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言の葉は、葉っぱ

言の葉は、葉っぱ 
毎日聞き流してるYouTubeでの山崎大昇さんの
「言の葉」の話に感動した。
言葉は葉っぱ。
だから、枝も幹も根ある。
光という情報で光合成する。
葉っぱだけでは枯れ葉なので伝わらない。
身体があって、感情を伝える。

私自身、妄想、現実、混合の詩を書いておりますが、自身の身体、時には別の人なのだが、その触れた感覚、感情、台詞を、悩みながら、感じながら、どんな言葉が出るだろうと自身でも体験してみながら、書き出している。
(台詞が、詩なのか、謎の領域にきてますが、それは置いとていて。)
でも、それは本当に感じものだと。
言の葉、葉っぱだけでは、存在しない。言葉遊びをして技(わざ)のみやり込めてしまう時もありますが、感情は込めてるかなぁ。
嘘だってつく。それは自身を守るためだったりもする。
それまでも、感じとったり、なんとなく触れてみたり、覗いてみて、読んでいただいてるのだろう思う。  

とはいえ、何度書いておりますが、詩は好きで書いてるのではない。しかも、蔑まされ。苦しい。絶対、趣味ではない。何のために書いてるのかなぁ。

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?