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ミッドサマーを観て宗教を考える

鬼才アリアスター監督「ミッドサマー」をAmazonプライムにて1000円レンタル。
多少高いが、観たかったので仕方なくポチる事に。

内容は白夜の北欧での大自然ナチュラルパーリー
かと思いきや、、
死にまくる宗教祭だった。というもの。

まず、感じたのが
よくある話ではある。

この手の大学生が村にやってきて
思いもよらぬ目に合う、という構成は
数多あり、そこでのオリジナル要素合戦が勝負になってくると思われる。

まず、思い出したのは「グリーンインフェルノ」
名高い人食い映画である。
あれは、人を食う種族に迷い込んだ
パーリー学生たちが食われていく様を
料理番組のようなカメラワークで楽しませてくれた
オリジナル要素が秀逸だった。

そして、ミッドサマーのオリジナル要素とは?
これは宗教の描き方だ。
宗教的な儀式において謎めき、不穏さを醸し出す。
同一思想の怖さを描く。

しかし、やはり宗教を題材にしたエンタメは
どこか、妄想的に思えてしまう。
宗教とは、基本的に人間が作り出したものと言うことを忘れてはならない。
人間が、より人間らしく生きられるよう
目的であったり、方針であったり、道徳をその身の内に溶かし込むのが本来の宗教だと考えている。

宗教は本来、人を殺さない。

しかし、実際はそんな事もなく
宗教戦争も起こり、日本でも念仏は死ねば極楽と
人命を軽んじる部分もある。

いまは2020年。

もう一度、宗教というものを考えてもいい。
この映画はそんな助けにはならない。
結果、何も残らない。
日本映画でもカルト宗教などが題材にエンタメ化される事がままあるが、ほぼ全て違和感でしかない。
カルトであろうが何であろうが怖く描く事を求めている人が多すぎる。
今村夏子「星の子」に関しては、宗教を題材に描いたエンタメの中で唯一、違和感がなかった。

これこそが今描き出される宗教感だと考える。

もう、カルトにこだわり
危機感を煽るのは時代遅れだ。
敵意もなく、誰も傷つけない、いかれた宗教があってもいい。
ミッドサマーは、その分非常に古臭く感じた。

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