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私の詩は持ち合わせていた道具

私にとって
詩は持ち合わせていた道具だ。

気づいたら詩をかいていた。
メモにかいて机に散らばっていたものもが、
「これは詩では?」と思った。
そして日記帳に貼るようになった。

努力はないとは言わない
少々はあるが、
身構える事はない。

持ち合わせていた道具で、
これをどう使うかだ。
どう役に立たせるか。
詩は夢ではない。

金子みすゞさんのように、
死後見出され広がればいいなどと思う。

詩集も出したいと思わない。
自費出版の時代からもそうだが、
今はもっと簡単に売れた分だけ作って売るようなのもあるらしい。

この無名が作っても・・・。

話はそれるが、
世間は、日本人は、
世間が評価されてる事に評価するのか。
自分の目で見て読んで、
個人の感想、評価をしないのかと思う。
このnoteの人は、違うと思う。
個人の評価し合っていると思う。

詩集を出すとしたら、
商業として成立するならば出版します。
急にロマンチックでなくなりますが、
だって持ち合わせの道具なのですから。

つんくさんの、モー娘。へのアドバイスで、
「大勢に向かって歌うのではなく、
一人の人を思って歌えば
大勢の人に響く」。
つんくさんの歌唱に納得させられた。

私もひとりの人に向かってかいている。
伝えたいという気持ちで
いっぱいなのです。

作家さん、アーティストさんとか、スポーツ選手さん、
の生い立ちとかのバックグラウンドが、大事なる。
キャンバスみたいな。
詩人もそうだ。

今の私のそのキャンバスは
余りにも大きい。
それだけで、この後の人生、生きていける。

今の私は
このキャンバスの上に
詩をかいているのだ。
かけているのだ。

このキャンバスなしに、
私の詩はない。

届かずとも
きっと届くまで
詩をかき続けれる

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?