「飛行機の音のする日常」
「飛行機の音のする日常」
私にとっては、飛行機の音は平和な日常の音でした。見上げれば低く旅客機が通り過ぎた。
外で遊べば、休み時間に遊べば、飛行機の音。
見上げる事もなく高らかに笑い夢中で遊んでいた。
今は、飛行機、ヘリコプターなど音があると、非常事態を感じ、窓から外を眺めてまで確認して何で何が飛んでらのかと確認する。怖い。
今は、岐阜に住んでます。
小学6年まで兵庫県伊丹市に住んでました。当時は、大阪空港を通称伊丹空港と呼んでいましたが、今は正式名称なのかな。大阪空港のほとんどは伊丹市でした。
人に説明する際にいうのは、「空港に住んでる人がいたとすればうちの小学校に通っていた」
飛行機の音がしなかった時、非常を感じ家を飛び出した。
3軒くらい隣の同級生の男子と家を飛び出した。
それは台風の目の中。
一回しか経験した事のなかった警報による休校で、家にいたが、静けさに、外に飛び出し、雲一つなく、誰もいなくて、通学路で小中学生でいっぱいの道に誰もいなくて、ただ走り回った。
すると、隣の隣のとーこのマンションのブロック塀が波打って倒れた。
家に飛び込んだ。
次の朝、倒れた塀に、規制線が張られ、見守りがついた。
学校にはバスで通う子たちがいた。10分おきにはバスがくるので、楽チンだなぁ。
うちの娘達片道1時間歩き。バス通学をとなんちゃらかんちゃら、しようと全くどうしょうもなく駄目だった。
歩きで一番時間かかる子で、30分。私をコーラス部分に誘った友達。どちらかと、嫌われてる子。全く気乗りせずコーラス部に入る。しかも転校前に、好きな男子に告白させる。それも、うまく聞き出した上に。*エッセイポエム「確かに恋だった」〜小学生の時〜参照*
彼女の家は、会社兼の3階建て。私に初めてのマンガ「陽当たり良好」「パタリオ」を、私に与える。というか生涯最初で最後の漫画になるなかな。
別宅みたいなのが、あった。
空港のフェンスを武庫川の支流で挟んで草っ原に平家があった。ほぼおもちゃだったようにしか思えない。
それより草っ原を駆け巡った。カマキリ、バッター。
川にはウリウリのおたまじゃくし。頭の部分が直径2cmくらいで、しっぽが3cmくらい。6.7匹持って帰ったかな。
空港のフェンスにも、しがみついてはみた。飛行機は、はるか向こうで、面白くなく数分も見てなかったと思う。
おたまじゃくしは、手くらい大きさの蛙になった。一匹かニ匹は、冬眠しても戻ってくるようになった。
我が家には一応一畳ほどの人工池があった。
先住民は、もちろん、金魚、鯉。で、亀もいた。冬眠させては、春には戻ってた。玄関で、グッピーはどんどん増えるし、ガレージでは、野良猫が猫を生んだ。これが、我が家の猫物語の始まりとなる。母は育てるのうまかったんだろうね。
小6の12月下旬に、引っ越すので、1匹の亀は、虫かご入れて冬眠させて、一緒引っ越した。もう一匹くらいは、小学校の池のフェンスの上から、高く上げて落とした。直径15cmくらいだったような。引っ越した、岐阜の春、虫かごの亀は寝っぱなしだったそうだ。
これが、私の原風景?原風景は、やはり小学校と阪急伊丹駅かな。この駅名を言うだけで泣けてくる。
私は生き物を飼うは苦手で、子ども達に、何も生き物飼ってあげなかったなぁ。っていうか、他の家庭がする事を何もしてあげていない。いい子たちに育ってくれて感謝。
豚肉が腐りかけで、食べるの嫌だなぁ。でももったいないと思い。図鑑を取り出して凧糸巻いて、ザリガニ取りに行った。線路の溝。もちろんキャッチ&リリース。臭くなる事を知ってたし、死ぬ事知ってた。でも、それを体験させるべきだったのかな。「くさりかけの豚肉もったいから、ザリガニ釣り」という考えは、子ども達にどのような影響を与えているのだろうか。
マガジン
エッセイポエム「確かに恋だった。」〜小学生の時 13話構成くらいだっだたかな。
https://note.com/now_you_tow/m/m049d2222b735
ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?