見出し画像

20230427(「天璋院篤姫(上)」を読んで)※ネタバレ注意

かねてから読みたいと思っていた本である。しかしそのボリュームに畏れをなしてなかなか手が出せずにいた。
2月に高知県立文学館の「時代小説と歴史小説」展を見に行った。その時に読みたい本を数冊チェックしていたのだが、やはりそこにもこの「天璋院篤姫」が含まれていた。
徳川家定の3人目の正室・天璋院については大河ドラマの題材となったこともあり、日本史上でも割と有名な女性であると思う。薩摩藩大名家の養女で、倒幕軍の中心人物である西郷隆盛が輿入れに関与した縁浅からぬ関係であったため、江戸城無血開城の一因となった人と言われている。
島津の分家に生まれた天璋院が、徳川の人として生き抜いたその様を描いた物語である。

心身ともに健康で勤勉。屈折することなく真っ直ぐな心で育ち、周囲の人々を敬愛する。
その人となりを高く買われ、分家の娘であった敬子(すみこ)は藩主斉彬の養女となり、そして時の将軍の正室として輿入れする事になる。

島津斉彬は13代家定の継嗣として一橋慶喜を擁立すべく、篤姫を輿入れさせたと言われている。正室という立場を利用して将軍の政治的意思決定をコントロールしようとする、現代人からしたら公私混同甚だしいやり方で賛同出来かねるが、当時はそれが当たり前だったのだろう。
斉彬は篤姫の勤勉さ、聡明さに注目し、彼女であれば己の政治思想に賛同し、目論見通りの働きをしてくれるだろうと考えたようだ。
しかしそこには大きな誤算があった。篤姫は確かに聡い人ではあったが、あまりにも心が清らか過ぎた。
とても素直で、江戸城に入った後も周囲の人々の声に深く耳を傾けたものだから、結果として彼女は養父の意に反する選択をする事になる。
そして病弱でメンタルも不安定な夫を労り不憫に思うあまり、家定の意思を操ろうなどという気にはなれなかった。
接触の少ない夫婦関係ではあったものの、篤姫のその清く真っ直ぐな想いは確かに家定に伝わり、そして奇しくも養父と同様に篤姫の聡明さに注目した家定は、自らの意思で紀州慶福を継嗣に選び、篤姫はそれを心穏やかに受け入れる。

篤姫は素直で優しい性格である為に板挟みとなり誰よりも苦しむ事になるが、それ故に敵対者からの信頼すら勝ち得ていく。
激しい変化を乗り切る為に権謀術数を巡らせ、謀略や裏切りが当たり前であっただろう時代に、まさに国家の中心であった江戸城で、
そのような卑劣さと一切無縁の心持ちで、篤姫は御台所として生きていた。最早その事自体がとんでもない離れ業だと思う。
生まれ持って精神力が相当強かったのではないだろうか。でないと策や陰謀が渦巻く中で人心を勝ち取る程真っ直ぐに生きられる筈がないのだ。生半可な真っ直ぐさなら途中でメンタルがバキバキに折られる、間違いなく。
そういう意味でこの物語の篤姫は、人間性のポテンシャルが半端なかったと言えるだろう。伝え聞く西郷隆盛の人となりに通じるものがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?