ライフチャート/過去を生かす
通院先で半年間、双極性障害の心理教育を受けた。
中でも症状に焦点を当てて自分の人生を振り返る「ライフチャート」の作成は、二度と同じ失敗を繰り返したくないと思わせてくれた。
最初におかしいと思ったのは二十歳の時。
就職して社会に出て「働くって何だろう?生きるって何だろう?」と考え過ぎてしまい五月病になった。
結局、3ヶ月持たずに退職。引きこもり生活が始まった。
その頃は自分の中に心療内科に行くという発想がなかった。唯一の選択肢が「カウンセリングを受ける」だった。
一定の効果はあったと思う。ただ、今思えば躁転して調子が良くなっただけだった。
問題は母との関係が根底にあると思い、一人暮らしを始めた。食べていくためにアルバイトを掛け持ちした。
躁になると恋しがちだ。婚約者がいると知らず年上の上司に遊ばれた。
悪縁を断ち切るために一年ほどして転職した。8割女性の職場で居心地が悪かったけれど7年勤められた。
その間、何度か過食の波に襲われた。よく考えると躁鬱の波にリンクしていた気もする。孤独からうつになると過食し、躁になり恋人が出来ると食べなくなった。
結婚して子どもが出来ると気持ちに余裕がなくなった。ホルモンや精神のバランスが崩れた。
それでもやはり病院へ行こうという発想はなかった。うつを疑われた身内も、頑なに心療内科に行くことを嫌がった。当時は私自身、精神病に対する偏見を持っていたのだと思う。
突発的に行動を起こすことがあった。離婚もその一つ。我慢が限界を越え、すべてを捨てて逃げた。死ぬ覚悟をしていた。
双極の何が辛いかというと、取り返しのつかない失敗をしてしまうことだと思う。罪悪感に押し潰されそうになりながら、うつのどん底にいてもせめて子どもを自死遺族にはさせまいと誓った。
躁もうつも症状の自覚がないと間違った判断をしがちだ。特に私は人を見る目がない。藁をもすがる気持ちだから、わかっていても悪いところを見ようとしない。
この10年、自暴自棄でバカばかりした。転換期は双極性障害と診断されたことで訪れた。
初めて心療内科に行ったのが8年前。その時は気分変調症と言われ、抗うつ薬を処方された。
薬を飲むことに抵抗があった。髪は痛み、動悸に悩まされ、導入剤を飲んでも眠れなかった。
一年ほどで恐らくまた躁転し、通院をやめた。薬がやめられてほっとした。
けれど、気づいていないだけで何度も軽躁になっていた。うつはわかりやすいけれど、軽躁の症状は元気なだけだと思いがちだ。
よく喋る、イライラやケンカが増える、自信過剰、衝動買いをする、眠れなくなるなど。
その発見が、心理教育で一番役に立ったように思う。
双極と気づかぬまま時が過ぎ、3年前に人生一のうつに落ちた。よく生きてたと思う。
逆を言えばあの難局を乗り越えたのだから怖いものはない。私が−5のうつになるのは大きな喪失などが伴うから、人生でそう何度もないはずだ。もし、またそんな大波が来ても乗り越えてみせる。
二度目の心療内科は先生がパッとしなかった。はっきりと診断を下さないし、太るから嫌だと何度も訴えたのににっくきジプレキサを処方し続けた。
鉛のように重い体を引きずって半年通院したけど全く好転しなかった。一人暮らしが負担になって引っ越すことになった。
「この判断は間違ってる。でも生きてくためにはどうしようもない」そういう気持ちだった。
ありがたかったのは、引っ越しを機に転院したことだ。先生と相性がよかった。ずっと疑っていた双極と診断され、心理教育を受けることが出来た。2年ものカウンセリングで心の土台を作り直せた。
失敗や過ちを払拭するように前を向き、実直に生きる。振り返るのは過去を正しく整理するためだ。
The long and winding road
That leads to your door
長く曲がりくねった道は
あなたへのドアへ続いている
もがいた10年も無駄じゃなかった。輝く今を抱きしめよう。
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