を直してね。まじで。

待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!