ふるさとよりも帰りたいところで、ゆったり
突然ですが 屋久島に来ています。
といっても私にとっては4度目で、そんなに特別なことではないのです。
きっかけは民宿の住み込みスタッフ
去年の夏、つまり大学2年生のときの夏の1か月間、屋久島のとある民宿にお世話になりました。
もともと自然が好きだったので、屋久島には興味があって。
それで、旅行で行こうかな、と思っていろいろと調べるうちに、民宿の住み込みスタッフの募集を目にしたんです。
それにピン! と来て、すぐに応募して。 ちょうど9月1日から1か月。
何にも知らずに構えずに勢いだけで屋久島に来た19歳が、屋久島の自然と人に、ほんっとうに惚れ込んでしまったんです。
(気根がいっぱい、アコウの木。 に囲まれる私。)
1か月の間は、民宿の掃除をしたり、ごはんの準備を手伝ったり、仕事がとくにないときは、寝たり、海を見に行ったり、山登りに出かけたり。
髪をばっさり切ったりもしました。
会う人みんな優しくて、東京とは全然ちがう時間の中で過ごしていて、とにもかくにも穏やかだった、全部。
それが本当に心地よくて、とくに何もしていなくても幸せを感じることができて、そんな自分に気づいて、さらに幸せな気持ちになったのです。
朝起きて、コーヒーをのんで、朝ごはんをみんなで食べて、テーブルを綺麗にふいて、そこでPCを開いたり、本を読んだり、またコーヒーをのんだり、たたみに寝っ転がったり。
(ISSOU COFFEEさん。 一湊という集落があるのです。)
晴れていたら洗濯物を干して、雨が降っていたらそれをただ窓の内から眺めて。
夜は虫の声を聴きながら星空を見上げる、見上げるのはだんだん疲れてくるから、そのうち地面に寝っ転がる。
ネットがときどきつながらない、洗濯物がなかなか乾かない、電車はない、コンビニもない、アマゾンも届くのおそい、でもそんなこと、本当に「そんなこと」だった。 関係なかった。
私が生きるのに必要としていることって、そんなことじゃなかったんだあ、って、しみじみ思った。
あぁ書いてたらなんか、じんわり、涙出そう。
それで、4度目
そうそれで、4度も来ることになったんだなあ。
(去年の夏、山歩きしたときの一枚。)
今回も去年と同じ、夏休みの9月。 2回目と3回目はほんの少しの滞在で、でも私にとっては必要な「里帰り」だった。
「東京から行く」のではなくて、「屋久島に帰る」の感覚なんです。
島のひとも「おかえり~」って言ってくれる。 うれしい。
たまに「ようこそ~」って言ってくれる人もいる。 その人たちにも「おかえり~」って言われるようになりたいなあって思う。
今日は、朝にちょっと民宿の掃除を手伝って、そのままジェラートを食べに行って、あとはゲストと話したり、カードゲームしたり、寝たり。
(屋久島のジェラート屋、そらうみさん!)
フランス人だけど日本語めっちゃ上手いゲストに、フランス語を聞きまくったりもした。 楽しかった。
東京の住居が近所だったので、もしかしたらまた会えるかもしれない!
そんな出会いも楽しくて、うれしい。
第二の故郷
私のリアルふるさとは千葉の外房なのですが、
屋久島のほうが、断然、好きで、過ごしやすい。
東京暮らしに疲れて、ふと口をついて出るのが「あー、屋久島かえりたーい」だったりするくらいには、帰りたいところ。
(山から海が綺麗に見える。 海に囲まれた島ならでは。)
帰って見たい景色があって、会いたい人がいて、食べたいごはんがある。
(とある民宿の朝ごはん。 卵焼きは焼きたて!)
そしていつも、新しい「また会いたい」に出会える、これがすごい、本当に。
優しさをくれる人、元気をくれる人、美味しいごはんを作ってくれる人、一緒に山登りしてくれる人、外国の言葉を教えてくれる人、肩をもんでくれる人、早く寝なさいって言ってくれる人、また明日ね、おやすみって言ってくれる人。
ゲストもスタッフもおかみさんも、みんなみんな穏やかで、いつも色んなものをくれる。 たくさんくれる。
それが本当に好きで、ありがたくて、必要なのです。
だから、いつだって帰りたい。 だから、帰ってきたのです。
ゆったり、ゆったり、過ごします。