【会社員と写真】写真の「質」って何なのか?
写真を撮っていると「質」という言葉に出会うことがあります。「量」と対比されることが多いので、良い作品を生み出すには量か?質か?というディスカッションがSNSなどの場で行われることがあります。極端な意見もありつつも、バランスが重要、という意見が多い印象です。
個人的には「量」や「質」とは何か?というのが分からなくなり、少し考えてみました。自分の中での結論ですが、「観察や思考に使う時間の差」ではないか、と考えています。
「量」と「質」を定義する
僕たちが「量」という時、多くの場合それは「作業量」や「生産量」を指していると考えます。写真で言えば、撮影枚数や、撮影に費やす時間などが該当する。
一方で「質」と言う時、それは往々にして「完成度」や「芸術性」、「独自性」などを射さしていると考えます。
しかし、この二項対立的な捉え方では、創作プロセスの本質を見逃してしまう可能性があります。
なので、「量」と「質」を以下のように再定義してみました:
「量」:主に作業(撮影)に費やす時間
「質」:観察と思考に費やす時間
観察と思考の時間がもたらすもの
観察と思考に時間を費やすことで、以下のような変化が生まれると考えています:
深い理解: 撮影した写真を じっくりと観察することで、光の質、構図、被写体の表情など、細部への理解が深まります。
批評的視点の獲得: 自分の作品を客観的に見つめ直すことで、改善点や新たな可能性に気づくことができます。
創造性の醸成: 思考の時間を持つことで、新しいアイデアや表現方法が生まれやすくなります。
個性の確立: 自分の作品や撮影プロセスを深く考察することで、自分らしい表現スタイルが見えてくるかもしれません。
技術の統合: 個々の技術や知識を結びつけ、より高度な表現へとつながる可能性が広がります。
実践例:ストリート写真での経験
ストリート写真を撮る中でこの「観察と思考の時間」の重要性に気づきました。
はじめは、とにかく街を歩き回って多くの写真を撮ることに集中していました。この経験は、カメラの操作に慣れ、瞬間を捉える感覚を養うのに役立ちました。
でも、ある時点で「自分の写真に特徴がない」と感じるように。
そこで、撮影後に写真を見返す時間を意識的に設けるようにしました。その中で、自分が無意識に好んでいる構図や、繰り返し現れるテーマに気づきます。
また、他の写真家の作品を じっくりと観察し、その表現方法について考える時間も作りました。
この「観察と思考の時間」を増やすことで、単に「街の風景」を撮るのではなく、「自分の目を通して見た街の物語」を撮るという意識が芽生えました。
結果として、撮影枚数は減りましたが、一枚一枚により多くの意味を込められるようになったと感じています。
バランスの重要性
とはいえ、観察と思考の時間だけを増やせばよいわけではないと思います。
実践(撮影)の時間があってこそ、観察や思考の材料が生まれるのです。
大切なのは、自分の成長段階や目標に応じて、作業(撮影)と観察・思考のバランスを調整していくことだと考えています。
例えば:
技術を習得する段階では、多くの撮影を行い、その結果を観察する。
ある程度技術が身についた段階では、より深い観察と思考の時間を設け、自分のスタイルを模索する。
新しい挑戦をする際は、再び撮影量を増やし、その結果を深く分析する。
「作品」のための「質」への移行
「量」(作業時間)から「質」(観察と思考の時間)への移行は、写真の「作品制作」のプロセスの一部だと考えています。
作品、ってなんだ、と思ったのですが、よく観察して、伝えたいことが明確になったときに、スナップした写真が徐々に、意思がこめられた作品になる、と理解しています。
だからこそ、時間を作業から観察、思考に割り振ることで、自己表現の深化や創造性の拡大につながる、と考えています。
しかし、これは一方通行の過程ではありません。新たな気づきは、また新たな実践へと導きます。「量」と「質」、つまり「作業」と「観察・思考」のサイクルを意識的に回していくことが、螺旋的に「質」を向上させていくことに繋がっていく気がします。
以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!