双極性障害を受け入れるまで
自分が双極性障害だと受け入れるまでに時間が掛かりました。その葛藤を綴ります。
◆身近な人の死
病院ではっきり診断される前から、本やネットで症状を調べるうちにもしかして自分は双極性障害なんじゃないかと疑っていました。
しかしそれを認めたくなかった理由があります。私は身近な人を自死で失くしており、その時の状況を振り返ると双極性障害だったのではと思っているからです。
本人が病院へ行くことを頑なに拒んだためどうすることも出来ませんでした。ある日突然姿を消し、帰らぬ人となってしまったのです。
大切な人が自ら命を絶ってしまったことは本当にショックでした。自分もいつか生きることに絶望するのではないかと不安になり、とても障害を受け入れることが出来ませんでした。
あの時、自分に病識があったなら自死を防ぐために何か行動出来たのじゃないかと悔やまれます。
◆喪失の五段階
けれど人それぞれ生い立ちも、抱えてきたものも、置かれた状況も違うものです。同じ病だからといってその人と自分を重ね合わせることはないのだと思うようになりました。
何よりまずは自分自身が障害を受け入れなければ寛解への道は拓けません。
どこかで聞いたことがあるかも知れませんが、キューブラーロスの『死ぬ瞬間』に喪失の五段階というのがあります。
(否認)えっ双極性障害?何かの間違いでしょ
(怒り)なんで私がこんな厄介な病に!
(取引)なんでもするから治して!
(抑うつ)うまくいかない、もう無理だ...
(受容)受け入れなきゃ前に進めないよね
ここで言う喪失とは「健康な自分」を失うことだと考えてみてください。時間は掛かりましたが、七転八倒しながらこれらのプロセスを経て「障害を持った自分」を少しずつ受け入れられるようになりました。
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今でも「こんな障害もういやだ!」と全てを投げ出したくなる時があります。それでも「障害も自分のアイデンティティ」と思えるようになりたくて、症状をコントロールすべく試行錯誤を繰り返しています。
とても高いハードルではありますが、寛解への第一歩は自分自身が障害を認めることではないかなと思うのです。
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