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一周忌を迎える頃の、私の心境を振り返る

このnoteに辿り着くまでに、実は別のブログを書いていました。主に、夫との死別にまつわることを書いたブログでしたが、日が経つにつれて思うように書けなくなっていきました。結局、私自身が夫の死による喪失感を埋めるため、悲しみから逃れるために書いていたことだったので、ただただ繰り返し、悲しみや辛さを書き綴り、そのうち書く内容が重複し、書くことが無くなっていったからです。

今振り返ると、それはとても大切な作業だったと思います。

死別のことって、リアルな世界では、赤裸々に話しにくいのです。聞いていて気持ちの良い話ではないし、最初の頃は話しながら絶対に泣いちゃうから、聞いてくれている相手に気を遣わせることになるので。

でも、どこかに吐き出さないと、精神を保てませんでした。だから、あのブログは、あの時期の私にとって、必要な場所でした。

そのブログは消してはいないけど、今は私以外、見られないように閉じてあります。今日はそこに綴った、最初の命日である一周忌を迎える時の私の気持ちを転載します。夫との、決して幸せなことだけではなかった結婚生活を振り返りつつ、それでも長く生活を共にした「戦友」がいなくなった気持ちを正直に綴ったつもりです。

こんな気持ちから、今はようやく、毎日泣かずに過ごせるようにまで辿り着きました。夫が死んで2年10ヶ月、もうすぐ3年を迎えますが、それでもまだまだそんなもんです。

書いたのは、2018年11月29日です。

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毎日、日記のようにブログが書けるといいのかなと思いながら、今は時間があるからそう思うだけで、忙しくなったらきっとそうもいかないのでしょう。

元々、三日坊主タイプで、様々なことが続かない人生を送ってきました。現時点で一番続いたのが「結婚」だったのではないかと思います。結果的に強制終了となってしまいましたけど。他に強制終了となった例としては、「仕事」もそうでした。かつては音響効果の仕事をしていましたが、子供が産まれたら、深夜に出かけたり徹夜したりできなくなったので、辞めざるを得なくなりました。今ほど、女性が子育てしながら働くことに寛容じゃなかった時代の話です。

強制終了となった結婚。これから私が何年生きられるかわかりませんが、もうしないと思います。巷に溢れる離婚報道。自分の結婚生活を振り返っても、再度結婚をして、新しいパートナーと新しい暮らしを構築していく・・・なんて気力は残っていません。

私が夫との死別を悲しんでいる姿を見て、「そんなに好きだったの?」とか「〇〇さん(夫の名前)は愛されていたんだね。幸せだったなあ。」とか言われます。かける言葉に困った時の定型文ってところかもしれませんが、返答に困ります。夫との結婚生活は23年に及びましたが、その間ずっと穏やかで、相手のことを思いやる暮らしだったかと聞かれたら、「NO」です。死別の悲しみは、愛の深さとか好きだったからとかそういう感情的なこともありますが、一緒の時間をどれほど共有してきたかってことも結構大きいのではないかと、思っています。

亡くなる6〜7年ほど前から、穏やかで優しくなった夫でしたが、昔は血気盛んで気の短い人でした。お酒を飲むと人格が変貌する、いわゆる酒乱傾向にあったことは、特に私を悩ませました。子供がようやく寝た深夜に帰宅し、そこでひと暴れ・・・なんてことが、日常茶飯事にあったのです。

それでも一緒に暮らし続けた理由は、子供を私一人で育てることがほぼ不可能だったからです。こうなると、「そもそもどうして彼と結婚したの?」って疑問を持たれるでしょうが、人生なんて疑問だらけじゃないですか?私なんて、なんであんなことしちゃったんだろう、みたいなことだらけです。(軽いことも含めて)

夫に対して好き勝手なことを言っている私ですが、夫とは23歳で結婚しました。23歳の私、ガキだったなあと思います。夫は12歳年上だったので、よく私と結婚したなと。私だったら、12歳も年下の小娘、面倒見きれないと投げ出しかねません。夫は夫で我慢の多い結婚生活だったのかもしれません。

それでもなんとなく一緒に生活していくと、「家族」になっていきます。恋人としての感情は早々に消え失せましたが(苦笑)家族としての愛や情が積み重なっていきます。今現在、性格の不一致という理由で離婚をお考えの方、もう少し踏ん張ってみることをオススメします。それを超えた後に訪れる、お互いを慈しむ気持ちは、老後を共にする関係において最高のご褒美です。一朝一夕では得られない、かけがえのない関係だと思います。もちろん、もう耐えられない!ってことなら、離婚した方がスッキリしますから止めませんけど。

夫は50歳を超えたあたりから次第と、心穏やかな人格に変わっていきました。その頃に一緒に落語関係の仕事をやることになって、夫との関係に仕事のパートナー的要素も加わりました。もう家族の域を超え、「戦友」と言える関係になっていったのです。

そんな戦友の死。喪失感が凄すぎます。存在が大き過ぎました。若い頃に気がつかなかった彼の素晴らしさ、ここ数年一番近くで見てきた立場として、勿体無くて、悔しいです。もっとやれることがあったし、使命があったと思っています。それが、私を悲しみの世界に引き戻していくのです。

結果的に、いい奴でした。真面目でね。頭もすっごく良くってね。いろんなことを知っていた。私と違って三日坊主なんてこともなかったしね。

もっと一緒に楽しいことやワクワクすることを仕掛けていきたかったなあ。きっと、そんな暮らしができたはず。それができる人でした。残念。とにかく、残念。


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